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One Month and 2 Days After...
Oct 13, 01

昨夜観た『息子の部屋』に続き、今日は朝から、NY映画祭で、日本映画『リリィ・シュシュのすべて』を観る(詳しい感想は、映画の部屋に書いたモノを読んで下さい。『息子の部屋』『リリィ・シュシュのすべて』)。上映後は、このHPには何度も登場する私の元先生リチャード=ペニャ(NY映画祭のチェアマンでもある)を交えてのQ&Aも行われた。映画を一緒に観た友達の他に、後で会うはずだった友達へ1時頃には電話すると言ったのに、映画の上映時間が長かったのと、Q&Aのおかげで会場を出たら2時をまわってしまっていた。

<< Lincoln Center at 2:00 pm >>

質問に答える岩井監督(中央)
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NY映画祭のチェアマン、R=ペニャ(右)
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取りあえず地下鉄でダウンタウンへ。遅いランチを取りに行く途中、私がいつも使っているジムの前を通ったのでついでに写真を撮っておく。ここは別名"Gym for Queers"と呼ばれる程ゲイの人達が多いジム。市の経営なので、ナント年間費25ドル(約3000円)という超激安ジム(私立は普通、毎月70〜100ドルは平気でしている)なのだが、ボランティアの集まるハウストン通り&ウェストサイド・ハイウェイに近い為、9月11日以降は、赤十字の一時的分署として使用されている。

<< NOHO at 3:00 pm >>

私の通う市立ジムは、現在赤十字の
一時的ブランチになっている
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9月16日の日記に登場した
消防署に掛けられた横断幕
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7歳の子供による
「ありがとう」 の手紙
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ランチの後、SOHOへ。今日は、このホームページに載せた写真3枚も展示されている"Sep 11 Photo Project"のオープニング。オープニングということもあって、会場は汗ばむ程の熱気に包まれていた。e-mailで何度か連絡を取り合っていた主催者のマイケルと初めてのご体面。これだけのプロジェクトを切り盛りしている人ということで、もっとオジサンっぽい人(?)を想像していたのだけれど、若い人だったのでちょっとびっくり。
ある、ある。私の写真もちゃ〜んと3枚展示されていた。他には9月11日にグランド・ゼロ近くで撮られた写真などもあり、これはおそらく報道パスを持ったプロの(?)人達の作品だと思うけど、それ以外は殆どがアマチュアによる作品ばかり。

<< SOHO at 4:00 pm >>

自分の写真の横に立ってます
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Sep11 Photo Projectの主催者
Micheal Feldschuhと
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プロの写真家による9.11写真展
こちらは並ばないと入れません
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実は今、SOHOで、もう一つの9月11日に関する写真展が開催されている。題して"Here is New York"。こちらは、その殆どがプロのカメラマンによって撮影されたもの。写真は全てデジタライズされていて、その場でリクエストに応じてプリントアウトされる様になっている。そうやって得られた収益金が、"Relief Fund"に寄付されるという、全くの非営利プロジェクトだ。すでにもう、かなりの額の寄付金が集まっているらしい。
私の参加した方の写真展はそれに比べればほんの小さなプロジェクトだが、こちらも収益金は、亡くなった消防隊員の遺族達へ寄付される様になっている。ちなみにこの日記に何度も登場するTに、さらに大きな出版社から執筆のオファーが来たそうで、彼はその印税を全て消防隊員の遺族達へ寄付する形で契約すると言っていた。写真・書物・音楽・アート…。今NYでは、こうした展示会やコンサートなど、様々な形でドネーションが各方面から募られている。NYで何度もショーを開いている私の友人も、9月11日に関するアートショーに作品を寄付すると言っていた。

”Sep 11 Photo Project”についてのNYデイリー・ニュースの記事はこちらから

”Here is New York”についてのNYタイムスの記事はこちらから

”The Art Project”については、こちらから(LINKのページは必見)

SOHOから、ドウエィン通り経由で再びダウンタウン・ブロードウェイへ向かう(一緒だった友達は、まだ下まで降りたことがなかったので)。ビルの解体作業が進んでいるので、9月23日に行った時と、多少景色の違っているところもあった。それまでは、WTCにさえぎられえて見えなかったファイナンシャル・センターのドームが、ブロードウェイから見えている。たった1ヶ月とちょっと前までとはまるで違う景色が、何だかまだ信じられない…。

<< Downtown Broadway at 5:00 pm >>

チャイナタウンで買い物する米兵
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9.11のTシャツを着た男の子
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サンフランシスコからの手紙
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ドウエィン通りから。
赤い部分は灰よけのネット
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星条旗グッズを売る人。
バリエーションも増えている
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以前はWTCで見えなかったFセンターが
ブロードウェイから見える様になった
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女神サマは、ユニオン・スクエア
を追われてBウェイへ
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グランド・ゼロを撮影する人達1
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グランド・ゼロを撮影する人達2
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いまだ厳戒態勢の証券取引所
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バッテリーパークのちょっと北から、リバティーコートまでの一部が開放されていた。私のお気に入りスポットから、自由の女神の横に沈む夕日を見る。
つい1ヶ月ちょっと前まで、(今はボランティアのテントが集まる)ハウストン通り西を起点にして、“今は軍のフェリー乗り場になってしまった”ハドソン川沿いを通り、“今は破壊された”ファイナンシャル・センターで途中水を飲んだりして、この取っておきスポットに来ていた。ここで少し呼吸を整えて(休んでばっかし?)、終点は、“今や軍の占領地で立ち入り禁止となってしまった”バッテリーパーク。ここのスタッテン・アイランド・フェリー乗り場を折り返し地点として、また家まで走って戻る、というのがお気に入りのルーティーンだった。今日みたいに暑すぎず、寒すぎない様な天気の日は、それこそパーフェクトなジョギング日和だったのになぁ…。

<< Battery Park City at 6:00 pm >>

WTCすぐ脇にある友人のアパート
(左側、一番高いビル)
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私のお気に入りスポットからの眺め
自由の女神(左)エリス島(右側)
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新しい地下鉄の内部
(まだまだ一部運行ですが)
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チャイナタウンで新たに4人が合流し、いつのまにか大勢での夕食会。9月11日以降、初めて会う人との会話は、どうしても”あの日はどうしていた?”というトピックで始まる。そして、序々に友人・知人の話に飛び火してゆくのだが、それにしても、9月11日を境に仕事をやめちゃった人って、思ったより沢山いる様だ。理由は勿論、人によってそれぞれさまざま。元々やめたかったとか、これを機会に他のことをやろうと思ったとか…。「人間、いつ死ぬか分からないから、やっぱやりたいことは今やっておこう」っていう人がおそらく大半だと思うけど。それど、これを機会にNYから引っ越して行ってしまった人もけっこういる。彼らの目的地の殆どは西海岸だから、ここより安全だなんていう保証は勿論ない。やはり皆、ただ何かきっかけが欲しかったのだ。
“あの日”を境に、何かが音を立ててピキッとヒビ割れてしまった。コレは、ホントに私の周りだけかもしれないので、一般的と取られると困るのだけれど、やっぱり昨日集まった無類の映画好き連中も、あの日以来、劇場で映画を観る気がしなくなってしまったという。ショッピングもする気がしないし、TVを観る気も、音楽を聴く気も失せてしまったとか。それは、”9月11日に起きたことへのショック”というより、”自分達は、後戻り出来ない殺し合いの時代に突入してしまった”という絶望感の方が今は大きい様な気がする。

ご存知の様に、FBIは「ここ数日のうち、米国や米国の機関を標的にした新たなテロのある可能性がある」と発表している(そのお陰で、昨日日本へ帰るはずだった友人は、また取材の為にNYへ残ることになってしまった。ソレって、危険な場所にみすみす残れってコトですか(^_^;)?報道の仕事って、つくづく命がけなんですね〜)。
一昨日からの炭そ菌騒ぎには、私も決して無縁ではない。炭その送られて来たNBCやニューヨーク・タイムスと、私の会社は目と鼻の先。郵便配達のオジサンも同じ人という可能性が非常に高い。おまけに私ってば、NBCに炭そが送られた2週間前から熱や咳などの似た症状が続いているので(ここ2〜3週間のゲストブックを読んでみて下さい(^_^;)、友達から「ソレって移らない?」なんて避けられてしまう始末。確かに2〜3週間前から、耳の中に怪しげなデキものもデキているので、全部つじつまが合ってしまってコワイくらい…。友達も一人NYタイムスにいるし、あ〜不安なご時世だなぁぁぁ。
もう何を考えてもキリがないので、テロ直後、会社を辞めようと決意した人達みたいに、前向きに“他の人生”みたいなのも考えてみようと思う。あと3日でスイス&オランダへ2週間行ってくるので、いろいろ考えるにはちょうど良い機会かもしれないし…。

One Month and 6 Days After...
Oct 17, 01 (corbis.comというロゴの入った写真は、
Yahoo Gallery.comより。)

今、JFK空港からこれを書いている。離陸まであと1時間とちょっと。
テロ事件が起きて以来、それまで2時間前までにと言われていた到着時間が3時間前になった。何だかんだで会社を出た時間はもう離陸時間3時間前。やはりテロ事件以来、マンハッタンとその他の地域をつなぐ橋やトンネルが閉鎖されたり規制が厳しくなったりしているので、それまでなら1時間で着いていたJFKまでもの凄く時間がかかってしまう様になった(下手するとマンハッタンを出るだけで1時間かかってしまう時もあるらしい)。そこで、今日ランチ時に会ったTのアドバイス通り、この8年間で初めて電車を使ってJFKへ向かう(地下鉄でも行けるけど、こちらもめちゃめちゃ時間がかかるので)。
ペン・ステーションまで地下鉄で行って、そこからロング・アイランド鉄道に飛び乗る。大抵の電車はジャマイカという駅がクィーンズ地区の一番最初の駅。ラッシュ時で5.50ドルだからオフピークの時はもっと安いはずだと思う。ジャマイカの駅からタクシーへ乗ればすぐだから、”荷物の軽い時”はこのルートはかなりお勧め。ただし、階段の乗り降りが多いので、荷物が多い時は地獄だ〜(^_^;)。今回、荷物の数は少ないものの(…っていつものことですが)、旅行の目的が”お勉強合宿”(?)なので、本が何冊も入っていてめちゃ重かった(^_^;)。ちなみにジャマイカ駅からJFKまでのタクシー代は12ドル。マンハッタンからタクシーでJFKへ行くと通常35ドルはかかるから、料金半額でしかも早い!ちょっと得した気分になった。

私は安チケットでの旅行が多いので、NYに近い空港ではNJ州にあるニューアーク空港を使うことが多い。なので、出迎え以外でJFKに来るのは久しぶり。いや〜、新しくてきれいなのはいいんだけど、人が少なくて冷たい感じがする。スイス航空のカウンターには誰もいなかった。これじゃ〜倒産するわけだ(^_^;)。現在スイス航空はテロ前の50%の便数しか飛んでいない。今回私が予約を入れていたチューリッヒ行きの便もキャンセルとなり、先週この便に振り替えてもらったというわけ。う〜ん、焦って急いで来たけど余裕だった…(^_^;)。
さてさて、注目のセキュリティー・チェック。恥ずかしいけど、私思いっき〜りバカをやってしまった。勿論わざとではないけれど、いつもポーチの中に入れている小さなカッターナイフのことをすっかり忘れてしまっていたのだ…(ほんとにほんの小さいヤツなんだけど。長さ3センチくらいの)。カッターは勿論没収されただけでなく、空港のオバちゃんにしっかり怒られてしまった(^_^;)。しかも、もうちょっとで爪切りとか折りたたみ傘とか、挙句の果てにはとげぬきまで没収されそうになる始末。私がアラブ人男性だったら、飛行機乗せてもらえなかったかもしれない、マジで。それくらいソコには緊張感が漂よいまくっていた。私のカバンは、結局3回も機械で検査されたし、周りには少なくとも10人以上のマシンガン持った米兵が立っていたし。アレで突然打ち合いとかなったらコワイな〜、なんて彼らを横目で見ながらその場を後にした。

つい1ヶ月半前、テロ事件直前の9月1日から4日間、私はモントリオールへ旅行をしてきた。通常カナダ―アメリカの出入国審査というのは、メキシコ程ではないものの、他の国々と比べると異常に厳しい。それでもテロ前だったので、今日とは比べモノにならないくらい楽だった。スイスなんて、安全そうな国この上ないのに…。
けど、正直に書こう。やっぱりアラブやムスリムの人達が同じ飛行機に乗って来ると、実際に沸いてくる恐怖感を否定することは難しい。NYの人達は、9月11日の朝、テロリスト達がセキュリティー・チェックを通り過ぎる防犯カメラの映像を、TVや新聞で何度も何度も見させられてきた。その”トラウマ”(?)って、やっぱりどこかに刷りこまれているんだなぁ、と思う。出発直前に友達が送って来たメールに、「アラブ人が5人並んで座ってたら注意しなね」というフレーズがあって、勿論彼女は冗談のつもりで書いたのだけれど、私はけっこうそれに激怒してしまっていた。ソレって、”言ってはいけないジョーク”じゃないの?って。けど、"What a hypocrite I am !!!"。

空港の待合室に設置されたTVのCNNでは(私は、CNN以外のチャンネルを放送している空港の待合室を、アメリカではまるで見たことがない。コレって、独占契約か何かしているの???)数日前から拡大化している炭疽菌騒ぎのニュースで持ち切りだ。今日は、新たにABCやパタキ州知事のオフィスでも炭疽菌の感染者が報告された。いまや感染者の数は毎日増えるばかり、こんな時にのうのうと外国に行ける私はやっぱり幸せ者なんだろうなぁ。
トイレに入っていたら、いきなり名前を呼び出されてしまった。まだ離陸の30分前だよ〜(私は飛行機の狭い席が嫌いなので、いつもギリギリ前にならないと搭乗しないのデス)。よっぽど乗客が少ないのかな?と思っていたら、ゲートを抜けてから、なんともう一度身体検査があったのだ〜〜〜!コレって私がトイレなんかに入っていたから疑われたのか、それともくまなく全員にやっていたのか。カバンも再度全部チェックされました。う〜ん、凄い念の入れ様だよね。コレはさずがにテロ前にはなかったでせう。

当たり前のことなんだけど、無事に離陸。窓側の席だったので、摩天楼のネオンがよく見えた。やっぱりこの景色、いつもと違って何だか感慨深いモノがあるなぁ。くどいけど、やっぱりあのツインタワーがなくなっている。マンハッタンのスカイラインは、もう永遠に元に戻ることはない。
飛行機の中は思っていたよりガラガラというわけではないものの、やっぱりすいていた。後ろにユダヤ系の人達の団体がいる。普段なら「あの人達って興味深い」っていう目で彼らを見ていた私なのに、今はその見方が全然変わってしまった。「まさか、テロリスト達がユダヤ人に化けていないよね」とか(彼らは非常に独特な格好をしているのです。映画「スナッチ」で、冒頭の銀行犯達が変装していた姿がソレ)、「ユダヤ人が乗っているなら、私達まで狙われる?」みたいな。そんな考え、つい1ヶ月前まではまるで浮かんでもこなかったというのに。そういう私だって、見渡す限りこの飛行機の中では、たった一人のアジア人。周りにどう思われているかなんて、分からない。実はけっこう、気味悪がられていたりしているんだろうなあ…。

おまけ:空港では殆どの場所で写真撮影が禁止されていたので…。


空港待合ロビーでネットにいそしむビジネスマン達
(暗くてすんまそ〜ん)

---"Travel Section - Basel and Amsterdam"へ続く---

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