*** mook's US watching 2001 f ***

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Eighteen Days After...
Sep 29, 01

昨夜も夜遅く(朝早く?)まで飲んでしまったので、重い頭で起床。昨夜から始まったNY映画祭で上映される「ふたつの時、ふたりの時間」を観に、リンカーン・センターへ向かう。

“あの日”以来、鞄の中には二つの持ち物が増えた。一つは極ミニ携帯ラジオ、そしてもう一つはクレジット・カードの請求書。今回の事件で、TVより何よりラジオの情報がいかに貴重なものかが良く分かった。平静に戻ったとは言え、街にはまだ「次はいつ来るのか?」という緊張感も拭えない。ミニ携帯ラジオの売れ行きは、今うなぎ上りに増えているのだそうだ。
そして、クレジット・カード請求書のコピーは、身分証明書&住所証明の代用品。勿論パスポートを持ち歩いていればいいに越したことはないが、やはり下手に持ち歩いてなくしてしまいたくないし…(でもあの日以来、パスポートは人に説明して分かり易い所へ置く様になった。何かあればルームメイトか誰かに持って来てもらえるように)。私のクレジットカードには顔写真が付いている。そして、その顔写真付きのクレジットカードの請求書には、私の住所が書いてある。つまり間接的だけど、両方を一緒に見せれば私の住所の証明になるというワケ。もし自分のアパートが立ち入り禁止区域になってしまった時、見せられるモノと言えばこれくらいしかないから…。「備えあれば憂いなし」と言うけれど、こんなモノが役に立つ事態には、つくづくなって欲しくない。

<< Lincoln Center at 12:00 pm >>

いつもと同じ垂れ幕の隣りに星条旗
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左から、通訳さん、蔡明亮、李康生。フラッシュたいても暗い…。
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李康生とツーショットの私♪
拡大は…出来ません(^_^;)

さて、NY映画祭へ足を運ぶのは、今年がこれで7年目。もう18日も経ったというのに、9.11の影響はやっぱりあった。一つは、毎年使われる横断幕の隣りに、星条旗が張られていること。少なくとも過去6年間で星条旗を見た覚えは一度もない。二つ目は、入場者全員への荷物チェック。これも映画祭に限らず、リンカーン・センターへの入場では初めてのことだと思う。
そして三つ目は、会場が満員にならなかったということ。例年NY映画祭は、映画祭の始まる前までに多くの上映がソールド・アウトになってしまう。ところが今年はやはりテロの影響で、国内からも海外からも映画祭を訪れる人がぐっと減ってしまった。今年映画祭が始まる前までにソールドアウトになったのは、オープニングの「Va Savoir!」と、クロージングの「In Praise of Love」、そして「The Royal Tenenbaums」の三作品だけだったと聞いている。コレはホントに異常な事態だ〜〜〜。

ともあれ、「ふたつの時…」は期待を裏切らない大満足の作品だった。上映後には蔡明亮監督のQ&Aがあり(私は前から二番目の席に座っていたので、質問者の一番手となった)、会場の外ではミーハーにも主演俳優の李康生からサインをもらってしまう(^_^;)。本当は監督のサインも欲しかったけど、蔡監督はすでに何処かへ消えてしまっていた…(T_T)。

(写真右:NYU内でのAALDEF主催「スピーク・アウト」)

時計を見るともう3時を廻っている。タクシーを飛ばしてNYUへ向かった。この日1時からは、先週ミーティングに参加したAALDEF主催のピース・マーチがワシントン・スクエアで行われていたのだが、それは完璧に逃してしまった。マーチの後、4時まで行われていた「スピーク・アウト(マイクの前で言いたいコトを言う、というだけのこと)」には、何とかすべり込みでセーフ。その後、10月22日に行われる全米規模の平和イベントの話合いも少しあった。
今回は前回にも増して学生の参加が多く、非アジア人、特に黒人の参加が多かった様な気がする。顔見知りの連中に挨拶して、友達とDOJO(NYU近くの安ダイナー。日本料理があるのに、全然日本食屋さんっぽくない)で遅〜いランチ。

彼女は、先に書いたWTCから2ブロックのマンションに住む友人のお姉さん。今、彼等はデラウエアから帰って来てホテル暮らしをしている。ホテル代は勿論、会社からも政府からもカバーされない。政府から出たお金は全部で2000ドル(=約24万円)。これはその界隈に住む9000人の人々へ支給されたそうで(でも、それだけでも総額20億円以上という計算になる)。
彼等のアパートにたまった灰は、TVやコンピューターを全て使い物に出来なくし、部屋全体をクリーニングするには、それだけで3000ドルもかかってしまうという(灰がセメント状に固まってしまったので、プロの業者にやってもらわなければ取れないそうだ)。アパートに住めない間、家賃は払わなくてよいものの、この先家賃が下がるというわけでもない。言うまでもなく、そのマンションを出て行く人は多いそうで、その界隈全体の家賃がガタ落ちするのは必至のはずなのに(確かに瓦礫の山を目の前に見ながら生活するのは、かなり気が滅入るに違いない)。

(写真左:フレンチ・レストラン「カマーシエ」店頭の旗。この写真の撮影は10月1日)

DOJOを出たその足で、クリストファー・ストリート界隈へ歩く。この近辺はゲイ文化の中心地で、つい最近までは反政府のシンボルみたいな所があったのに(30年くらい前まで、ゲイであることは違法であり、その界隈では逮捕者も出ていた)、ここにまで“星条旗ファッション”を見つけてショックを受けてしまう。アメリカの反骨精神は、いったい何処へ行ってしまったのだろ〜か???
私の知っている範囲で“星条旗を掲げるコトに反対している店”は、このHPに度々登場する「カマーシェ」の一軒しかない。彼等は、地球を真ん中に置いた宇宙の旗を店の前に掲げている。日本ほど町内会や商店街の結束は固くないNYだが、「カマーシェ」がこの界隈のレストランからつまはじきにならないコトを願うばかりだ。

さらにもう一人の友達と待ち合わせして、6時半から「赤い橋の下のなまぬるい水」を観る。てっきり今村昌平監督が舞台挨拶に来るものとばかり思って10ドルのチケットではなく、14ドルのチケットを買ったのに、やはりテロの影響があってか、監督は来米していなかった。せっかく会場はほぼ満員だったというのに…。

さらにもう一人の友達が合流して、5人で中華を食べに行った。話題の中心は、やはり「9.11後」(ナイン・ポイント・ワンワンまたはイレブン。この時集まった友達は、皆こういう呼び方をしていた)。大なり小なりこの数週間、やはり皆の食欲は減退していたらしい。「こんなにお腹一杯に食べたのは久ぶり〜」と皆が口を揃えていう程、私達はバラエティな料理をたらふく食べた。
その夜、ブルックリン・ウィリアムズバーグで知り合いのバンド演奏があったが、風邪がまだまだ治っていないのでそっちはパスして、やはりパスしたもう一人の友達とイーストビレッジへ飲みに行った。途中、ユニオンスクエア近くにある彼女の家へ寄る。

噂通り、すっかり片付けられてしまったユニオン・スクエアを見た(夜も12時近くだったので、写真には撮れなかったけど)。まだまだキャンドルは沢山あるし、2〜3日前に片付けをした後に持って来たのであろう、幾つかのモノはあった。けれど、ジョージ=ワシントン像に付けられていた非核の旗や、あんなに沢山あった垂れ幕が全てはずされている。
確かにユニオン・スクエアは市の公共地であるので、市が清掃をするのは当然のこと。でも、いくらなんでも全部はずして捨ててしまうのはあんまりなのではないだろうか?前にも書いた様に、ユニオン・スクエアは「反戦」アーティスト達の拠点でもある。そう言った理由で、彼等のアートが撤去されてしまったのなら、それは許し難いことだ。「自由の国・アメリカ」のすることではない。
それでもやはりユニオン・スクエアに集まって、そこに自分の思っていることを落書きしたり、自分の思いを表現したアートを持ち込む人々は、今後も、いつまでも絶えることはないだろうと私はかたく信じている…。

Twenty Five Days After...
Oct 06, 01

2週間以上も治らない風邪を引きずりつつ、NY Mets vs. Montreal Exposのナイター試合を観に行った。2ヶ月前に見そこねた新庄選手が見たいというのもあったけど、今回のテロ後、野球界(?)にどんな変化が見られるかというのにも、凄く興味があったから。
シエア・スタジアムへ向かう地下鉄の7トレインは、マンハッタンを出ると地上を走る。今日はとても天気がよくて、マンハッタンのスカイラインがキレイに見えていた。北から、シティコープ、クライスラー・ビルディング、エンパイア・ステート・ビルディング、そして…その下にいつもは見えていたツインタワー。当たり前だけど、今日はもうなかった。

<< Shea Studiam at 8:00 pm >>

電光掲示板の上に大きな星条旗。
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つい2ヵ月前には各チームの旗だったのに
今は全部星条旗。(右上)
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立ち上がって星条旗を振るお兄ちゃん
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駅に着いたのは、試合開始のギリギリ前。チケット売り場に並んでいたら、チケットを沢山持ったおじさんが、33ドルのチケットを20ドルで買わないかという。チケット上の日付がステッカーで直してあったので、最初ボラれてしまったのかと思いちょっとあせった(^_^;)。けど、テロが起きた直後、メッツの試合は2〜3試合中止(延期)になっていたのだ。お陰で私達の観た試合=Game74の日付はズレてしまっていたというワケ。う〜ん、こんな所にもテロの影響が…。
球場へ入るとまず真っ先に目に入るのが、電光掲示板の上の大きな星条旗。コレは2ヶ月前には絶対なかった。そして、各ベンチの前にあったはずのチームシンボルの所も、星条旗リボンのマークに変わっている。少し経って気が付いたが、外野席のてっぺんにあった各球団の旗が全部星条旗に変わっている。いくらなんでも、ココまでやるかなぁ。アメリカから“多様性”や“バリエーション”という言葉は消えてなくなってしまったのだろうか?どこを見ても星条旗“一色”しかない。

それまではチームのシンボルがあった所に
星条旗のリボンマークが。
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ピンチヒットの記録を達成したLenny Harris
を囲むメッツの選手達。
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私の好きなJoe McEwing♪
顔、見えないですね(^_^;)
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国家斉唱と“America is Beautiful”が歌われた後、プレイボール。今夜の試合は完全に消化試合なので、アリーナや上の方の席はガラガラだった。Mets一のスター選手、マイク=ピアッツアも一回バッターボックスに立っただけで引っ込んでしまうし、何てったってお目当ての新庄選手が出て来ない!!!一緒に行った友人(例のTVディレクター。ジャケット1枚しか持ってこない程あわてて来たのに、結局一ヶ月の長期出張となった)は、7月に来た時もわざわざ新庄選手を目当てで見に来たのに、つくづくついてないとしか言い様がない(ちなみに新庄選手は、翌7日の最終試合にはしっかり出場してた(^_^;)。私の好きなジョー=マッキュゥイングは、2ラウンド目からの出場。でも遠くって顔なんか全然見えなかった…。

5回裏の後、“God Bless America”の合唱。もちろんコレも2ヶ月前にはなかった。ちなみに今、選手達はMetsの野球帽でなく、“FDNY(NY消防庁)”の帽子をかぶって試合に臨んでいる。
代打選手のレニー=ハリスがピンチ・ヒットの記録を達成。さすがに今日試合を観に来ている連中はよほどのMetsファンらしく、彼がヒットを打った瞬間、観客全員が総立ちした様な気がする。連休の一日目というコトもあり、ナイターなのに子供の数も多かった。

5回裏、"God Bless America"が歌われる。
下にFDNY(NY消防庁)、NYPD(NY警察)の文字も
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結局誰だったのかよく分からないけど、
"God Bless America"をマイクで歌う人。
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試合終了。左から6番目が新庄選手。
拡大して見ても分からない(^_^;)。
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試合は結局、4対0でMetsの勝ち。つい先月モントリオールへ行ったばかりなのでモントリオールもけっこう応援していたのだけれど、まぁ、あの子供達の悲しむ顔は見たくないから、良しとしませう。
球場からTに電話。先日、CBSの「60ミニッツ」で使われたフッテージを、友人の番組で使えないかという話が出たが、他の日本の報道機関からもオファーが来ているのだそうで。彼の映像が日本でも流れるのかと思うと、何だか凄くヘンな感じ。

会場の外で新庄選手を見る。ちょうどその時友人がそばにいなかったので、それが新庄選手なのかどうかすぐには分からなかった。思っていたよりずっと小柄。何でも隣にいたのは元タレントの奥さんらしいけど、顔も名前も知らないので…(^_^;)。
その後は、チャイナタウンの“Congee Village”にいっておかゆを食べたい気分だったけど、マンハッタンに帰って来たらもう夜中だったので、“Kang Mi Ok”のソーロンタンを食べに行った。 やっぱりまだまだ脂っこいモノは受け付けないな〜。

Twenty Six Days After...
Oct 07, 01

今日はセント・ヴィンセント病院からユニオン・スクエアまでのピース・マーチがあったが、昼間は大事な国際電話を待っていたので、午後まで家から出ることが出来なかった。やっと自由になったものの、今日はブルックリン美術館で行われていた“My Reality 〜 Contemporary Art and the Japanese Animation”の最終日。友達と約束もしてしまっていたので、渋々ブルックリンへと向かう。
実はこの特別展にはあまり気乗りがしていなかったのだが、意外に充実した内容だったので大満足。アメリカでは有名な三大作家、村上隆、森万里子、奈良美智を初め、鳥光桃代、カトウ=ミカ、ヤナベ=ケイジ等の日本人アーティストの他、ポール=マッカーシー、トム=サッチズ等、有名どころの作品も沢山あった。ブルックリン美術館は、小粒の作品ながらスパイスの効いた展示が多く、日本のアーティストも精力的にカバーしている。2〜3年前は、森万里子の個展をやっていたし、一昨年くらいは安藤広重の「富岳百景」を全コレクションした展示会に度肝を抜かれた覚えがある。

<< Brooklyn Museum at 4:00 pm >>

現在改装中のブルックリン美術館。
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"Contemporary Art & Japanese Animation"展入り口。
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まだマーチの最後に間に合うかなと思い、取り敢えずユニオン・スクエアへ向かったがすでに遅かった。それにしても、2週間前と比べるとユニオン・スクエアの姿はすっかり変わってしまった(ある意味、元に戻ったという言い方も出来るけど)。
ジョージ=ワシントン像にあった無数の落書きや張り紙は全て消えているし、階段の所にあった手作りアートや寄せ書きも全て撤去されている。G=W像の前にある金網付近に、わずかにキャンドルやビラが残っているだけだ。ビラの一つには「Stop the Violent Circle」と書いてあった。

<< Union Square at 6:00 pm >>

10日前、全ての寄せ書きやアートが
撤去されたユニオンスクエア。
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それでも中央のキャンドルが
絶えることはなかった。
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お経を唱える
チベットのお坊さん。
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9月18日のG=ワシントン像。
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張り紙や落書きが全て消えた今日のG=W像。
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家に帰ると、アメリカが遂にアフガニスタンへ攻撃を始めたと言っている。そのあおりを受けて、一旦9月16日から今日へ延期になっていたエミー賞の受賞式が、またもや中止になってしまった。アメリカは遂に本格的に“戦時下”に入ったと言うわけか。
エミー賞受賞式の穴埋めとして、ダン=ラダーによる「60ミニッツ」特番が放映されていた。私のTVはいまだにザラザラの画面しか映らず、テロップなんか読めたモンじゃない(写真がうまく撮れてないんじゃなくて、本当にこんな映りなのデス)。

<< My Apartment at 8:00 pm >>

ダン=ラダー(左)とCBS英国特派員。
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演説するブッシュ大統領。
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今日の爆撃では、少なくともトマホーク巡航ミサイル50発が使用され、20人以上の民間人が亡くなったという。その20人がアメリカに一体何をしたというのだろう?オサマ=ビン=ラディンは、爆撃の後もピンピンして延々と演説と行っていたというのに。この爆撃に使われたトマホークの総額って、一体幾らになるのだろう?武器は、どんなお題目を唱えても、人殺しの道具であることに変わりはない。しかも巨額の税金が一瞬にして消えてしまうだけだ(私の払った税金だって入ってる!!!)。どうしてその分のお金を、テロから立ち直る為の復興費に使えないのだろうか???コレで将来、不景気が深刻になったら、責任はテロの張本人達だけにあるのではない。アメリカ政府にだって責任は十二分にある。結局、税金を湯水の様に使う政府要人や軍人達には、痛くもかゆくもないことかもしれないけれど、コツコツ税金を払っている私達から見れば、あんな人殺し兵器の為に膨大な税金を無駄にされるのは納得がいかないに決まってる。

TVから映し出される深夜の爆撃映像は、全く持って湾岸戦争のソレだった。“敵の顔”として映し出されるビンラディンの映像も、サダム=フセインのソレと雰囲気的には殆ど変わりがない。アメリカは、10年前にやったコトをまた性懲りもなく繰り返すのだろうか?(まぁ大統領二人共、親子だし…)あまりにもバカバカしくって全て忘れてしまいたいくらいだけれど、困ったコトに私は今その救い様のない国で生活している。
明日の月曜日は、コロンブスがアメリカ先住民を侵略する先陣となって米大陸へ辿り着いた“コロンバス・デー”。例年なら、コロンブスを非難する先住民団体がデモを行ったり声明を発表したりする日だが(勿論、一般的には5番街でのコロンバス・デー・パレードが一番有名)、今年はそれどころではなくなってしまった。街には“Highest Security”が敷かれ、緊張がまた一層高まっている。軍用機の音も、再び空から聞こえる様になった。NYが静かな一ヶ月前の姿に戻ることは、もうないのだろうか…。

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