*** mook's US watching 2002 ***
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New York Chronicle after Sep 11
テロ事件後のNYクロニクル
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(写真右は、いまだ灰だらけの教会。グランド・ゼロのすぐ東にある) 人によって、時間の経過の感じ方はいろいろあるけれと、私にとってはあっと言う間の半年が過ぎた。この間、公私共にあまりにもいろいろなことが起きたので、個人的には忘れられない6ヶ月になることだろうと思う。 全体的な印象としては、6ヶ月で“表面的には”よくこれだけ元に戻ったなという感じ。つい先日、WTCのすぐ隣にあるディスカウント・ショップ、“センチュリー21”が再オープン。私にとって、テロ事件以前のヒマな休日といえば、ココでぶらぶらした後(大抵自分は何も買わないで、友達のショッピングに付きあうだけなのだけれど(^_^;)、向かいのWTCにあるボーダーズという本屋でしばらく座り読みをして帰るということがよくあった。テロ事件でボーダーズは消滅してしまったけれど、こうしてセンチュリー21だけでも再オープンしてくれるのは嬉しい。事件直後の惨状(看板が熱でひしゃげたり、建物自体もけっこうダメージを受けていた)は、写真家達の撮った報道写真でよく目にしていたので、よくもここまで復活したと改めて感心。ここ数日間、頻繁にセンチュリー21の袋を持った人を見かけるので、毎日さぞかし繁盛しているのだろうなぁと思う。
ここに載せた写真は先週撮ったものだが、グランド・ゼロは建物の残骸が殆どなくなって随分違った様相を見せてきた。ダウンタウンには何かと用事があってよく行くけれど、今回オープンして3か月目の展望台を初めて観る。チケット売り場が展望台からかなり離れていることや、チケットを持っていても20分〜1時間も並ばないといけないので、展望台にはまだ行っていない。
朝のTVはバタバタしていてゆっくり観られなかったけれど、一機目が突入した8時46分と二機目突入の9時4分、グランド・ゼロでは集まった人々が黙祷していた。NYのメモリアル出席者は、前&現市長、現週知事とNY選出の議員達。それとWTCのすぐ向かいにあったギリシャ正教の牧師さん達も来ていた。ブッシュ大統領は、この日ワシントンでのメモリアルに参加している。
これは夜の番組にも同じことが言えた。各ニュースがテロ事件6ヶ月目を取り上げたのは勿論だけれど、その他夜8時から夜11時までの間、テロ事件に関する番組はABCの“Hunt for Bin Ladin”の一時間だけ(ちなみに私は家にいなかったので未見です)。他は通常通り、どの局もお笑いシットコム等を流している。う〜ん、企画がいろいろあるとは聞いていたけれど、結局はどれも皆ニュース番組の中で放送してしまった様で…。
この2時間番組は、元々テロ事件の数ヶ月前から消防士の生活を追っていたフランス人ドキュメンタリストの兄弟が撮った映像を元に、再構成して作られている。コマーシャル抜きの三部に分かれていて、最初はテロ事件前、テロ事件当日、そしてテロ事件後。
そしてテロ事件当日。兄弟はたまたま別行動を取っていた。一機目の突入がある少し前、弟はガス漏れ通報を受けて出動した消防士を撮影。飛行機が低空飛行する大きな音に思わずカメラを上げると、一機目がWTCに突入する瞬間がモロにカメラに収められる。その時点では、誰も何が起きたのか全く分からない。やはりまだこの時点では、まわりの人達も悠長にビルを見上げている。北ビルの一階ロビーは、たちまちNY中の消防隊員で一杯になった。エレベーターが使えないので、80数階まで何十キロの装具を付けたまま階段を登り始める隊員達。
奇跡的にも、彼等の撮影していた消防署に一人も被害者は出なかった。疲れも取れぬまま、翌日からは絶え間のない救助活動。生存者が殆どいなかったので、精神的にかなりつらい作業になっていく。そして疲労困憊で署に戻ると、そこには励ましのプラカードや差し入れを持ったニューヨーカー達が待っていた…。 日曜の夜すでにテスト照明を見てしまっていたのだけれど、この夜から、WTCの跡地に二本のライトが天に向かって照らされる様になった。そのシルエットがWTCを形取っているのは勿論のこと、私達の想いがこの事件で犠牲になった今は天国にいる人々へ届くように、という意味も含まれているのだと思う。
取りあえず半年経った…、というのが今日という日に一番しっくり来るコメントかもしれない。半年前は明日のことすら分からなかったから、ひとまずホッと一息というところ。街は本当に元の形を取り戻して来ているけれど、それはあくまでも“表面上だけ”。あの日を境にして、やはりNYは変わった。一部の人達の間で言われている様に、不安と心配で夜も寝ることが出来ないといった状態は、今の所私には無縁なのだけれど、ここの所、どうも異常に涙もろくなった様な気がする。それは、特に人々の“無垢な善意”というモノに対して。あのテロ事件で私は、人間がどこまで人を殺すことが出来るのか?ということ、実際にこういった大量殺戮を自分のすぐ近くで見せられた事実に愕然とした。勿論これは、彼等テロリスト達が受けて来た長年の洗脳教育によるものだとか、彼等が生まれながらにただの悪魔ではなかったということも十分承知しているつもり。それでもやっぱりこういうことって現実に起きるんだということに、正直心のどこかで絶望したし、報復戦争が始まってからというもの、この世の中はもう悪い方向に進んでいくしかないのではないかという閉塞感が、自分の心の中で無意識のうちに大きくなっていることを否定することは出来ない。知らない間に悲観的になったし、世の中を斜めから見る様になった。知らない間にすぐ「どうせ…しても…」と思う様になったし、前よりずっとずっと皮肉っぽくなった。そんな時、自然な心で他の人を愛したり、ただ朴訥に何かをしようというひたむきな人の姿を見ると、もうそれだけでボロボロになってしまうのだ。もし舞台『メタモルフォーゼズ』や、TV映画『ララミー・プロジェクト』をテロ事件の前に観たら、私はあんなに泣いただろうか?
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