*** Topics of New York ***

New Yorkでmookが見た事、聞いた事、思った事を
徒然なるままに書いていきたいと思います。

New York in the Juliani Ara
ジュリアーニの変えたNY
Feb 10, 02

ホームページ開設当初から書こう書こうと思っていたこのトピック、もうすでにジュリアーニ氏がブルームバーグ現市長にバトンタッチしてから1ヶ月以上が経ってしまいましたね(^_^;)。ここで取り急ぎ、皆さんが彼の名を忘れないうちに〜(^_^;)(^_^;)(^_^;)。
写真右の表紙にも掲載されている様に、ルドルフ=ジュリアーニ(当時)NY市長は、2001年のタイム誌が選ぶ“パーソン・オブ・ザ・イヤー”に選ばれました。彼は、今年11月に発表されるノーベル平和賞の候補者としてもすでに名が挙がっているくらい。日本では、一都市の一市長がどうしてそんなにも???と思っている方も多いことでしょう。

日本では、各市の市長さんよりも都道府県知事の方がずっと知名度が高いですよね。私も20年来ずっと東京の杉並区民でありましたが市長の名前が何だったかなんて、選挙権を得るまで殆ど耳にしたことはありませんでした。けど、アメリカでは、なぜか不思議と知事よりも市長の名を耳にすることの方が多いのです。勿論、NYに住んでいればNY市長の名前と同じく、知事の名を耳にする機会も多いです。けど、他の地域にいる場合の話は別。例えば私、LAのリオダン市長やサンフランシスコのブラウン市長の名前を新聞で目にする機会は多くあっても、誰がカリフォルニアの知事なのか、まるっきり名前を思いだせないですし(単に無知なだけだったりして)。まぁ、もしかするとコレって大都市だけの話なのかもしれませんけどね。例えばイリノイ州ならシカゴ市長、フロリダならマイアミ市長と、その州の中心部にある都市の市長さんの方が知事よりも名が通っているという傾向…コレは、日本に比べるとずっと高い様な気がします。
また、各市長のキャラクターにもよるのかもしれませんが、例えばジュリアーニ氏の前の前の市長、エド=コッチ氏は引退してから、まるでアイドル扱い。TVのトークショーには出るわ、ドラマにはカメオで出るわ、新聞のコメントは勿論のこと、どこかの新聞で映画コラムの連載までしていたので、もう吹きだしてしまいましたよ(^_^;)。

さてさて、長い前置きはこのくらいにして。9月11日のテロ事件をきっかけに、ルドルフ=ジュリアーニという名前を初めて聞いた方も多いでしょう。なので、ここでは日本のメディアではあまり取り上げられなかった“テロ事件以前”のジュリアーニ市長について書こうと思います。
市長が引退した今、なぜ今更そんなことを???と思われるかもしれませんが、私は個人的にジュリアーニ氏に関する日本のメディアの偏った情報に少なからず不満を持っているワケなのですね。ですから、このページで私が書いていることは、必要以上に(?)彼のネガティブな部分だけをピックアップして書いています。予めご了承下さい。

ルドルフ=ジュリアーニ氏は、1993年11月、ちょうど私がNYへ来て間もない頃、第107代目のニューヨーク市長として選出されました。対抗馬は当時のデビッド=ディンケンズ市長。彼は民主党で、きちんと資料で確認しないといい加減なことは言えませんが、確か黒人としては一人目のNY市長だった様な気がします。
NY市は伝統的に言って、どちらかと言えばリベラルな票田。それなのに何故???と、当時の私は首を傾げたモノでした。8年も前の話なので記憶もうる覚えですが、当時ディケンズ市長を批判する人達は、「彼は誰にでもいい顔をするだけで、自分からは何もしない」とか「弱すぎる」みたいなコトを言っていた様な気がします。…で、結局“ゴリ押しの強くてバリバリ”のジュリアーニ市が選ばれたというワケですね(^_^;)。

ジュリアーニ氏は元検察庁の凄腕検事。若い頃から特にマフィアの検挙などに目を見張る様な功績を残して、メキメキ頭角を表していきました。検事=取り締まる人、ということで、彼の基本政策は“取締り”。この8年間、歩行者の車道横断(=Jウォーク)禁止から、タクシー運転手や路上販売者、ホームレスへの取締りまで、実に沢山の新しい法律が出来ました(殆ど毎月、そんな話題が新聞に載っていた様な気がします)。
さて、そういった取締りを実行するのが警察官。ジュリアーニ氏のいた検察庁は言うまでもなく、警察側の組織です。ギャングやホームレスの検挙を一層厳しくする為、警察官の数が増やされたのは言うまでもありませんが、それよりも大きかった問題が、警察官達に「自分達は何をやってもよいのだというヘンなお墨付き→思い込みを与えてしまったということです。

コレに関して大きな事件が二つあります。一つはブルックリンで起きたハイチ系移民の青年に対する警察官の暴行・傷害事件。この時、5人の警察官のうちの一人が言ったとされる「今はジュリアーニの時代なんだからな。俺達は何だって出来るんだ」というセリフはあまりにも有名。
もう一つは1999年にブロンクスで起きたアフリカ系移民の青年に対する射殺事件。レイプ犯と間違えられた青年がポケットの財布に手をかけた仕草が銃を構え様とした仕草と間違えられ、彼は4人の警察官からナント41発もの銃弾を浴びて殺害されたのです。
この二つの事件をきっかけに、マイノリティ系の市民団体が一斉に声を上げたのは言うまでもありません。今の状況からは信じられないかもしれませんが、当時ジュリアーニ市長は、多くの人達から本当に“悪魔”と呼ばれていたのです。

もう一つ、ジュリアーニ氏が多くの市民から嫌われていた理由があります…。表面的には、この8年間で目覚しい経済成長を遂げたニューヨーク。特に1994年後半から2000年末にかけての変わり様は、誰の目にも明らかな程ドラスティックなものでした。その大きな原動力になったのが、“古い廃墟をどんどん壊して、新しいマーチャンダイズをどんどん誘致したジュリアーニ氏の政策だったのです。
1994年初頭。この街にスターバックスは1〜2軒しかなかった(ちなみにスターバックスは、シアトルで開業したコーヒーショップです)。それが、2〜3年のうちにみるみる増えて、今では狭いマンハッタンだけでも30〜40軒くらいあるくらいの成長ぶり。お陰で老舗のダイナーが次々と姿を消していったのは言うまでもありません。
それまでNYで殆ど唯一幅を利かせてきた老舗のディスカウント・ストア=ウールワースがどんどん追いやられ、Kマートなどの大型店が開業。ウールワースは5年ほど前、遂に倒産へ追いやられてしまいました(ちなみにテロ事件後の悪景気により、Kマートも先月倒産を発表)。
映画『ユーガッタ・メール』では、メグ=ライアンの老舗書店と、トム=ハンクスの大型チェーン書店との葛藤が描かれますが、アレは6〜7年くらい前から今でもNYで実際に起きている出来事。古くからある老舗の書店を、バーンズ&ノーブルやボーダースなどの大型書店が次々と倒産させているのです。先月もNYの老舗書店コロシアムが、遂に全店クローズする旨を公に発表しました。

当然、代々NYに住んでいる市民の人達は怒りますよね。こうした“老舗追い出し→マーチャンダイス誘致”を見事に象徴しているのが、42ストリートのブロードウェイから8アベニューにかけての一画です。この地帯は、地理的にはタイムス・スクエアのすぐ近くにありながら、長年危険地帯として人々から避けられてきた場所でありました。信じられないかもしれませんが、私の友達が1995年に遊びに来た時、この地帯はまだゲットーの様に廃墟が並び、人々はこのすぐ西の地域を“Hell’s Kitchen”と呼んでいたのです。
それがたった3年後の1998年、この地帯ではミュージカル『ライオン・キング』を初めとした何本ものが上演され、ディズニー・ショップが建ち並び、2000年にはマダム・タッソー蝋人形館がオープンし、サンリオ・ショップ、ヤンキーズ・ショップ、シネコンプレックスからヒルトン・ホテルまでがオープン。吉野家のNY第1号店がオープンするのも、実はこの一帯であるのです。
お陰でヘルズ・キッチンの物価は天文学的な数字で急上昇。昔からその地域に住む貧しい人達は、家を追い出されて路頭に迷うことになりました。ヘルズ・キッチンの人達だけではありません。折からの好景気も重なってマンハッタン中のアパート&ホテルの家賃がそれこそ平気で2倍やそれ以上上がってしまったのですね。この部分については下のコーナーに詳しく書きましたので、そちらの方を参考にしてみて下さい。

…というわけで、“清潔で安全になったニューヨーク”が、観光客や一部のお金持ち達から良い評判を獲得したのは当然のことでしょう。また、ジュリアーニ市長は、それまでクルーの組合問題で1980年代後半には大激減していたニューヨークにおける映画撮影を、フィルム・コミッション制度をフル活用することにより、復活どころか急上昇させることに成功。1990年代中盤から後半にかけてNYを舞台にしたハリウッド映画の数が急激に増えていったのには、こうした背景もあったのです。ロマンティックなNY映画を世界中にばらまくコトによって、NYを訪れる観光客が鰻登りに増えたのは、言うまでもないことですよね。
日本で伝えられる“ニューヨーク”というのは、1)観光客的立場で見たニューヨーク、2)一部のエリート層の目から見たニューヨーク、または3)映画などの様に極端にロマンティックでトレンドな部分が強調されたモノが殆どですから、以上の理由で70〜80年代の“危険で物騒なニューヨーク”が90年代になって“安全で平和なニューヨーク”になった、メデタシ、メデタシ…と思っている人は沢山いたことと思います。けど、そこでは“昔からニューヨークに住む、真のニューヨーカー達の姿”は忘れられてしまっていたのですよね。

もうお分かりの通り、ジュリアーニ元市長の政策は、裏を返せば“金持ちに優しく、それ以外の人達は無視した政策だった”ということも出来ます。まぁ、この8年間は民主党のクリントン元大統領でさえ、当初の社会保障政策や人種差別緩和政策よりも、後半になるにつれ経済成長の方にばかり目をやっていたので、コレはアメリカ全体のトレンドだったと言うコトも出来るのですけれど。

1997年二期目の市長選挙では、民主党が強力な対抗馬を出すコトが出来ず(私ですら誰だったか覚えてないくらい。結局ディケンズ前市長って出馬したんだったっけ???)、楽々圧勝したジュリアーニ氏にも2000年前半当たりからその底辺からの不満爆発と上に書いた警察による暴行・殺傷事件によって全体的な人気にもはっきりとした蔭りが。1999年から2001年にかけては、街角でジュリアーニ氏の似顔絵に鬼の角を描いた落書きを本当によく見かけたモノです。アレ、テロ事件後全部消されちゃったみたいですね(^_^;)。
そこへ来て、兼ねてからの不倫スキャンダルと自らによるガン発表。コレで出馬すればヒラリー=クリントン現上院議員に勝利するのではないかと言われていたジュリアーニ氏は、この2000年11月の上院議員選挙不出馬を発表します。この辺りの時期から、彼の政治生命は徐々に細まっていきました。女性モンダイはまだ何とかなるとしても、健康モンダイはやはり政治家にとってかなり致命的ですからね。

アメリカにおける市長の任期は、大統領と同じく二期8年。実はテロ事件のあった9月11日は民主党の対抗馬を決める予備選の日でもありました。これは、あくまで“もし”の話なのでしかないのですが、もしテロ事件が起きていなかったら、次期NY市長選に民主党が勝利していた可能性はかなり高かったと思います。だって、前日までのジュリアーニ氏&共和党の支持率、もう落ちていくしかなかったのですから…。今回のブルームバーグ氏の当選は、テロ事件によって人々がより保守的な党に投票する結果となったのもありますが、やはり彼の背後にいたジュリアーニ効果抜きにしては語れなかったと思います。
とにかく、テロ事件後のジュリアーニ人気については日本のメディアでも散々報道されていたので、私がここで改めて書くまでもないでしょう。市民の間からは、三選出馬への声まで上がる始末。う〜ん、タクシーの運ちゃん達〜、一週間までは「ファッ○・ジュリアーニ・とか平気で言ってたのにね〜(^_^;)。

ブルームバーグ新市長は、皆さんもご存知の通り、ブルームバーグ・グループ代表の億万長者。市庁舎改造計画やら地下鉄通勤など、いろいろとポーズを見せてはいるのですが、今週の土曜日に至るまで、就任後1ヶ月以上殉職消防士の葬儀に一度も出席しなかったということで、早くも市民の反感をかっています。
イメージ的にもね〜。ジュリアーニ元市長やパタキ現NY知事はテロ事件直後から数々のNY観光キャンペーンのコマーシャルに出演しているのですが、ブルームバーグ市が出てくると、ただのお金儲けCMにしか見えないのは、私だけではないでしょう。作業着とかNYPD&FDNY野球帽がまるっきり似合わないのもかなりマイナスですしね〜(^_^;)。

あ、気が付いたらめちゃくちゃ長々と書いてしまったので、このヘンで終わりにすることにしますね。現在は、新会社の設立と本の執筆で大忙しのジュリアーニ氏。どこの会社だったか忘れてしまったのですが、ある映画会社がすでにその映画化権を獲得したので、彼を主人公としたハリウッド映画が製作されるのも時間の問題でしょう。さてさて、ジュリアーニ役ってどの俳優サンが演じることになるのでしょうね…(^_^;)。

Hotels and Rents in New York
New Yorkのホテル&アパート最新(?)事情
Aug 02, 01

え〜、この話題、もう一年近く書こう書こうと思いつつ、だいぶ事情が変わってきてしまったので、大急ぎで書いてます...(^_^;)。

<<好景気のアメリカ・安全になったニューヨーク>>

まずは、手っとり早く昨年の事情からちょこっと書きませう。昨年2000年は、アメリカ全体としてもかなり好景気の年となりました。それに加えニューヨーク市は、市長がジュリアーニ市長に変わって以来、5〜6年前に比べると比べものにならないくらい安全になりまして(勿論、NY市と一口に言っても広いですから全域というわけではありませんので、特に目立った部分だけ。また、この”安全のシワヨセ”みたいなモノも現実には存在するので、単純に手放しで喜ぶわけにもいかないのですが、それは長〜〜〜くなるので、また別の機会に譲ります)、この2つの理由から、NY市内(またはその近郊)のホテル、アパート等の家賃が信じられない程高騰してしまったのです。

<<ホテル代の高騰>>

私は仕事柄、日本から来るクライアントのホテルを予約したりもするのですが、毎年一月になると各ホテルと年間契約みたいなものを結びます。その年間レートが、1999年と2000年では軒並み1.5倍かそれ以上も上がってしまったのですね(*_*)。これには私も面喰らってしまいました。でも、折からの好景気で、アメリカのお客さん達はそれでも支払いが出来るわけですから、ホテル側の強気なこと強気なこと!
え〜、どのくらい上がったかというと、Days InnやBest Westernなどのモーテル系で、以前は100ドル前半かそれ以下だったのが200ドル近くへ。ちょっとオシャレ系になると200ドル真ん中は当たり前、年間で一番混雑する秋から初冬にかけては、平気で300ドル以上チャージする様になってしまいました。勿論、ちょっと格が上になってくると一泊500ドル以上は当たり前(6〜7万円ですよぉぉぉ)。う〜ん、不況で予算を詰めなければならない日本のクライアントに、こういった値段を提示するのはと〜ってもツラかったです。

ちなみに、NYのホテル代(他の都市もそうじゃないかと思いますが)は、季節によって値段が全然違います。
一番安いのは、寒くて誰も来ない冬(^_^;)。1月から3月前後(これはホテルによってまちまち)は、とにかく安い!次に安いのが、やはり暑くて誰も来ない夏の真っ最中(^_^;)。だいたい7月の頭から8月いっぱいの時期もかなりお得です
次に安いのが春。4月くらいから6月いっぱいまでは、以上2時期に比べるとちょっとお高くなってしまいます。私、個人的には春のNYを一番お薦めしたいのですけれど...。で、一番高くなるのが秋、9月の第1週レイバーディ・ウィークエンドから12月いっぱいまで。この時期、初冬のレートの100ドル増しなんていうのは当たり前。特に11月下旬にある感謝祭の前後はBlackout Termと呼ばれ、契約書に書かれたレートでなく、ホテル側が好きな金額を付けるというとんでもない時期となってしまいます。実際この時期というのはどこのホテルも満室状態なので、部屋を取れるだけでも仕方ないということで、皆泣く泣くべらぼうに高いお金を払ってしまうんですよね(T_T)。

<<レント・コントロールのないアパートは...>>

さて、今度はアパートのお話。こちらはさらに厳しいです。1997年にレント・コントロールという借り手を保護する法律(確か条例だったと思う)が50年目で期限切れを迎え、家賃の高騰にさらに拍車をかけてしまっています。つまり、むか〜〜〜しから同じアパートに住んでいる人達は、家賃が殆ど上がらなくて済む(上がっても数パーセント)のですが、リースが変わると新しく来た人に対しては、平気で何十%も家賃を値上げすることが出来るというワケ。私などは、運良くレント・コントロールのお陰で元々べらぼうに安い家賃からスタートしたし、この3年間全く家賃の値上げもなくて済んでいるのですが、これが一度出てしまったら、さ〜大変!!!

ここに、今年3月21日付けの”New York Magazine”があるのですが、この資料によると、数年前までは最も危険な地域の一つと言われていたHell's Kitchenで、1996年に$750〜だったスタジオまたは1ベッドルームが、2001年には$2000〜。皆さんにもお馴染みのHarlemで、1996年$400〜だったスタジオまたは1ベッドルームが、2001年には$900〜。どれも軒並み2倍以上の値段に跳ね上がっています(なんてったって、ハーレムは今やクリントン元大統領が事務所を構えるくらい安全になりましたしね〜)。
その他、人気のある所ではLower East Sideが1996年$700〜から2001年$1600に。Chelseaも$1000から$1700にという感じで、今やマンハッタンで、それなりに安全な地域で”一からアパートを探そうと思ったら”、たったの一部屋でも$1500以下の物件はまずありません(日本円で18万円くらい??)。もちろん、それは前述した様に”レント・コントロールなし”の場合に限るのですけれど(ちなみに私の家賃は$460だったりして...。友達に言う度、殺されそうになります(^_^;)。

この余波は、もちろん川を隔てたブルックリンやクイーンズ、果ては隣の州であるニュージャージー州にも及んでおり、若者に一番人気のWilliamsburg(ブルックリン)で、1996年$700〜から2001年$1300(ここはこの先もっと上がっていくだろうと思います)、家族向けに人気のPark Slope(ブルックリン)で$900〜から$1800、日本人に人気のAstoria(クイーンズ)だと$600〜が$1500になってます(以上全て1部屋か1ベッドルームの場合の値段)。
この家賃高騰を受け、去年あたりなどNY出身の連中の間では、もうこの際アパートを買ってしまおうじゃないか、という現象まで生まれてしまったくらい。これ以上値段の上がらないうちに買っておいて、後は自分で住むのもよし、さらに高い家賃で儲けるのもよしって感じで...。う〜ん、私には全然縁のない話ですけどね(^_^;)。

<<けど、早くもバブル弾けちゃったんですよね〜(^_^;)>>

ところがところが...バブルの膨らみもめちゃ早かったアメリカでは、今年の頭から早くもバブルが弾けだすことに...。むやみやたらに肥大したe-ビジネスが軒並み倒産に追い込まれ、大きな会社でもリストラの波が容赦なく押し寄せ、当然のことながら各仕事ごとの予算も激減。...ということで、まずはホテルの値段に早くも大きな影響が出始めています。
私の会社に関しては、少なくとも3つのホテルが、早くも今年頭に結んだ契約の書き換えをしたいと言い出して来ました。新しい契約書に書かれた新しい料金表には、当初の値段から20%前後も格安になった特別レートが書き込まれていたりなんかして(^_^;)。ホテルのセールスの人達も、急に対応が良くなりましたしね〜。
ま、アパートの家賃に関してはまだまだ値下げまでには時間がかかると思いますが、これ以上高騰することはなくなるんじゃないかと思います。詳しくはよく知りませんが、東京も少し家賃下がりましたよね?去年日本に帰った時、「お、家賃安〜い」ってびっくりしましたモン。デフレも問題だけど、バブルも早いトコ弾けてしまう方が後々の為には良いのかも。それにしても日本の不況、ホントに長いですね〜〜〜〜。

ま、こんな感じで、取りあえずのNY住宅事情を大雑把にお伝えしました。おそらくこうした情報って、年ごとに随分変わってしまうと思いますので、以下にNYのホテル代と家賃代をリアルタイムで見られるサイトをリンクしておきますね。

World Hotels
ニューヨークだけでなく、世界中の都市のホテルレートが出てきます。
このサイトから予約する人達の為の特別レートあり。

Village Voice Classifides
このページのReal Estateをクリックすると、アパートの賃貸・売買などの
情報が出てきます。

Milennium Holloween and Subway Series
世紀末ハロウィーン&サブウェイシリーズ始末記
Oct 31, 00

2000年世紀もいよいよ終盤のNY、昨日・今日と2日続けてのお祭り騒ぎがありました・・・。(^_^;)

<<ヤンキーズ・パレード2000>>

まずは、昨日のヤンキーズ優勝パレード。メッツを応援していた私としては、なかなか悲しい一日でした。(T_T) きちんとした統計を知っているわけではありませんが、ヤンキーズファンには白人が多く、メッツファンにはいわゆるマイノリティーが多いです。特にメッツファンにマイノリティーが多いのは、メッツスタジアムが、NYでもマイノリティーの多く住むクィーンズ地区にあるからなのかもしれません。現在ヤンキーズスタジアムがあるのは、いわゆる黒人地区のブロンクスなのですが、大のヤンキーズファンであるジュリアーニNY市長は、スタジアムをマンハッタン地区に移転する計画を進めています。ちなみに昔はブルックリン・ドジャースというのもあったんですけどね。皆さんご存知の通り、ドジャーズは西海岸に売りに出されてしまいました(^_^;)。

今回のヤンキーズパレードの話題の一つは、ジュリアーニ市長の「学校なんかサボっちゃえ発言」。昨日は平日の月曜日だったのですが、パレードを見る為に学校をサボった子供達は、皆口を揃えて「市長のお墨付きをもらったから」とインタビューに答えていました。(^_^;)

さて、皆さんもご存知の通り今回の“ワールドシリーズ”は、44年ぶりのNYチーム対決ということで、別名“サブウェイシリーズ”、または“4−7シリーズ“と呼ばれていました。4というのは、ヤンキーズスタジアムに行く時に乗る地下鉄の番号。そしてメッツスタジアムに行くには地下鉄の7番線に乗って行きます。今回のパレードでは、本物の地下鉄4番線の車両もお目見えしていました。

今年はヤンキーズにとって、すでに連続優勝3年目。けれど今回のパレードでは地元メッツファンの恨みもあってか、数件のぼや騒ぎがありました。そのうち一件はガストラックのそばで起きたので、これがガスに引火していたら大変なことになる所でしたが、幸い大事には至らず大したケガ人も出なかったとのことです。
狂騒の後は、350人の清掃員総出で4時間もかけてパレードの後の後片つけ。暫くは、歩くことも出来なかったくらい紙吹雪が積もっていたそうで、つくづく豊かというか、「もったいない」という言葉を知らないニューヨーカー達なのでした(^_^;)。

 

<<ハロウィーン・パレード2000>>

そして今日のハロウィーンパーティ。これも私の眼から見ると「もったいない文化」だよなぁ、と思ってしまいます。だって皆、翌年は同じコスチュームを着ないわけでしょ?他の人と着まわししてるなんて話聞いたことないし、つまりは「使い捨て」ですもんね。

ここNYでのハロウィーンは、いわゆる「ノリ派」と「冷め派」のまっ二つに分かれます。私は毎年「ノリ派」に便乗したり、「冷め派」に迎合したり・・・。去年のハロウィーンは日曜日だったこともあり、私もコスプレしました。下の写真1:、「もののけ姫」なんですけど分かります?ちょうどこの時期、「もののけ姫」が全米公開されていた時期だったので“分かる人には分かる”って感じでしたけど、分からない人には、「未開の地の人?」なんて聞かれていました。(^_^;)ちなみにこのコスチューム(単に白Tシャツに有りモノのアクセサリーを付けただけ。メイクは、映画でメイクやってる友達にやってもらいました)は、総額5ドルくらいだったかな?

 <<Holloween 1999>>
 
HW3 HW2 HW1
Pic 1:
Me, as Princess Mononoke
(Left)
Pic 2:
Nara gives candies
to neighbor kids.
Pic 3:
A Holloween Queen

 

今年はもちろん仕事をしていたのと、夜は別の用事があったのでウサギの耳をつけただけでごまかしていました。去年「ノリ派」だった友達も、今日はそろって締め切り間際の仕事があって、ボヤきながらも夜仕事してたし・・・。

ところで私の住んでいる場所は、いわゆるビレッジのど真中(ボロ安アパートなんですけどね ^_^;)、毎年ハロウィーンやゲイパレードの時は、本当に家に帰るのに苦労します。普段なら駅から3分の所を、めちゃめちゃ遠回りしなければならないので、今年は40分かかりました(T_T)。ま、その代わり少しだけパレードも見ましたけれど。
今年のパレードは「ドット・コムパレード」と呼ばれた通り、各山車には必ずと言っていい程「・・・.com」の文字がついていました。このグリニッチビレッジ・ハロウィーンパレードは、1970年代に政治批判的な意味を込めた仮装行列として始まり、つい最近までパレードの参加者と観客に境界みたいなものはなかったそうです。それがすっかり商業化してしまった、というのがニューヨーカーの嘆き。何だか商業化したオリンピックみたいですね(^_^;)。

 

 <<Holloween 2000>>
 
HW002
HW003
HW004
.
K as Zoro (left)
F as a silent movie star (right)

.
HW001
HW005
mook (left)
with rabbit ears
at a subway station

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