*** mook's US watching 2001 ***
Diaries from Sep 11, 2001 - i

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8 weeks and 3 Days After...
Nov 09, 01

旅行直前にJFK空港で書いた日記を除けば、ほぼ一ヶ月ぶりのNY日記更新(^_^;)。たった今、友達(この日記では何度も登場しているT)と食事&飲んで帰って来たのだけれど、またもケンカごしの議論をして来たので、もの凄く気分が悪い(はっきり言って今日の日記は、半分以上が愚痴だったりするかも鴨)。
何しろ相手は、高校時代に全米ディベート・チャンピオンに選ばれたヤツ(マジです)だというのだから、めちゃくちゃ始末が悪かったりなんかして。こちとらいまだに早口の英語となると「えっっっ?も一回言って」と聞き返さなくちゃならなくて、向こうも一瞬コケてしまうのだけれど(^_^;)。スイスで一緒だったSといい、彼等はアメリカでもトップの某エリート校を卒業した連中なので、世界史&世界情勢に詳しいコト、詳しいコト…。ぐぞ〜〜〜、頭良すぎるよ〜コイツら〜〜〜。私も、英語が下手だとか、そんなコトは知らなかったなんて言っていられない。とか何とか言って、切羽詰るとつい日本語でまくし立て返すしかないのだけれど(^_^;)。く〜〜〜っ、悔しい…(T_T)。
最初に書いておくけれど、彼等はアメリカ知識層の中でもどちらかと言えば“リベラル派”に属する。彼等二人共、それこそ星の数ほど海外を旅行しまくっていて(しかも観光じゃなくて、かなりの長期滞在)、そんじゃそこらのアメリカ人なんかより、よっぽど“アメリカの外の世界”を知っている。中東情勢についても、私なんかみたいな無知とは比べ物にならない程よく知っているし、普段の考え方はあくまでリベラル、ブッシュ親子がいかにアホでアーパーな連中かもよ〜く知っている。

そ、その彼等でさえ、「今、報復攻撃をせずしてどうする???」とのたまわってしまうのだから、私はも〜、ど〜すればいいの???とゆ〜感じ(T_T)。勿論私は反論する。「テロリスト達は、報復攻撃なんかしたってしなくたって、必ずまたアメリカを攻撃して来る。報復攻撃は、新たな恨みや怒りを増殖するだけじゃないの?」って。そしたら2人は、別々の場所で全く同じ答えを返して来た。「じゃあ、他に何が出来るっていうんだ?このまま黙って見てろっていうのか???」。
「……」(←何も言い返せない私)。戦後も、日米安保の時代も、21世紀になった今でも、平和運動最大の弱点はソコにある。今夜の場合お酒にも酔っていたことだし、やぶれかぶれで「でも、ヒトを殺すくらいだったら、私は自分が死んだほうがいい。」と言ってしまう。すると彼は、「Then, go ahead.(じゃぁ、勝手にすれば)」と言い捨てた。あ〜〜〜っ、分かってるってば、そんなの全然解決になってないことくらい!!!(ホントは1時間以上の議論でしたが、最後の2文はそのままのセリフです。)

分かってるって。何でも“平和・平和”、“ヒトを殺してはいけない”というキレイゴトを唱えるのは簡単なコト。そして、何でも“反対・反対”というのも、気楽なモノだったりなんかする。実際のところ、悪者=アメリカ政府の陰謀を暴くのも、正義感に満ち溢れていて、なんとなくカッコイイ(…と大学に入りたての私は思っていたような気がする(^_^;)。しかし、「では、それがダメならどうすればいいのだ?」という代替案にまで話が及んで来ると、平和運動もジャーナリズムも、途端に依り所をなくしてしまう。私が政治や教育の勉強から遠ざかって映画の世界に足を踏み入れて来たのも、実を言うとそこが分岐点なのだけれど、その辺りはまた本1冊分くらいの話になりそうなので、ここではパス(^_^;)。

では、そもそも“テロの根絶”…とは???オサマ=ビンラディンが処刑されようと、タリバン政権が倒れようと、テロの根が完璧に絶えるはずがない(むしろ、逆効果になる可能性すら孕んでいる)という事は、これまでの日記に何度も書いて来た。ココでは本当に、“夢を見過ぎている”と言われ様と、“絵に描いた餅の理想論にしか過ぎない”と言われ様と、私はやはり“時間をかけた相互理解”しかないのではないかと思っている。そりゃぁ確かにテロリスト達は皆、“聖戦”という名の元に洗脳されているのだろうから、普通の話し合いが通用する相手でないことは分かっている。私が言っているのは、たかだか2〜3年規模の話ではない。それは20〜30年かもしれないし、100年以上の話かもしれない。
私が思うに、“聖戦”だろうが何だろうが、罪もない他国の人々(=アメリカ市民)を一瞬にして何千人も殺していいなんて言ってる組織が、自分達の力だけで内部分裂もせず、あと何十年も持つとは思えないのだ。いつか必ず自分達自身で内部から自滅していくのではないだろうか?勿論、私はそれまで彼等をやりたい放題野放しにしておいていいと言っているワケではないので、その辺の所はお間違えなく。私が言っているのは、爆弾の雨なんか降らせているヒマがあったら、早く彼等の資金源を根こそぎ抑えてしまって欲しいというコト。これもすでに前の日記に書いているけれど、旧ソ連の侵攻時、タリバンとアルカイダを含むその裏組織に資金を調達し、ここまで大きく育てて来たのは、他でもない、アメリカ政府だったのだから。彼等の資金ネットワークに一番詳しいのも、アメリカ政府をおいて他にはない。

つい30年ちょっと前、アメリカは「悪魔の共産主義と戦う」という名目で、ベトナム戦争を正当化していた。けど、悪魔の共産主義は、アメリカの軍事力によってではなく、後に自滅という形で崩壊したのではなかったか?共産主義崩壊に際し、アメリカの軍事力なんて、何の役にも立っていなかった。むしろ、その流れを作るきっかけになったのは、1980年代中盤から後半にかけて進んだ、米ソ共同の軍縮協議ではなかったのだろうか???
また、アメリカ文化の浸透が、内部から共産主義国の崩壊を加速させたであろうことは、誰もが疑わない事実。そう、戦争では往々にして“文明”が衝突したりするけれど、“文化”は衝突したりしない。文明は地域や国境を越えることは出来ないけれど、文化は国境を越えることが出来る。文明は奢りを生み出すけれど、文化は相互理解を必要としている。
とりわけアメリカの外に住む多くの人々が指摘している様に、今回のテロはアメリカの“文明の奢り”が標的であった(勿論、パレスチナ問題その他も無視することは出来ないけれど、その話はまた次回に)。この“奢り”とキチンと向き合わないことには、本当に、そして永遠に“テロ根絶”に一歩近付くコトは出来ないのではないだろうか?

勿論、このコトを指摘するアメリカ・メジャー系のメディア人もいなかったワケではない。けれど大抵彼等は、「そういった論理で、テロの行為を正当化するのか?」という反論のもとに、すぐ様謝罪を余儀なくされている。勿論、私自身も含め、テロリスト達の行為を正当化する考えは、コレっぽっちも持っていない。またまた話がそれるけど、さっきTの手首にRおじさんの名前と09.11.01の文字が刻まれたブレスレッド(Rおじさんの奥さんが作ったもの)を見つけた時は、思わずレストランで泣きそうになってしまった。誰もテロが起きて良かったなんて思ってない。けど、そんな悲劇を繰り返してはならないと思うからこそ、私はあえて遠回りをし、もっともっと過去を顧みて、もっともっと先の未来を考えなくてはいけない様な気がする。

コレは、私にとって初めての“戦時下体験”となる(勿論、コレが最後になって欲しいけど)。太平洋戦争やベトナム戦争の話を聞く度、昔の人達はなんてバカなことをしたんだろう?なんて思うけど、”War Hysteric”って、こ〜ゆ〜モンなんだ。う〜ん、コワイなぁ。いろんな文化や考えが混在する“アメリカに限って”、皆が同じモノを掲げ、皆が同じコトを言い、皆が同じ方向に向かって進んでいるなんて、少なくとも今の時代ではないだろうなんてタカをくくっていた私なのだけれど。これじゃぁ、数十年前と全く同じコトを繰り返しているだけじゃない。改めて書くことでもないかもしれないけど、太平洋戦争だって、ベトナム戦争だって始まりの大義名分は、どちらも“報復”だった。感情的になっている分、大衆を扇動することがこんなに簡単なチャンスはない。ホワイトハウスがハリウッドの要人を呼んで、戦争への協力を取り付けたなんていう話、まるで“魔女狩り”の横行していたハリウッド・テン時代の復活みたいでコワイくらい…(言うまでもなく、あの時代は私の好きなチャップリンでさえ、アメリカから追放されるコトになった)。

をを、話題が果てしなくあっちこっちに…(^_^;)。本当は、もっともっと書きたいことが山の様にあるけれど、取り合えず今日はブッチしなければ(実を言うと、この部分を書いているのはもう翌日(^_^;)。
最後に一つ、自分の自慢話を書いてこの日記の〆にしようと思う(何処が日記なんだか…(^_^;)。以前私は、前述した全米ディベート・チャンピオンのTに、たった一度だけ議論(というより実際はただのケンカ(^_^;)で勝ったコトがある。発端は本当に些細なことであまり覚えていないのだけれど、射程的中率100%&機関銃の様な速さでまくしたてる彼の英語を、3文くらい遅れて理解しようとしていたノロマな私は、もう完全に開き直ってこう言った。「イソップの『北風と太陽』って話知ってる?」彼が首を横に振るので、私はその童話を簡単に説明した。
ライバルである北風と太陽は、どちらが旅人のマントを脱がすことが出来るかを競い合う。北風は、寒い風をびゅんびゅん吹き込んで、そのマントを脱がせようとするけれど、風が強くなればなる程、旅人はコートをしっかり着込んで全く離そうとしない。そこへ太陽が暖かい陽の光りを射し出すと、旅人は何のためらいもなくそのマントを脱ぎ始める。お話はこれでオシマイ
だからケンカもそう。「そっちがいくら強い風を吹き込んでも、私は余計に心を閉ざしてしまうだけで、何の効果もないよ」って説明した。そうしたら彼は、「今日はmの勝ちだな」と言ってあっという間に仲直りした覚えがある。
勿論、世界政治や何万人、何億人という人と人との繋がりが、そんな単純なモノでないことは分かってる。けど、毎日爆弾の雨を降らせているアメリカ軍の行為は、強い風をびゅんびゅん吹き付けている北風がやっているコトと同じではないのだろうか?いくら風の強さを強くしても、それは逆効果であることに他ならない。“爆弾=北風”なのだとしたら、“太陽”って何???それは私の中では映画であり、音楽であり、書物であり、芝居であり、その他モロモロの文化のコトだと思っている。もっとも、それがプロパガンダとして誰かの為に利用されてしまう危険性は、常になきにしもあらずなのだけれど…。その話については、次回の日記に回そうかなぁ、と思っているので今日の所はいいかげんにこの辺で。

2 months After...
Nov 11, 01

今日で、同時多発テロ事件が起きてから、ちょうど2ヶ月が過ぎた。私の場合、その間あまりにもいろいろなことがあったので、「まだ2ヶ月?」という気もしてしまう。
私が知る限り、今夜NY市内で行われた平和関係のイベントはたったの2つ。一つは、NYの最先端ウィリアムズバーグでおそらく今最もヒップなBAR“ガラパゴス”の奥にあるスクリーニング・ルームで行われた、ノム=チョムスキーのドキュメンタリー上映&反イスラム教徒差別のイベント。
そしてもう一つは、グランド・ゼロすぐ近くのファイナンシャル・センターで行われたイベント”Gathering of Hope”。主催はどちらもアーティストや芝居関係の人達が中心になっている。一つ目のイベントについては家からちょっと遠いのと、実は前日の夜ウィリアムズ・バーグに行ったばかりだったので、ファイナンシャル・センターの方を選んだ。

<< In front of Financial Center 6:00 pm >>

Gathering Hopeに集まった人々
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寒さの中、踊って身体を温める
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集められた手作りの灯篭
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最初の集合先はバッテリーパークの真ん中(前回来た時の立ち入り禁止令はすでに解除済)、ここで何人かの人達が手作りの灯篭を配っていた。その後ハドソン河をおよそ10ブロックほど行進して、メイン・イベントの会場はファイナンシャル・センター前の広場。ファイナンシャル・センターは、全壊こそしなかったものの、部分的には破壊されていて、その爪痕がナマナマしく残っている。
私が会場に着いた時、行進はもうファイナンシャル・センターの前にたどり着いた後だった。さすが、主催者が前衛芝居やってるだけあって、白装束の人達が沢山踊ってる(^_^;)。集まって来た人達の殆どが20代の若い人達だったと思う。学生の間で、このイベントについてのe-mailがかなり出回っていた様なので、その関係で知ったのだろう。報道関係者も何社か来ていた。

”Gathering of Hopeイベントについてのサイトは、 こちらから

<< Near Grand Zero 6:30 pm >>

祭壇に積み上げられた花とテディベア
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犠牲者の写真も
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両側に果てしなく続くテディベアの列
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ファイナンシャル・センターのすぐ南、グランド・ゼロ西入り口のところに、新しいメモリアルが出来ていた。3週間前、この辺りはまだ立ち入り禁止区域だったので、まだこのメモリアルが出来てから1ヶ月も経っていないというのに、もの凄い範囲で花やテディ・ベアが置いてあった。おそらく誰かが置いていったテディ・ベアがきっかけになったのだろう。花の数より、テディ・ベアの数の方が多いくらいだった。他のメモリアルでテディ・ベアを見ることは稀だから、これがアメリカの慣習というわけでないとは思うのだけれど。

ファイナンシャル・センターのすぐ北には、まだ出来たてホヤホヤのEmbassy Hotelや、その裏にある新しいシネコン、その他多くの店やレストランが閉鎖されていた。この地区はいわゆる再開発地区エリアなので、一年以内にオープンしたばかりのテナントが山程あるというわけ。近所に住む私もとても楽しみにしていたので残念だし、長い年月をかけてやっとオープンにこぎつけた店やレストランのオーナー達の心境は察するにあまりある。
全米一二を争うエリート公立校、スタイバソン・ハイスクールの前にも警官が立っていた。ここの高校生達は、テロ事件の当日ビルから飛び降りる人達を見てしまうなど、数々のトラウマ体験を抱えている。学校に戻りたくない生徒も多いらしい。ちなみに、先々週号のニューズウィーク誌の特集は、”Generation 9-11”。この事件によってトラウマを抱えてしまった子、人生観の変わってしまった子供達は、全米中にそれこそ星の数ほどいることだろう。

Rおじさんの名前もある殉職消防員のリスト
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西側から観たグランド・ゼロ
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南側から観たグランド・ゼロ
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集合した警察官たち
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オープンして1年経つか経たないかの
Embassy Hotelは閉鎖されていた
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まだ電話線が開通していないので
非常用の移動公衆電話がある
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友達と会う約束までまだ時間があったので、またも懲りずにユニオン・スクエアへ行くことにした。今夜は風が強くてもの凄く寒いせいもあるのか、広場には10人くらいの人達がパラパラと集まっているだけ。真ん中では、ネイティヴ・アメリカンのおじさんがドラムを演奏していた。おそらく遺族は自宅で静かな時間を過ごしているのだろうけど、たったの2ヶ月でこんなに事件が風化してしまうとは…。何だかちょっと寂しい様な気がしてしまう私だった。

<< Union Square 7:00 pm >>

地下鉄駅構内の交番
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今夜のユニオン・スクエアには、
数人の人だけしかいなかった
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演奏するネイティブ・アメリカン
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レストラン・リストでも紹介した”Pepe Rosso To Go”で友達と会い、アンジェリカ・フィルムセンターで、”TAPE”を観た。日曜日の夜だというのに、けっこう混んでいたのでびっくりしていたら、友達は「皆、映画観るくらいしか何もする気がしないんじゃない?」と言っていた。私個人的にはこの2ヶ月、映画祭以外の映画をあまり観なくなってしまったのだけれど、映画業界全体の興行成績はどうも上がっているらしい。リベラルだとばかり思っていたアンジェリカにまで星条旗が掲げてあったので(写真撮るの忘れだけど)、ちょっとがっかりしながら映画を観た(映画の感想については、また別ページで)。その後、午前1時近くまで”Café Dante”で友達とだべる。家に帰ってルームメイトとだべっていたら、もう午前2時を過ぎてしまっていた…。

2 months and One Day After...
Nov 12, 01

昨日、テロ事件から2ヶ月で人々の心からあの時の思いは消えつつあるのかと思ったばかりだというのに、今日はそれが最悪に近い状態でまた呼び起こされてしまった。

アメリカン航空の飛行機事故が起きたのは、午前9時17分。私はいつも聴いているミュージック・ステーション、ラジオZ100でその第一報を聞いた。おそらく9時30分から35分までの間だったと思う。9時45分までには、全てのチャンネルが緊急ニュースに切り変わっていたはず。45分までに、ネットワーク全てのチャンネルが爆発映像をTVで流していたというのだから、まぁ早いこと早いこと…。
最初の情報では、INBOUND…つまりJFK“行き”の飛行機が墜落したというので、私の背筋が一瞬寒くなった。今日は土曜日にパリへ発ったTが3日ぶりにNYへ帰って来る日であったから。9時50分までに、NY周辺の空港が全て閉鎖されたのは勿論のこと、マンハッタンとその周辺を結ぶトンネルや橋も全て閉鎖された。この辺りの対応は、前回にも増して超素早かった様な気がする。

<< 30th Street 2:00 pm >>

中央郵便局の星条旗
拡大すると室内の星条旗も見えます
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閉鎖された中央警察署前の通り
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中央警察署の扉は閉められていた
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最初の一時間、当然皆の頭に浮かんで来たのは、テロの再発ということだった。ハイジャックによる不慮の事故、飛行機同士の衝突、そして爆弾の可能性…。さまざまな憶測があちこちを飛び交った。やっぱりこのトラウマは大きい。特に“天気のいい日の朝早く”というのが、“あの日”のことを一層鮮明に思い出させた。そして皆の正直な気持ちは「なんでNYばっかり!!!」
朝日新聞のウェッブを見ると、「アルカイダからの脅迫あり」なんて書いてある(今はもう消されてますが)。こちらのラジオでは、全く同じ時間に「テロリストからの犯行声明は一切ない」と言ってたばかりなのに…。んんん???単に日本の情報が間違っているのか、それとも人々をパニックにさせない為に、アメリカのメディアがそれを隠しているのか。今回の場合、おそらく前者の方じゃないかと思うけど、後者の可能性だって全くないとは限らない。やっぱりマスコミの情報ってコワイなぁ。

とにかく、予約を入れてあったのでいつもの歯医者さんへ行く。このデンタル・オフィスは西30丁目にあり、テロの標的になりそうなエンパイヤ・ステート・ビルディング、マジソン・スクエア・ガーデン、中央警察署、中央郵便局、そしてCNNなどの集中している地域なので、周辺にはなんとなく緊張がみなぎっていた。中央警察署の周りなどは、車両通行止めになっていたし…。
私のお気に入りM先生に、一ヶ月前歯を抜いた所へようやくさし歯を入れてもらった。ココは、もともと昨年ルートキャナルをして神経を取った歯が欠けてしまった場所。それ以上の処置は不可能だったので、抜くしか他になかったのだ(T_T)。話によると、9月11日以来、歯が欠けてしまった人は普段よりかなり多いのだという。それだけ歯というのは、心のストレスと関係するセンシティヴな場所らしい…。待合室では患者さんじゃなさそうな人達も含め、皆飛行機事故のニュースに真剣に見入っていた。

<< 32nd Street 2:30 pm >>

もしもなくなってしまったら…
と、 ESBをカメラに収める
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星条旗グッズを売る
99センツ・ストア
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リトル・コリアにあるビデオ屋さん
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いつもは30分から1時間も待たされるのに、今日はたったの10分しか待たなかったので、その分いろいろ寄り道して買い物してしまった。今日買ったのは、今まで持っていたのよりさらに小さくて機能性の高そうなラジオと、小さな懐中電灯など等。旅行から帰って来て以来、私の“緊急避難袋”にはさまざまなモノが入れてある。パスポート、短波ラジオ、抗生物質、予備のコンタクトレンズ、予備の下着、ウエット・ティシュー、水のいらないシャンプー、そして大切な写真etc…。この所、マジで遺書も書いておかなくちゃなぁ、なんて真剣に考え始めているところ。いつもは気にしないで通り過ぎるエンパイア・ステート・ビルディングも、何時なくなるかもしれないので、取り合えずカメラに収めておいた。

<< 49th Street 3:00 pm >>

壁画が有名な紀伊国屋のトイレ
"不審な鞄があったら爆発物かも"
の注意書きがある
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飾り付けを始めたばかりの
ロックフェラー・ツリー
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こちらはグリニッジ・ビレッジ
薬屋さんのショーウィンドー
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飾り付けが始まったばかりのロックフェラー・センター・ツリーの前にある紀伊国屋に寄って、中東関係や民族問題の本を買う。本当は、映画化された「GO」の文庫本が出ているかなと思っていたのだけれど、まだ出ていない様だった。紀伊国屋書店NY支店のトイレは、松永はつ子さんの描いた壁画”New York Day Dream”でちょっと有名。いつもは、その緑や鳥の絵を見てつかの間の間、心をなごませたりするのだけれど、洗面所の隣りの所にあった張り紙を読んだ途端、一気に現実に引き戻されてしまった。そこには、「ご注意!このトイレ内に鞄や箱などの忘れ物があった場合、爆弾の可能性がありますので、絶対に障らないで下さい。」う〜〜〜ん、忘れ物があったらそれを持って店員さんに届ける…、そんな当たり前のことすら、私達は出来なくなってしまったの???そう言えば、JFK空港でも、「係員が鞄などの置き忘れを見つけた場合、即座にそれを壊す(Destroy)する可能性がありますので、手荷物を置いたまま立ち去らない様ご注意下さい。」と言うアナウンスがあった。つまり、何を見ても爆弾かもしれないから…ってワケね。なんておっかない世の中になってしまったのやら…。

夜のTVは特番オンリーというワケではなかったけれど、やはりいくつかの番組は特別番組に切り変わっていた。報道でも散々言っている通り、飛行機の墜落したロッカウエイ地区は、テロ事件の二次災害で最も多くの消防士の犠牲者を出したレジデンス。本当にやりきれないというか、もういい加減にして欲しいという感じ。
それにしても、犠牲者250人以上というのは大変な数字。もしテロ事件がなければ間違いなく、今年NYで起きた最悪の事故として年末のトップ記事となるだろう。それが「テロじゃなかった」と言うだけで、自分も含め何となくほっとした雰囲気が漂っている。この“麻痺感覚”ってかなりヤバイよなぁ…。
そんなこんな言っているうちに、夜11時のニュースで“カブール陥落”のニュースが入った。さてさてこの先、NYは、アメリカは、世界はどうなってしまうのだろう???この日記も落ち着いたら、もっと自分の思っていることだけをゆっくり書いて行きたいなと思っているのだけれど…。

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