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Six Days After...
Sep 17, 01
(写真右:9月17日付けNYタイムスの第一面。写真は、ブルックリン・ハイツのメモリアル)

事件後初めての月曜日。ダウンタウンを除く殆どのオフィスは、この日から仕事が再開になった。うちの会社では、事件当日、イギリス、フランス、アイルランド、日本に社員がそれぞれ散らばっていたので、皆週末になるまでNYに帰って来ることが出来ず、社員全員が揃ったのは事件後この日が初めて。先週は海外からのお見舞いや無事確認の連絡が殆どだったが、今週はNYの関連会社から続々と無事確認の連絡が入る。お昼になる頃には、事件のことは忘れて普通に仕事をせよと、ラジオ禁止令までが出る始末(ちなみにうちの会社にはTVがないので、勤務中の情報は全てラジオとインターネットから得ていた)。

午前中、会社の方にTから電話が入る。14日に見つけたRayおじさんについての朝日新聞の記事を、ファックスで送って欲しいと頼まれた(Tのパソコンで朝日のサイトを見ても、文字化けするだけで何も印刷出来ないので)。今度は記事の全文を丁寧に英訳して送ってあげる。私には、本当にこんなことしか出来ないのだけれど…。
Rayおじさんの家族は、やはりせめて彼の何かが見つかるまで、お葬式は出したくないと言っている。ジュリアーニ市長が、彼を死亡者のリストの一人として発表したことに、ひどく腹を立てているのだそうだ。また、TVや活字メディアの取材攻勢が毎日激しくなるばかりで、どうしようもなく疲れ果てているらしい…。

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(写真左:お昼時のタイムズ・スクエア。上から二番目のボードに星条旗が)

残業が終わり、閉店寸前の紀伊国屋書店へすべり込む。うちの会社は読売新聞しか取っていないので、朝日新聞を買うためだ。先週の金曜日に来た時は、朝日だけが売り切れて読売新聞は40〜50部ほど売れ残っていたが、今日は朝日もまだ売り切れていなかった。

紀伊国屋書店の目の前にあるロックフェラー・センターで、何かがいつもと違うことに気が付く。そうだ、いつもカラフルにはためいている万国旗が全て降ろされている。あるのはビルの真ん中にある半旗の星条旗ただ一つ。これは異常な光景だ。こんなことは私がNYに住んでいる8年間で一度もなかった。何ていうことはない一時の光景かもしれないが、私にはかなりショックの大きいものだった。

<< Rockefeller Center at 7:00 pm >>

たった1本の星条旗だけが飾られた
ロックフェラー・センター(矢印の所にあります)。
万国旗が下げられて
旗のポールだけが林の様に並ぶ。
ちなみに普段のRFCはこんな感じ。
両側に万国旗が見えるでしょ?
紀伊国屋書店の入り口に貼られた
共同通信ニュース。

14日の日記にも書いた様に、私は一国家という枠組みには縛られたくない(勿論、それは私がアナーキストという意味ではない。だからこそ、政治に参加出来る最低限の権利である“選挙”には、これまでずっとこだわってきたつもり。詳しくはこちらのページを参照して下さい)。自分は国家や人種の枠組みを超えた一個人でありたいし、自分の周りもそうなってくれればいいなぁ、というのが私の願い。
だから、グローバルなネットワークを持つ巨大なテロ組織に、“一国主義”で立ち向かおうという“この国=アメリカの姿勢”が、私にはどうしても納得出来ないのだ。確かに、くやしいけれど、アメリカが強くて強大な国であることは誰もが認めざるを得ない(別に日本が一番強くなくたって、私にはどうでもいいことなんだけど)。けれど、「God Bless America」一色っていうのは、私から見ればこれ程傲慢な言葉はないと思う。WTCは、その名の通り“世界貿易センター”であったのであって、今回のテロでは、世界中の国の人達が犠牲になった。

(写真右:いまなお救助活動が続くため、 南側の空は照明で夜を徹して明るくなっている。白く見えるのは、いまだに燃えつづける煙)

こんな時こそ、世界中に張りめぐらされたテロリスト達のネットワークを、世界中の人達で一体になって何とかしなければならないというのに、アメリカが単細胞的に、感傷的、そして感情的になっていたのでは、何も始まらないのではないだろうか?Rayおじさんを含む、たくさんの犠牲者を出したこの事件を引き起こした人々・組織に対し、生まれてからこんな怒り・悲しみは経験したことがなかったという程、憤りを覚えるのは私だって同じ。だからこそ、彼らの犠牲を無駄にしない為にも、アメリカは唯我独尊的な考えを改め、もっと他の国々のことも視野に入れつつ対策を考えるべきだと私は思う。この先、私個人に出来ることは一体何なのだろうかと自問しつつ…。

(写真左:TIME誌特別号の表紙)

M5のバスを降りてHouston Streetを西へ歩く。南の空が照明で明るい。煙はまだ立ち上っている。夜の9時ごろから風向きが変わって、アパートの中までダウンタウン中のキャンドルの匂いが漂って来た。
TIME誌の特別号が届く。ご存知の様に、TIME誌の枠の色はいつも赤。それが初めて黒になっていた(少なくとも私が定期購読している6年間のうちでは初めてのこと)。広告が全くないので、異常に薄い。しかも34ページ目まで、記事は一切なくって写真のみ。何だか怖いくらい、いつもと違っていた。

TVは相変わらずCBSのみだが、夜10時頃、それまでぼんやりとNY1ニュースが映っていたチャンネル25に、PBS(公共放送)が映り出す(ナゾだな〜〜〜)。それでも相変わらず、人の顔も確認出来ないくらいザラザラの画面。CBS夜11時半からのデビッド=ラダーマン・ショー(「笑っていいとも」深夜版…とでもいいましょうか?)に、今回のニュース特番で殆どぶっ通しのアンカーマンを務めた、ダン=ラダーがゲスト出演していた。途中で彼が涙をこらえ切れなくなる場面もあり、改めて人々に残った傷の深さを見せつけられた。

明日は事件から、早くも一週間が経つ…。

Seven Days After...
Sep 18, 01
(写真右:9月18日付けNYタイムスの第一面)

あれからもう一週間が経つ。あまりにも目まぐるしい7日間だったので、まるでつい昨日の事の様にも思えるし、もう数年前の様な気さえしてしまう。午前8時48分、一機目の航空機が第一タワーに突入した時間。一週間前と全く同じ様に、私は会社へ行く準備をしていた。TVの生中継で、現場で黙祷する救助隊員達が映し出される。1分間の沈黙。
一週間前と、そして10日前と全く同じ様に、私は自分のアパートを後にした。West 4th Streetの駅では、今日もフレディおじさんが歌を歌っていたし、50th Streetの駅を下りると、ベーグル・ベンダーの女性のいつもの笑顔がそこにあった。

一週間が経ち、家族や近しい友人だけでなく、段々と知人達との無事確認通知が届く様になって来る。母校もウェッブ上にて、卒業生の無事確認リストを作り始めた。幸いなことに、私の通っていた映画科で被害に会った人はいまのところ見つからない。やはり多いのは、ビジネス・スクールに通っていた卒業生らしい。
アメリカでは、日本でポピュラーないわゆるメルマガ(メール・マガジン)の代わりに、e-Groupというメールシステムが盛んだ。基本的な原理はメルマガと同じで、登録された人達の所に同じ内容のメールが届く(違うのは、登録者の誰もがレスポンスでき、その返信が自動的に全員へ配信される所)。昨日・今日辺りからさまざまな団体のe-Groupメールが続々と送られて来る。やはり間接的には、どこかに必ず被害者がいる。改めて被害の大きさを実感した。

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<< Rockefeller Center at 2:00 pm >>

RFC南ビルの窓に無数の星条旗が…
人気の少ないRFC
昨日と同じで、星条旗以外の旗はない

お昼時、いつもは行かない5番街にまで足を伸ばす。この週末、ヒラリー上院議員も参加した合同葬儀の行われたセント・パトリック・チャーチへ行ってみた。普段は観光客で一杯なのに、今日は周りに勤める人達がお祈りをしている…という感じだった。
ショーウィンドウのディスプレィが全てはずされ、星条旗だけを飾るサックス・フィフス・アベニューの前を通る。写真にはうまく撮れなかったけど、5番街中の店が星条旗を掲げている様に見えた。

<< 5th Avenue at 2:30 pm >>

サックス・フィフス・アベニュー
のショーウィンドウ
星条旗だけが飾られた
サックス・フィフス・アベニュー
日曜日に合同葬儀の行われた
セントパトリック・チャーチ

会社が終わって夜7時。再びユニオン・スクエアで、このHPには何度も登場するコーキー=リーと会う。彼は今、西海岸の雑誌からもフォト・エッセイを頼まれているそうで、この一週間、毎日ここに来ては写真を撮りまくっているのだとか。
自由の女神の格好をして募金活動をしている人がいる。コーキーが、「彼女、あと数十インチ左に寄ってくれたら、彼女とジョージ=ワシントン像と、エンパイア・ステート・ビルディングの全てが1ショットに入る写真が取れるんだけどなぁ。」とつぶやく。「ずれてくれって、頼めばいいじゃない。」と言うと、「僕ら写真家は、君ら映画人とは違って“Staging”はしないんだよ。」と皮肉られてしまった。「う〜む。」と唸るしかない私。今日は彼と一緒に写真を撮っていたので、アングル的には前よりずっといいモノが撮れたのだが、いかんせん夜の8時近くじゃ暗くて何も見えやしない…(夜モードの写真が全然うまく撮れない私)。

<< Union Square at 7:00 pm >>

地下鉄の駅に設けられた
殉職警察官のメモリアル
よせ書きをする人
自由の女神の格好で
赤十字の募金をする人

お尋ね者のビンラディン像
行方不明者のビラに見入る人々
非核の旗を持つG=ワシントン像

ところで、NY中、無数にあるメモリアルの中で、私やコーキーが何度も何度もユニオン・スクエアに足を運ぶ理由はなぜか…。それは、ユニオン・スクエアに集まる人達が、「愛国的」であるよりも、より「反戦的」であるからだ。
勿論、ここにだって沢山の星条旗が掲げてある。けれども、同時に反戦のビラもここには何枚も貼られているし、現在、真ん中にあるジョージ=ワシントン像には、非核マークの付いた旗が握らされている。
(19日、たまたまユニオン・スクエアに関する記事を朝日新聞で見かけたので、参考にしてみて下さい。)

アートで反戦訴えるユニオン・スクエア〜朝日新聞9月19日より

(写真左:今週号TIME誌の表紙。75ページにRayおじさんの記事も載っている。)

昨日は“アメリカの一国主義”について書いたし、明日は“反戦について”書こうと思うので、今日は“アメリカの人種(差別)カースト制”について書こうと思う。

皆さんもメディアを通じてご存知の様に、この一週間で少なくとも3人のアラブ系・イスラム系の人達が殺害され、数え切れない程の襲撃やいやがらせ事件が起きている。これは、程度や規模の違いはあれ、60年前の真珠湾攻撃直後、日本人、そしてアジア人全体に対して向けられた攻撃と全く同じもの。決して人事では済まされない。
真珠湾攻撃からわずか3ヶ月後、アメリカで生まれ育った2世3世を含む全ての日系人が強制収容所へ送られた。同時に、この強制収容をアメリカ政府が“いやがらせに怯える日系人を守る為”と言い訳付ける事が出来るくらい、当時の日系人は日々のいやがらせや襲撃に怯えていたのだ。これについては、数年来リサーチを続けて来ているので、いつかチャンスがあれば詳しく書きたいと思いつつ、今日まで来てしまった。取り合えず、「追憶の日」映画「パール・ハーバー」の感想文のページを参考にして欲しい。

ただし、今のこの状況に照らしてアメリカの人種問題を語る時、敵国人種への差別ばかりを語っていたのでは片手落ち。こんな時にこそ、アメリカが常に抱えている人種問題に、きちんと向き合わなければならないと私は思う。
そもそも“戦争”と言う「ゴリ押し行為」には、必ず社会のひずみが生じてくる。そして、そのディスアドバンテージをこおむるのはいつもいつも、マイノリティー達に他ならない。

タイムズ・スクエアでは早くも志願兵の招集が始まったが、歴史的に、軍へ志願するのは貧しい階級や黒人、スパニッシュなどのマイノリティーが圧倒的に多い。給料がいいのは勿論のこと、そうやって愛国心を見せることで、自分や家族を何とか「アメリカ人」にしようと懸命になっている。けれど、そんなことによってしか「アメリカ人」にはなれないのだろうか?だとしたら、それはあまりにも大きすぎる代償だ。だって結局、彼等の行き着くところは、前線の捨て駒でしかないのだから…。
そんなことをしなくても、自分はアメリカ人だと、のうのうとしている銃後の連中は、前線の紙くずの様な命など、これっぽっちも気にしていやしない。彼等はむしろ戦争が起こることによって、得していることの方が多いのだし…。

(写真右:今週号New Yorkの表紙)

戦争まで行かなくとも、“非常時”に捨て駒となってしまうのは、やはりいつもマイノリティーに他ならない。このHPで散々何度も書いて来た様に、警察官や消防隊員などは、伝統的にアイリッシュの数が圧倒的に多い。その背景には、カトリック教徒であり、WASPではない彼等=いわゆる二級白人として差別されてきた彼等の、「社会に認められたいが為の努力」が長い歴史として延々と横たわっている。そうでなければ、こんな危険で給料も安い職業に、誰が好んで成りたがるだろうか?毎年あるセント・パトリック・デーのパレード時にも見られる様に、彼等アイリッシュのプライド&結束は固くて強い。それは裏を返せば、彼等はそうでもしなければ、このアメリカでやっていくことが出来なかったという背景があったのだ。
今回の事件で殉職した警官や消防隊員には、(Rayおじさんも含め)やはり圧倒的にアイリッシュが多い。彼等を「世のため、人のために尽くした」という、単純なヒーローにするだけでなく、人々が彼等のそうした長い歴史をまるごと受け止め、理解してくれることを切に望んでやまない。

以上の様に、敵国人種として差別されるマイノリティー、前線の捨て駒としてのマイノリティー、そしてやはり非常時の捨て駒としてのマイノリティー達を、「非常時」とか「愛国心」という十派一からげの言葉で、全てオブラートに包み込んでしまうことだけはしないで欲しいと、私は思う。
こうした「非常時」だからこそ、どんな人々もお互いフェアであるべきなのではないだろうか?何十年にも渡って少しずつ前進して来た人種差別撤廃への道が、わずか数日間であっという間に逆戻りしてしまう風潮に、私は警笛を発したい。

Eight Days After...
Sep 19, 01
(写真右:9月19日付け、NYデイリー・ニュースの表紙)

13日の日記に書いたミュージック・ステーション:Z100にポップ・ミュージックが戻って来た。それでも私は、いまだにポップ・ミュージックを聴く気に全くなれない。三度の御飯より大好きで、2週間前のモントリオール映画祭では1日に三本も観ていた映画でさえ、ビデオ作品を含めあの日から一本も観ていない。TVはいまだにCBSしか映らないが、ニュース以外の番組になるとまるで観る気がしなくてスィッチを切ってしまう。
ネットワーク局では、航空機のビル突入シーンを(特に子供の)精神衛生上よくないということで自主規制を始めた。また、ラジオ局も自主規制曲のリストを発表したというが、その中にジョン=レノンの「イマジン」や、フランク=シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」が含まれているのには合点がいかない。特に「イマジン」は、私が今最も聴きたい一曲なのに。代わって、すっかりランクダウンしていたはずの映画「パール・ハーバー」の主題歌が、しょっちゅうかかる様になったのは頭に来る。
ちなみに先週末、全米興行成績一位の映画になったのは、キアヌ=リーブス主演の「Hardball」。少年草野球のほのぼの系映画だ。しばらくはアクション系やホラー系の映画は影を潜めて、こうした癒し系の映画にお客が入るのではないだろうか。

この一週間で、5作品のブロードウェイ・ショーがクローズされることに決まった。そのうちの一作が「Stone in His Pockets」。観客の殆どがアイリッシュやアイリッシュに関わる人達なので、警官や消防隊員などの犠牲者を多く出したアイリッシュ達が、こんな時にコメディを観たくない気持ちはよく分かる。でも素晴らしい作品だったので、本当に惜しい限りだ。トム=セレック主演の「A Thousand Clowns」は、開演してわずか2週間かそこらでクローズしてしまうらしい。制作に携わった人達は、さぞかし無念なことだろう。今年のトニー賞で、「ザ・プロデューサーズ」に次ぐ10部門のノミネートを獲得した「フル・モンティ」には、それでも何とか長蛇の列が出来ていた。

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<< Times Square at 2:00 pm >>

ミュージカル「フル・モンティ」の列
バスにまで星条旗
WTCのイラストを路上で売る人
星条旗の帽子やバッヂを売る人

お昼時、タイムズ・スクエアを南へ歩く。相変わらず、どこを見ても星条旗だらけ。公共バスまでが星条旗を付けているのには驚いた。道端には、星条旗のバッジや旗を売る人、WTCの絵葉書やポートレートを売る人達がたくさんいる。逞しき彼等としかいい様がない。

メディアのお化け企業VIACOMが、早くもタイムズ・スクエアのビルボードに自由の女神と星条旗の看板を掲げていた。たったの一週間でよく作るよなぁ…とヘンに感心してしまう。そういえば、マクドナルドの中も星条旗だらけだった。各レジの上にまで、小さな星条旗がはためいている。本当に、こうした大企業の行動の素早さといったらない。私の知っている限りでは、日本の西友やダイエーにあたるKマートが今回のテロ後、いち早くボランティアやドネーション等の活動を展開した。ドラッグ・ストアのドゥエイン・レインも、詳しい内容は思い出せないが、いろいろな事をやっていたと思う。余裕のある企業は、ここぞとばかりにイメージ・アップを図っている。したたかと言うか、逞しいというか、これがアメリカの底力なのか…。

MTVスタジオの星条旗
大手企業VIACOMの看板
マックの中も星条旗だらけ

私がNYに住んでいる8年間でなんと初めて、タイムズ・スクエアにある米軍の事務所がオープンした。ココって、てっきり中は廃墟だと思っていたけど、潰れてたわけじゃなかったんだ。改めて今が「戦時下」であることを思い知らされる。事務所には、マイノリティー系の若者達がひっきりなしに出入りしていた。

母校の無事確認リストに登録し、日本総領事館に無地確認の電話を入れる。現在領事館はテロ後の対策事務所を特設し、在留登録している人達から無事確認の連絡を募っている。日本でNYの知人と連絡の取れない人達が、領事館にまで問い合わせをしてくるからだ。確かに私も、NYに来てから(寮内の部屋変えを除いても)すでに4回も引越しをしている。今の私の連絡先を知らない人は多いだろう。まさか総領事館にまで問い合わせをしてくる人は、まずいないと思うけど…。

タイムズ・スクエアのメモリアル
工事現場の星条旗
志願兵の受け付け場所

今夜は大学で反戦集会があるので、2ヶ月ぶりくらいにキャンパスを訪れる。旧図書館の前には、さっそく今回の事件に関する掲示板と、特設テントが設けられていた。この場所は、ベトナム反戦の時代から6年前のハンガー・ストライキ(エスニック・スタディの学部を新設せよということで、2週間近くハンストが続いた。最後には旧図書館を占拠した学生に逮捕者が出る程、学内では大きな出来事だった)に至るまで、歴史的に学生がいろいろな活動をする所。現在はテントの他に、毎晩7時、アルマ・マター像の前でキャンドル・サービスが行われている。普段は閉まったままの学内チャペルも、この一週間、ずっと開放されているのだそうだ。

<< Columbia University at 7:00 pm >>

毎晩7時からのキャンドル・サービス
旧図書館前の事件に関する掲示板
特設テントも設けられていた

人数が多すぎたので会場の移った学生主催の反戦集会。せいぜい100人くらいのものかと思っていたら、軽く200人は超えていたと思う。おそらくその6割方は女性だったのではないだろうか。内容は、金曜日に行われるNY市全体規模のピ―スマーチを中心とした、これからの活動予定。今週末は、いろいろな団体がそれぞれに色々な催しを開く。それから、やはりアラブ系・イスラム系に対する襲撃やいやがらせに関する話題も多かった。
会場には他に全く日本人を見かけなかった(というより、アジア人を殆ど見かけなかった)ので、数あるレジスターの中から“人種差別”を選ぶ。もし彼等に翻訳者などが必要になったら手伝うくらいのことしか出来ないけれど。やはりフルタイムの仕事があると(そしてなまじ自分のHPなんか持っていたりすると)、ボランティアにも限界がある。宝くじにでも当たったら、フルタイムのボランティアが出来るんだけどなぁ。

大学が主催する反戦集会のビラ。
集会の会場。夜モードだとブレる〜。

日本でも、学生のうちは随分といろいろなボランティアに関わっていた。あの時は英語なんて全然喋れなかったから、体力勝負の仕事ばかりやっていたけれど、今は不摂生がたたって身体が全然着いていかないので、ちまちま頭を使う仕事をするしかない。
ボランティアの対象がアジア・太平洋諸国の非核・経済的独立であったり、環境問題であったりしたので、立ちはだかる矛先は、いつもアメリカ政府だった。その私が、どういう訳かその国に8年も居座り続けている。そして8年たった今でも、彼ら政府の行動に疑問を抱き、憤慨せずにはいられない自分という存在に全くの違いはない。けれど今、私はこともあろうに(?)、同じ事を他のアメリカ人達と一緒にやっている。人間人生10年先は何をやっているか分からない。それどころか、一週間先は何をやっているのか分からない…。

勿論、こういった私の考えに賛同してくれるアメリカ人は、むしろ稀だといわなければならない。普段は仲が良く、映画の話となるとまるで意見の一致する友達が、ひとたび政治の話になると、ケンカにならざるを得なかったり、世界を何十カ国も旅して来て人種差別のかけらもない様な友達でも、やはり“アメリカ”そのものの威厳を傷付ける様なことを言おうものなら、たちまち反論して来たりするのだ。
“アメリカ=Justice=正義”という、彼等の頭にこびり付いたプライド(?)には、ほとほと呆れ果てる。日本みたいに何でも謙虚で卑屈っていうのも困りモノだけど、どうして皆そんなに頭が固いのだろう???

(写真右:今週号Newsweekの表紙)

話が大分脱線して、ただの愚痴みたいになってしまった。とにかく今のアメリカの報復攻撃一色ムードに、私は声を大きくしてNOと言いたい。真珠湾攻撃以来、本土を攻撃されたことのなかった彼等のプライドが傷つけられ、カッとなってしまっているのは分かる。でも、世の中全部、アメリカ人の為だけに廻っているわけじゃないんだから、もっと冷静になって欲しい。それじゃぁ本当に、小学生のガキ大将レベルでしかないのだから。
きちんとした法の手順を踏まず、むやみやたらに無関係の市民を殺戮するのでは、“偉大な”アメリカは、それこそテロリスト達と同じ次元にまで落ちてしまうだけ。それに彼等はなぜ気が付かないのか?それを黙認するだけの日本を含めた関係諸国も罪は同じだ。

私は個人的に、戦争の責任は、直接手を血で染める前線の兵士だけにあるのではなく、彼等を指揮する背後の連中は勿論のこと、それを黙認する周囲の人達にも同じ様に責任があるものだと思っている。「世の中はもっと複雑で、君が考えている様な理想は、絵に描いた餅でしかない」という批判は、もう何百回も聞いて来た。私自身、日本の大学で政治や教育の勉強をした後、アメリカで映画を含むアートの世界に首を突っ込んできたのは、さまざまな紆余曲折があってのこと。世の中が単純明快でないことくらい、分かってる。でも、何かを信じることは人間に与えられた最低限の自由だ。別に貴方が信じなくたっていい。私は平和は可能であると信じたいし、その為に何かをしたい。それが自己満足だと言われれば、それも仕方がない。

今日は反戦について何か論理的に書こうと思っていたのに、“愚痴問答”&“自己確認”の日記になってしまった。やっぱり元々“アメリカ嫌い”で、アメリカに8年も暮らし続け、アメリカに居ながら、アメリカにNOを言い続ける私って、自分でも複雑怪奇過ぎて、時々消化不良を起こしてしまう。普段は仲のよいアメリカ人の友達と、何時間話合ってもお互いに理解し合えない時は尚更のこと…。

Sep 11th, 12th, 13th, 2001
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