*** mook's US watching 2001 d ***

Go to: Sep 11th, 12th, 13th, 2001
Go to: Sep 14th, 15th, 16th, 2001
Go to: Sep 17th, 18th, 19th, 2001

Go to: Sep 23, 2001-

Nine Days After...
Sep 20, 01
(写真右:今週号People誌の表紙)

今日は所用があったので、お昼に59丁目と9番街へ行く。ついでなのでセント・ルーカス病院まで足を伸ばしてみた。ここは随分と現場から離れているが、やはり沢山の被害者が入院している。急患の入り口には所狭しと「尋ね人」のビラが張り出されており、日本人の行方不明者のものもあった。病院の正面玄関ではお昼休みで談笑しているお医者さんの後ろに「Thank You」の横断幕が見える。

実はこの病院には5年前、ちょっとした手術でお世話になったことがある。当時のことはあまりよく覚えていないが、あんなに病院内部がシャッターでさえぎられていた覚えはない。廊下では1ブロックごとにシャッターが閉まっており、いちいちそのドアを開けていかなければならないのだ。コレって、非常時には皆閉められてしまうんだろうなぁ…。

.

*** 写真をクリックすると拡大します。 ***
Click the Pictures to enlarge

<< St. Lucas Hospital at 1:00 pm >>

セント・ルーカス病院の入り口にびっしりに貼られた
行方不明者達のビラ
病院前で雑談するお医者さん達
奥に、彼らを称える「Thank You」の文字が見える

病院のすぐ向かいに、Jhon Jayカレッジという小さな学校がある。入り口にいきなり志願兵を受け付ける出張所(?)が出来ていたので驚いた。横には軍専用の特設掲示板まで設けてある。全米のカレッジで、実は至る所にこんな光景が見られるのかもしれない。
帰りのタクシーで運転手だったおじさんは、生まれも育ちもNYだという(それって、けっこう珍しいと思うけど)。今回の事件、そしてこの一週間の緊張感は、ベトナム戦争や湾岸戦争の時とは比べ物にならない程タイトなものだと言っていた。ベトナム戦争でも、湾岸戦争でも、敵はいつも海の向こうにいたからだ。それが今回はいきなり自分達のシンボルが破壊され、まだまだ敵は自分の隣りにいるのかもしれない。別れ際、彼から「Stay Safe」と言われた。最近は、見知らぬ人同士でもこうやって声を掛け合うことが多くなった様な気がする。

John Jayカレッジ入り口に設けられた
志願兵の受け付け
やはりカレッジの中に設けられた
軍に関する掲示板
59丁目と9番街の
スターバックス

夜には大統領の特別演説があったが、私はこれを観ながら前のルームメイトKと電話で話をしていた。彼は今年の春にNYUの政治科を卒業し、今は政治コンサルタントの会社で働いている。今回のテロで仕事が減ったという友人が多い中、以前にも増して忙しくなったという数少ない知人の一人だ。彼のルームメイトは現在NYUに通っているのでNYUの話を聞いたが、NYUはとにかく大変だったらしい。寮の一つが立ち入り禁止区域にあったので、ジムを生徒達の宿泊所として開放したり、非常対策に追われることの方が多かったそうで。その点、コロンビア大学は現場から随分と離れていたので、学校全体のダメージは少なかった。

ところでNY市内にある大学では、規模や人数の多さから言ってNYU(ニューヨーク大学)とコロンビア大学は二大大学と呼ばれている。外から見ると、とかくライバル校同士と思われがちだが、この二校の特色は明らかに違う(私の通っていた映画科もこの二校の特色は全く違います。その辺りはいつかまたゆっくり書いてみたいのですが)。今回のボランティアに関して言えば、社会福祉やカウンセリングなどの分野で勝っているNYUは(コ大にも、その学科はあるものの)こちらの分野で大活躍し、コロンビアは医学部生を多く送り込んだ(NYUにも医学部はありますが)。

政治的な動きを見ると、コロンビアで運動している連中はベトナム反戦を知っている白人ヒッピー系が多く(つまり中年以上が多い)、NYUで運動している連中は、若い世代のマイノリティーが多い(ちなみにNYUは全米一の留学生を抱え、マイノリティーの%も非常に高い)。お互いの学校がお互いの特色を生かしながら、協力してやっていければいいなと思う(少なくともNYUとコ大の映画科は、随分と合作映画を作っているのです。お互いの特色を生かしながら)。

またまた随分と話が脱線してしまった…。明日はNY市全体としては初めての、全平和団体が集まるピース・ウォークがある。

Ten Days After...
Sep 21, 01
(写真右:NYタイムス9月21日第一面)

今日の寝起きは最悪だった。昨日の夕方から痛かった喉が腫れ上がっている。熱もかなりある様だし、先週末、生まれて初めて体験した腰の痛みが今日は最高潮に達していた。おまけに昨夜は朝3時半頃ベッドに入ったと思ったら、朝5時から6時半頃まで激しい雷雨が続き、睡眠も殆ど取れていない。トイレに行っても腰が曲がらず、座るまでに5秒くらいかかってしまう情けなさ。
普通の日だったら絶対に会社を休んでいたことだろう。でも、ここで寝込んでしまうと夜になっても起き上がれないことは分かっていたので、薬をかき込む様に飲んで、気力だけで出社した。幸い今日は忙しい日ではなかったので、お昼を過ぎる頃には大分楽になった。

ちょっと早目に会社を出てユニオン・スクエアへ向かう。今日のピース・ウォークの集合時間は夜6時。すでに沢山の人々がプラカードを持って集まっていた。犬や子供を連れている人も多い。日本の報道陣も沢山来ていたので、TVや新聞でご覧になった方も多いと思う。

<< Union Square at 6:30 pm >>

G=ワシントン像とE・S・ビルを背景に
enlarge picture
「生命が好き。戦争なんかぶっとばせ。」
enlarge picture
WTCのハリボテ
enlarge picture

enlarge picture
enlarge picture
enlarge picture

7時に人と会わなければならなかったので、行進の始まる前にそこを出て、行進が終わる8時過ぎにマーチの終着点であるタイムズ・スクエアで合流した。ところが42丁目とブロードウェイに差し掛かった所で警官に止められてしまう。それまでマーチは二手に別れており、ちょうどその交差点で合流したので、ESPNショップの前はもの凄い人だかりとなった。
「Please Stop the War、No More Victims(戦争はやめて下さい。もう犠牲者は出したくない)」「Bush says War、New York Says Peace(ブッシュは戦争と言うが、NYは平和と言う)」等のシュプレヒコールが、耳鳴りのするくらい響き渡り、こだまする。正確な数は分からないけれど、1000人以上はいたはずだ。勿論、NY全体の人口から見ればごく一握りの人数でしかないのだけれど、それでも同じことを思っている人達と声を上げることが出来るというのは、けっこうストレスの解消になる。私もただでさえ痛い喉がさらに枯れるまで叫びまくった。

<< Times Square at 8:30 pm >>

マーチ先頭付近の人々
enlarge picture
警官に止められる
enlarge picture
道の反対側にも凄い人
enlarge picture

私と一緒にいた一群の一人に、今年のアジアン・アメリカン映画祭のチェアマンを務めたエンジェル=ショーがいた。彼女は、実は私の恩師でもあるのだが、今回の一連の動きをドキュメンタリーに撮っている。マーチが終わった後、いきなりインタビューをされたのだが、その質問がとても難しくて返答に困ってしまった。「非アメリカ人として、今の状況をどう思うか?」「何が貴方をこの運動へ駆り立てるのか?」という二つの質問。う〜ん、19日の日記にも書いた様に、この辺りの複雑な気持ちには自分でも全く整理がついていないので、答えに窮してしまった。詳しくは覚えていないけど、「ここに8年間住んでいるレジデンスとして…」みたいなことを適当に答えてしまった様な気がする。自分の考えがまとまったら、もう一度インタビューしてくれないかなぁ…。

朝日新聞9月22日の記事

enlarge picture
enlarge picture
enlarge picture

その他、もう2枚の写真をこのページにアップしています。

例の日本人ディレクターとマーチで合流するはずだったのが、警官の道路規制で結局落ち合うことが出来ず、マーチの後にやっと会えた。そのままタクシーで「カマーシェ」へ直行。二人の共通の友人に国際電話をした。彼はその時、ちょうど4大ネットワークが放送していたチャリティー番組を観ていたという。ああ、そう言えば今日だったと思ったが、うちではどうせTV映らないもんなぁ…。

日本から来ている友人は先週の土曜日にNYへ着いたのだが(直行便が出る前のトロント経由便でNY入り)、報道パスを取るまでに12時間も並んだという。各国から報道機関が来ているというのに、パスを出す人が3人しかいなかったのだそうで…。
なんて事を話しているうちに、こちらで撮った映像を衛星回線で送らなくてはならなくなり、彼はまた仕事へ戻っていった。この日、他の友達のパーティもあったが、まだまだ朝の熱が引けていない様なので、トップページの1枚だけ写真をアップしてさっさとベッドに入った。

Eleven Days After...
Sep 22, 01
(写真右:今週号Village Voice紙の表紙 )

朝、昨日撮った写真をアップしていたらもうお昼。人と会うので、コロンビア大学へ向かう。今日もデジカメを持っていたので、大学の中の写真も何枚か撮った。私が卒業してから新しい学生会館が出来たり、図書館の中身がリノベーションされたり、良くなったことこの上ない。後5年遅く学校へ入っていたらと思うと、悔しくて仕方がないくらい。この悔しさを同期の友人とも分かち合おうと思って、それらの写真をアップする。空しいと言えば空しい作業…(^_^;)。

<< Columbia University at 1:00 pm >>

旧図書館前。
enlarge picture
メイン図書館の1階。
enlarge picture

他のコロンビア大学の写真はこちらのページにアップしました。

弁護士が中心になっている組織、Asian American Legal Defense(以下AALD)のミーティングが79丁目にある自然史博物館であるというので行ってみたら、会場がNYUに変わっていた。
ダウンタウンへ下りるついでに72丁目のストロベリー・フィールドへ寄り道する。ここはご存知の様に、ジョン=レノンの住んでいたダコダ・ハウスのすぐ前にあり、彼の歌にちなんだ「Imagine」の碑がある所。先週TVのニュースで観た時は、花とキャンドルで埋め尽くされていたのに、今日行ったらキャンドルがたった一つ置かれているだけだった。

<< Strawberry Field at 2:00 pm >>

先週の花やキャンドルは片付けられて
キャンドルが1つだけ置かれていた。
enlarge picture
「God Bless NYPD(NY警察)」
「USA Rocks」と書かれた車。
enlarge picture
「ゴットファザーのテーマ」を
哀しげに弾くおじさん。
enlarge picture

NYUに着くと、ミーティングはすでに始まっていた。コーキーやKの両親、Asian American Art Allianceのリリアンなど、知った顔も多かったが、参加者の多くがNYU法学部の学生の様だった。
基本の議題はアジア人として「ヘイト・クライム(差別意識によって起こる犯罪)とどう立ち向かっていくか」ということ。AALDのメンバーによってすでに色々な事例が報告されている。ターバンを巻いているだけで襲撃やいやがらせに会うインド系の人達も沢山来ていたし、ムスリムの女性達も多く参加していた。
後半は各グループに分かれてメディア関係者との討論が行われたり、各ケースごとにどんな法が適用されるかの質疑応答があったりと、なかなか濃い内容のミーティングであったと思う。

<< Asian American Leagal Defence Meeting at NYU 3:00 pm >>

法学部生の参加が目立った
enlarge picture
メディアを交えての討論
enlarge picture
やっぱり女性の方が多かった様な…
enlarge picture

その後、夕方から友達と会うので帰り道にワシントン・スクエアで少し写真を撮って帰る。待ち合わせのアンジェリカ・フィルムセンターで彼女と合流して、Mottストリートにある「Café Gitane」というモロッコ・レストランへ行った。ここは新しいお店なのだが、料金も安くておいしかった。近いうちに「お気に入りレストラン」のリストへ加えるつもり。

<< Washington Square at 4:30 pm >>

左下に「NYは地球で一番
タフな街」と書かれている。
enlarge picture
いつもの様にパフォーマンス
の前に人が集まっていた
enlarge picture
まだまだ新しいキャンドルや花が
絶えない。
enlarge picture

彼女とは事件後初めて会ったので、やはり他の友達と同じ様に「あの日はどうしていたか」という話で盛り上がった。彼女はブルックリンのウィリアムズバーグに住んでいるのだが、ブルックリンからも煙はよく見えたそうだ。そして彼女もその時は私と全く同じ様に「何だ、ただの火災か?」と思って地下鉄に乗ったのだそう。そしてタイムズ・スクエアの南にあるオフィスに着いてから同時テロという事実を知って血の気が引いたとか。こういうパターンを辿った人って、実はけっこう多いと思う。

ビールを買って、二人でアパートの屋上で飲みまくった。南の空にはまだ煙がたち上っている。西の空に見える保険会社のビルにいつも灯っていた、傘のマークが消えている。北側にはエンパイヤ・ステート・ビルディングが見えるが、アメリカ国旗の色にならって青、白、赤にライトアップされている。この一週間で、ここから見える景色も随分と変わってしまった。いまだに信じられないよね、というのが本当の所なのだけれど…。

Sep 11th, 12th, 13th, 2001
Sep 14th, 15th, 16th, 2001
Sep 17th, 18th, 19th, 2001

Sep 23th, 2001-

----------------------
Back to the Room of "Peace for All"

Back to Japan & US Index

Back to Home