*** mook's US watching 2002 ***
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. これまでスイスのダボスで毎年開催されていた世界経済フォーラム(以下WEF)が、NY誘致の意味も含め1月31日から2月4日までミッドタウンで開催されている。この会議には、各国首脳を含めた政治・経済の世界的リーダーが集まる一大規模の国際会議。この会議に向け、約一週間前から4000人以上の警察官が厳戒態勢に当たった。
これだけの厳戒態勢が敷かれた理由は2つ。一つは、世界中から要人が集まるということで(なぜか、ミュージシャンのU2とかも参加していた。2月3日に出演したスーパーボウルのついで???)、テロのターゲットとして狙われ易いということ。
こうした機会には、大抵その地域の在住者より世界各地から集まって来た活動家が運動を展開したりする場合が多いのだが、今回は規制が厳しかったのか、やはり怖くてNYにまで来ようという人が少なかったのか、NY1ニュースによるとマーチ参加者の90%近くがNY在住者であったという。
デモの主張は、アフガンからの撤退、ソマリア再侵攻への反対、エンロン社と政府の癒着、死刑制反対、国際経済シンジケートへの抗議から環境問題まで、NY中のアクティビストが全て集結したのではないかというくらいの大所帯。正確な数字は分からないが、2000人は軽く超えていたのではないかと思う。
西側に用事があったので、ロックフェラー・センターの前を通る。テロ事件直後全て星条旗に変わっていた万国旗が、数ヶ月ぶりに正常に戻っている。近所の消防署に飾られていた花や寄せ書きも撤去され始めたし、下で紹介したSep 11 Photo Projectも、ナショナル・ツアーへ向けての準備が始まってクローズへ。事件後もうすぐ5ヶ月目。ようやくNYにも平常の顔が戻ろうとしているのだろうか。
友達の薦めで、クローズぎりぎりの展示会へ滑り込む。題して"A New World Trade Center"。60人ほどの建築家が参加して、ワールド・トレード・センターの跡地に関するプロポーザルを持ち寄ったもの。単なる設計図だけのものもあったし、CGを駆使して多面的に紹介しているものもあった。
その後、別の友達と会う時間までにまだ余裕があったので、先月リニューアル・オープンしたばかりのチェルシー・マーケットへ寄ってみた。ここには、5日前から私のファイバレット・ケーブルTV局であるNYニュースがお引越し。また、女性を中心とした雑誌やケーブルを持つOxygenもつい最近このビルへ越して来た。
また、最先端アートのチェルシーという土地柄、エレベーターから廊下の小物に至るまで、マーケット中がアート・ピースで埋め尽くされている。すましたアートというのではなく、あくまでも以前の倉庫っぽいテイストを残してのトータル・アートである所がお気に入り。マーケットの中央には、それこそ工業用排水路みたいなパイプから無造作に水が流れ出している。音楽の代わりに水の流れる音をBGMにしているのだとか。それって、すっごく私の好み。NYの新名所として、かなりお薦めの場所かも鴨。 チェルシー・マーケットからブリーカー・ストリート経由で歩いて家まで帰った。それにしても、チェルシーからミート・マーケットにかけてのこのエリアは、今とにもかくにもマンハッタンの最先端トレンディ・スポットであることには間違いないと思う。2〜3ヶ月来ないだけで店がどんどん増えている。14丁目から28丁目くらいにかけての西側なんて、つい5年前には本当に何もなかった。しいて言えば、隠れたクラブなんかが幾つかあったけど、タクシーででも乗り付けなければ危なくて一人歩きなんかとても出来ない様な地域だったのに、今はすました巨大ギャラリーがゴマンとひしめき合っている。こんな光景っておそらく10〜20年前はSOHOにあったのだと思うけど。ホントに今のSOHOなんて、ただのお買い物ゾーンと化してしまったもんなぁ…。ちなみにライブなどのミュージック・スポットで言えば、その最先端はブルックリンのウィリアムズ・バーグ。ここも5年前には本当に何もなかった。それがつい3〜4年でこの変わり様。う〜ん、NYはますます凄い勢いで増殖を続けている様で。あと5年たったら、今度は何処がトレンディ・スポットになっているのやら…。
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あっと言う間にクリスマスもお正月も過ぎて、2002年の日常が始まった。今年のホリデーシーズンは、いつもと比べてずっと質素だったかなというのが私の感想。派手なパーティよりも、ごく親しい数人で食事をするだけとか、そんな人達が多かった様に思う。
…と、いかにもそれまでの日常が戻って来た様で、まだまだ少しずつ何かが違う。赤十字の失業対策テントには連日長〜〜〜〜い列が出来ているし、市内の要所にはまだまだ厳戒態勢がしかれている。今日たまたま国連の前を通ったら、郵便ポストがテープでぐるぐる巻きになって封鎖されていた。もちろん、誰かが爆弾を投げ入れたり出来ない様に…。
もう4ヶ月も経つのに、11日がやってくると「ああ、あの日から…」という記憶が蘇ってくる。“ナイン・イレブン”は確実に日常の中へ埋もれ始めて来ているというのに。
“グランド・ゼロ”を見せる…と言えば、1月に入って新たな写真展が二つ開催されている。一つはグランド・セントラル・ステーションで開催中の“Faces of Ground Zero”。たまたま所用があったので、オープニングである一昨日9日に観に行った。
自分で写真を撮る様になるまでは、写真展なんか観に行かなくたって写真集で同じモノを見ればそれでいいじゃない、なんて思い込んでいた私(勿論、絵画については実物を観なくちゃダメと昔から思ってはいましたが)。それが写真というのも、展示の仕方(配置やサイズや全体の雰囲気)によって全く違ってくるのだということが、最近少しずつ分かって来た様な気がする。この展示会については、グランド・ステーションで開催されたということもあって、訪れる人達の殆どが通勤帰りのニューヨーカーなのだ。彼らの醸し出す会場全体の雰囲気というのも、見る人達の心を揺さぶる大きな要因になっているんじゃないかと思う。
今日は、ICP(International Center of Photography)2002年冬季写真展のオープニング。戦争や虐殺に関する幾つかの写真展を合わせたもので、それぞれに見応えがあった。最初の部分がSeptember 11 aftermath。タイム誌やCNNの写真家によるアフガニスタンの写真が幾つか並べてある。そして次がアイルランドで1972年に起きた“血の日曜日事件(ロシア革命の“血の日曜日”とは無関係)に関する写真展。特に葬列でカメラに目を向ける人達の顔がものすごく印象に残った(撮影者は不明)。地階の展示は“ベトナム人写真家によるベトナム戦争”。ベトナム戦争を撮ったのは、アメリカを初め海外の写真家達だけではない。ベトナム人でしか撮れなかった、ベトナム戦争時の人々の姿がそこにはあった。それは、いわゆる“ベトコン”と呼ばれた人達のつかの間の休息の風景であったり、家族の写真であったり、兵士としての勇姿であったり、そして何もかも失った後の惨状であったり…。
現在NYでは、私が知っているだけでも9・11に関する5つの写真展が開催されている。この“Faces of…”と“Sepetember 11 afthermath”の他に、昨年10月から開催されているSOHOでの二つの写真展とNY Historical Societyでの写真展。
最後にもう一つ9・11関係の話題として、1960年から42年間続いて来た世界最長ロングランの”The Fantasticks”が明後日の1月13日で幕を閉じることになった。12月中旬にクロージングが伝えられるやいなや、チケットは最終日まであっと言う間に売り切れ。私は1ヶ月近く毎日劇場へ立ち寄った(実はうちのすぐ近所なので)のだけれど、とうとうチケットを取ることが出来なかったくらいのフィーバーぶり。水曜日には一時間40分も並んだのに、結局キャンセルした人は一人もいなかった。劇の開幕後、マネージャーと話す機会があったのだが、彼も「娘に取ってやるチケットさえなくてね」と言っていたので、コレは現在チケットを取るのが一番難しいとされる『ザ・プロデューサーズ』以上だなぁと改めて思ってしまった。 平家物語の言う諸行無常じゃないけれど、大きな出来事がなくたって全ては常に移り変わって変化して行っている。永遠に続くモノなんてこの世に何もないのはよく分かっているけれど、こうして9・11の出来事をきっかけにして何かが変わってしまうのはとても淋しい。何かが去れば、その後には必ず新しいモノが生まれてくるのも、頭ではよ〜く分かっているのだけれど…。う〜ん、2002年は、失ったモノの後に一体何が生まれてくるのだろう???
写真展 ”Faces of Ground Zero”
写真展 “September 11 aftermath”
写真展 “here is New York”
写真展 “September 11 Photo Project”
写真展 “New York September 11 by Magnum Photographers”
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