*** mook's US watching 2001 ***
Diaries from Sep 11, 2001 - k

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90 Days After...
Dec 08, 01

今日の日付は、日本では”真珠湾攻撃”から60年目の日に当たる(ただし、時差の関係でアメリカでの日付は、昨日の12月7日となっている)。私にとってコレは、アメリカに住み始めてから8回目の“パール・ハーバー・ディ”に当たるわけだけれども、60周年でキリがいいという理由からなのか、ニュースや特集番組でこんなにパール・ハーバーのことがこんなに取り上げられたことは、過去になかったような気がする。
今年鳴り物入りで公開されたものの、批評家からはコケにされまくった映画『パール・ハーバー』も、ビデオ&DVDの発売日を12月4日というこの週末直前に持って来たため、TVでの宣伝もけたたましい。

実は昨日の12月7日、"JAPANESE DREAMS"という広島の人達を中心としたプロジェクト(”パール・ハーバー・ディ”を平和の日として、ハワイ、NY市、国連に折り鶴を送ろうというプロジェクト)の方々から、折り鶴のプレゼンター役をおおせつかっていたのだが、仕事の締め切りが重なって、どうしても参加することが出来なかった。鶴の多くが広島の中学生によって折られたそうで、秋葉広島市長からのメッセージも添えられていたというのに、折からの炭疽菌騒ぎで市庁舎とコンタクトを取っても、”要人へのパッケージ=危険物”と取られてしまう。本当にせちがらい世の中になってしまったと痛感する。

<< Ground Zero >>

NY中を星条旗色に?
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11月11日にあったテディベアは
殆ど片付けられていた
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新しく設けられたメモリアル。
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空気の汚染度測定器
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ともあれ、昨夜は地下鉄の接続がうまく合わずに家へ帰ったのが朝の3時過ぎ、その後モロモロなことをしていたら、ベッドに入ったのは朝の6時になってしまった。
取りあえず、用事の前にグランド・ゼロに寄ることにする。今日の撮影目標物は、灯りが燈されたばかりのクリスマス・ツリー。記念セレモニーの後、市長や子供達が昨日の夜に点火した。オーナメントはインディアナ州の子供達によって作られたもので、テロ事件で犠牲になった殉職消防員&警察官らの名前およそ300人の名前が、一つ一つのオーナメントに書かれている。ツリーのてっぺんには、星のオーナメントの変わりに星条旗が付けられた。
ジュリアーニ市長はスピーチの中で、「人々は、60年前の真珠湾攻撃でも同じ様にして、自由への愛、尊厳(リスペクト)、法の秩序、そして寛容の為に犠牲となった。攻撃から60年たった今日この日、人々がここに集まったことは非常に意味のあることだ」と言っている。ツリーのそばにも、何かその様な記述があるかどうか確かめてみたかった。

北側から。Chamber St駅の近く
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南側から。第2ビルの残骸を残すかどうか
議論になっている
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残骸はハドソン河から海へ運ばれる
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結局ツリーは一般の人達には入れない場所に置いてあったので、先っぽが見えただけで、あまりよく見ることが出来なかった。(New York Newsdayのウェッブに、8枚の写真が掲載されてマス。私が撮った見えにくい写真は、このページの"Grand Zero 2"から見ることが出来ますが)。

それにしても、9月11日以来1週間か2週間おきにグランド・ゼロを訪れているけれど、この場所は行く度にどんどん変わっていくのがよく分かる。例えばグランド・ゼロを見ることの出来る場所。最初の週は勿論10数ブロック先までが立ち入り禁止だった。それが次の週には、ブロード・ウェイの東3ブロック程となり、先週は東西南北2〜4ブロックくらいまで。今日の場合、それこそ場所によっては1ブロックまで近付くことが出来る様になった。
各場所に設けられたメモリアルも、行く度に前のものがなくなっている。コレってやっぱり古いものはどんどん捨てられているに違いない。グランド・ゼロの周りには、東西南北合わせて10箇所以上のメモリアルがあるけれど、とにかく世界中から次々と寄せ書きなどの様々なものが送られてくるので、市の方も対応出来ないらしい。私個人としては、11月11日に所狭しとぎっしり並んでいた何百のテディ・ベアがごそっとなくなってしまっていたのは、ちょっと悲しい気がした。

<< Canal Street and 7th Avenue>>

キャナル通りにある作業隊の詰所
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星条旗の女神
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通りには写真がぎっしり
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メッセージも所狭しと
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このページのRockefeller 1やSOHOの写真を見ればお分かりの様に、今年NYのクリスマスツリーやリースは、すっかり星条旗色に彩られている。NY名物(?)ロックフェラーセンターのクリスマス・ツリーを見るのも、これで8回目になるけれど、オーナメントが赤・白・青…つまり星条旗色のみだったのは、今までに全く例がない。
午後は2年前から待ちに待ってた”ノーマン・ロックウェル展”をグッゲンハイム美術館に見に行った。ある部屋に彼がSaturday Evening Postにさし絵をした何百枚の表紙画が1920年代から60年代まで一気に展示してあったのだが、1941年の終わり(つまり真珠湾攻撃)から1945年の終戦期までの絵に注目すると、この間のイラストはやはり軍や星条旗をモチーフにしたものが多い(写真右は、1942年9月のもの)。黒人差別問題や人種間の融合を謳ったイラストも多く描き残したロックウェルだが、この間のイラストを見ているとやっぱり戦争中というのは、誰もが同じ方を向いてしまうのかとしみじみ実感。

CNNやNY1ニュースでは、歌手のマライア=キャリー、そして昨日公開になった話題の映画『Ocean's 11』のキャスト、ジョージ=クルーニー、ジュリア=ロバーツ、マット=デーモンなどが米軍を慰問に訪れたという映像を盛んに流している。歌手や俳優による軍の慰問なんて、私には何十年も昔に行われたコトかと思っていたけれど、21世紀にもなってこんな姿をTVで見ることになろうとは…。

9-11直後のボランティア達
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巨大な絵も並んでいる
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赤十字の詰所
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夜、他のことをしながらCNNを流し聞きしていたら、真珠湾攻撃の話題になっていた。気が付いたらその人はもう消えてしまったので、誰が喋ったのかは分からなかったけれど、彼は、日本軍による真珠湾攻撃は今回テロ事件を引き起こした連中と全く同じく、アメリカの底力を見くびった浅はかなモノであった…、とこの2日間で耳にタコが出来る程聞いた、他の人達と全く同じ様なことを言っていた。聞き手が「広島・長崎の原爆投下についてはどう思うか」と質問すると、「原爆投下がなければ、東京・大阪などの大都市でもっと多くの犠牲者が出たはずだし、戦争を終わらせることは出来なかった」と即答。
日本人に言わせてみれば、考えられない答えかもしれないけれど、実際私は知人・友人からも全く同じ様な台詞を何十回と聞いてきている。日本の人なら知っている様に、東京大空襲では、絨毯攻撃によってすでに多大な市民の犠牲者が出ていたし、原爆の投下された1945年8月、日本の敗戦はすでに決定的になっていた。アメリカはむしろ終戦前に間に合う様、慌てて原爆を投下したといっても過言ではないのに。

太平洋戦争でもベトナム戦争でも、そして今回の対テロ戦争でも、お題目さえ並べれば、そして報復の為ならば、何の関係もない市民を殺しても良いという、私にはどう考えてもおかしいとしか思えない理屈が、60年前と全く同じ様に今も簡単にまかり通ってしまっている。納得出来ないのは私だけではないのに、流れに乗ってしまうのってつくづくコワイ…。
今週は、週明けからイスラエルとパレスチナの間で泥沼の爆撃&自爆テロが繰り返されている。ついこの間まで、アメリカは中東和平の仲介役になるとか何とか言っておきながら、もう数ヶ月後には“イスラエルの爆撃を支持する。攻撃されたらやり返すのは当たり前”とか”アラファトはやっぱりただのテロリスト”とか言っている。ソレって結局、“自分達のやっているコト=テロに報復するという名目の爆撃行為”を言い分けしている様にしか聞こえない。アルカイダへの経済支援にしてもそうだけど、イスラエル・パレスチナ問題だって、元々種をまいてコトを大きくしたのは、自分達アメリカ(とイギリス)なのに、どうしてソレについては一切言及しないのだろう?アジアやヨーロッパではこんなコト常識なのに、アメリカにいるとそんな事実をメディアで耳にすることは殆どあり得ない。誰だって自分の汚点を大声で声に出したくないのは分かるけど、それで言論の自由をリードする国だなんて言わないで欲しいなぁ。

今日は最高気温の記録を更新した2日前とうって変わって、寒い一日となった。2日前は日中半袖だったというのに、今日は郊外では雪も散らついているという。この2日間の温度差は華氏でナント30度にもなる。
そんな寒さの中、西72丁目にあるストロベリー・フィールドには多くの人達が集まった。12月8日はまた、ジョン=レノンの命日でもある。12月8日という日が、真珠湾攻撃の日ではなくジョン=レノンの”イマジン”した、皆がシェアする一つの世界を思い描く日として人々の胸に刻まれることを祈りつつ…。

3 Monthes After...
Dec 11, 01 (写真は
Yahoo Galleryより)

言うまでもなく、今日であの日から3ヶ月が経った。人々の口から”Since September 11”とか”Since 9 11 (ナイン イレブン)”というフレーズを聞くのも、もう慣れっこになって来たという感じ。とにかくこの3ヶ月で色々なことが変わってしまった。今日のNew York Newsdayには、”25 Things That Have Changed in New York”という特集が組まれている(直リンクは出来ないのですが、City Numbers Tell the Storyというリンクから飛ぶことが出来ます)。事件以来、自由の女神へのフェリーが閉鎖されたことに始まり、交通・セキュリティー・ブロードウェイショーに至るまで、さまざまな項目が書かれている。

朝9時、3ヶ月目のメモリアル・セレモニーがグランド・ゼロで行われた。本当ならココにいるはずのジュリアーニNY市長やパタキNY州知事は、ブルームバーグ次期NY市長と共に今イスラエルへ行っている。イスラエルにいる“同志の慰問”に行ったというコトなのだが、揃いも揃って3人で行くかな〜。ニューヨークという地域にとってユダヤ人票がいかに大きな意味を持っているかは分かるけど、それはちょっとやり過ぎでは???
一方、NYの反政府勢力の代表格であるアル=シャープノン(個人的にはけっこう嫌いです、この人)は9月11日直後、アラファト議長と会見する為にパレスチナを訪れている。こっちがAを支持するから、反対勢力はBを支持するなんて、何だか納得いかない〜。そんなヒマがあったら、どうして両者の紛争解決に務めないのだろう?NY市内での対立構図を海外へ持っていって引っかき回さないで欲しいな〜、も〜。

ともあれ、今夜はワシントン・スクエア南にある教会で行われた”New York Says No to War”が主催する集会へ行って来た。
スピーカーは、ライターであり戦争と平和学を専門とする大学教授Blanche Wiesen Cook と 人権弁護士のMichael Ratner。クック教授は、以前軍の視点からの戦略学を勉強していたこともあり、“アメリカの海外戦略”という視点から見た今回のテロ戦争を、歴史を踏まえて分かり易く説明してくれた。私がこのHP上でも何度も書いている、“アメリカ政府が、何兆円ものお金をかつてタリバンにつぎ込んでいたこと”、“今回のテロ撲滅を名目にしているこの戦争もどきが、やはり本音の所では石油のパイプライン争いを背景にしていること”、そして言うまでもなく“イスラエルvs.パレスチナ紛争”との絡みなどが話題になったが、結局こ〜ゆ〜集会に来ているジャーナリストや弁護士達は、すでにこれらのことについては皆知ってるんだよね。この集会に来ていない人達にこそ、こういった事実はもっと広められるべきなのに…。ま、それでもベトナム戦争やウォーターゲート事件時代にまで遡った彼女の回想録は面白かった。こういう話って本ではいくらでも読めるけど、体験者から実際に話を聞く方が格段面白いから…。

もう一人のスピーカー、ラトナー氏は弁護士ということもあり、アメリカ国内の人権問題の話が中心となった。テロ事件直後から、実に数百人の中東系の男性がFBIなどからの尋問を受けている。名目上はボランタリリーということになっているが、実質上は強制も同然。真珠湾攻撃直後、FBIに連行された日系人達への仕打ちとまさに同じことが今現在繰り返されていると彼は言う(詳しくは、このページも参考にしてみて下さい)。彼の話を聞いていると、例えグリーン・カードを持っていても、“アメリカ市民でない限り”アメリカの憲法で保障された人権制度は、移民に対してまるっきり適応されない。ましてや就労ビザでスティしている私の法的立場がいかに危険なモノであるのか、コワイ程に思い知らされた。
実際私の関わっているもう一つの平和団体に、コロンビア大学の学生連合があるけれど、ここでも現在活動の中心になっているのは、移民局と政府による外国人に対する扱いについて。9月11日以来さまざまな法改正や特例が出来て、今ほど移民や留学生の立場が弱い時はない。現在コロンビア大学は、留学生のプライベートな記録までを移民局に報告し始めている始末。ソレに反対する署名運動が始まっているので、興味のある方は参加して欲しいと思います。詳細はこちらから。

二人のスピーチが終わって、会場全体を交えての討論会になった。参加者の多くは若い人だったけれども、やはりベトナム反戦運動を経験した世代の(それも女性)参加者が圧倒的に多い。私も最近になってやっとベトナム戦争についてのおさらいをし始めたので、かろうじて彼等の話題に連いていくことが出来た(^_^;)。
ベトナム戦争と今回の対テロ戦争に関する世論に大きなギャップが出てしまっているのは、1)今回本土で多数の死傷者が出てしまったことにより、報復攻撃は正当であるという方向に世論が“感情的に”傾き易くなっているということ、そして2)ベトナム戦争の時だって、反戦運動が盛り上がるまでにはけっこうな時間を要した、という最後に出された二つの意見は、米国内で少数派として日々フラストレーションの溜まっている私達にとって、とても有意義なモノだったと思う。
そして今日の集会で私にとって一番印象に残った言葉は、“アメリカの持つ本来の自由を侵そうとしているのは、自由の為に戦おうと言っているアメリカ政府自身の方である”という台詞。まさに今、“自由を守る”という名目のもとに言論の自由やその他の人権が侵され始めて来ている。アメリカ市民の多くが、この言葉のトリックに気付くのはいつの日になるのだろう???

スピーチの後、アビゲール(苗字忘れてしまいましたが)という舞台女優のパフォーマンスで、集会は幕を閉じた。こういった集まりでも、必ずアーティスト達が参加してくるのは、NYならでは。こういう人達がいるからこそ、私はココNYに住んでいられる。来週は、“戦争と女性”をテーマに、NYUで2本の短編映画が上映される。そのうちの一本は、学生時代の親友がプロデュースし今年アカデミー賞の短編部門にもノミネートされた”One Day Crossing“。この上映会で集められたお金は、アフガニスタンの女性団体へ送られることになっている。テロ事件直後から、殊にハリウッド映画に対する風当たりが相当強くなって来ているけれど、短編映画であろうが、映画にだって出来ることは沢山ある。そうそう、別の用事で行けなかったけれど、昨夜はスーザン=サランドンやダニー=グローバーが中心になって行われたアフガン女性に対するベネフィット・リーディングも開催されていた。ニュース報道で流れている様な、星条旗で埋め尽くされた景色だけがNYじゃない。数としては少なくても、戦争に疑問を持っているアメリカ人だって中にはいるのです。こうした動きが、ベトナム戦争時の様に段々と大きくなっていくことを祈って…(うう、前回と同じ終わり方になってしまった…(^_^;)。

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