ジュリアーニの変えたNY |
Feb 10, 02
ホームページ開設当初から書こう書こうと思っていたこのトピック、もうすでにジュリアーニ氏がブルームバーグ現市長にバトンタッチしてから1ヶ月以上が経ってしまいましたね(^_^;)。ここで取り急ぎ、皆さんが彼の名を忘れないうちに〜(^_^;)(^_^;)(^_^;)。
日本では、各市の市長さんよりも都道府県知事の方がずっと知名度が高いですよね。私も20年来ずっと東京の杉並区民でありましたが市長の名前が何だったかなんて、選挙権を得るまで殆ど耳にしたことはありませんでした。けど、アメリカでは、なぜか不思議と知事よりも市長の名を耳にすることの方が多いのです。勿論、NYに住んでいればNY市長の名前と同じく、知事の名を耳にする機会も多いです。けど、他の地域にいる場合の話は別。例えば私、LAのリオダン市長やサンフランシスコのブラウン市長の名前を新聞で目にする機会は多くあっても、誰がカリフォルニアの知事なのか、まるっきり名前を思いだせないですし(単に無知なだけだったりして)。まぁ、もしかするとコレって大都市だけの話なのかもしれませんけどね。例えばイリノイ州ならシカゴ市長、フロリダならマイアミ市長と、その州の中心部にある都市の市長さんの方が知事よりも名が通っているという傾向…コレは、日本に比べるとずっと高い様な気がします。
さてさて、長い前置きはこのくらいにして。9月11日のテロ事件をきっかけに、ルドルフ=ジュリアーニという名前を初めて聞いた方も多いでしょう。なので、ここでは日本のメディアではあまり取り上げられなかった“テロ事件以前”のジュリアーニ市長について書こうと思います。
ルドルフ=ジュリアーニ氏は、1993年11月、ちょうど私がNYへ来て間もない頃、第107代目のニューヨーク市長として選出されました。対抗馬は当時のデビッド=ディンケンズ市長。彼は民主党で、きちんと資料で確認しないといい加減なことは言えませんが、確か黒人としては一人目のNY市長だった様な気がします。
ジュリアーニ氏は元検察庁の凄腕検事。若い頃から特にマフィアの検挙などに目を見張る様な功績を残して、メキメキ頭角を表していきました。検事=取り締まる人、ということで、彼の基本政策は“取締り”。この8年間、歩行者の車道横断(=Jウォーク)禁止から、タクシー運転手や路上販売者、ホームレスへの取締りまで、実に沢山の新しい法律が出来ました(殆ど毎月、そんな話題が新聞に載っていた様な気がします)。
コレに関して大きな事件が二つあります。一つはブルックリンで起きたハイチ系移民の青年に対する警察官の暴行・傷害事件。この時、5人の警察官のうちの一人が言ったとされる「今はジュリアーニの時代なんだからな。俺達は何だって出来るんだ」というセリフはあまりにも有名。
もう一つ、ジュリアーニ氏が多くの市民から嫌われていた理由があります…。表面的には、この8年間で目覚しい経済成長を遂げたニューヨーク。特に1994年後半から2000年末にかけての変わり様は、誰の目にも明らかな程ドラスティックなものでした。その大きな原動力になったのが、“古い廃墟をどんどん壊して、新しいマーチャンダイズをどんどん誘致したジュリアーニ氏の政策だったのです。
当然、代々NYに住んでいる市民の人達は怒りますよね。こうした“老舗追い出し→マーチャンダイス誘致”を見事に象徴しているのが、42ストリートのブロードウェイから8アベニューにかけての一画です。この地帯は、地理的にはタイムス・スクエアのすぐ近くにありながら、長年危険地帯として人々から避けられてきた場所でありました。信じられないかもしれませんが、私の友達が1995年に遊びに来た時、この地帯はまだゲットーの様に廃墟が並び、人々はこのすぐ西の地域を“Hell’s Kitchen”と呼んでいたのです。
…というわけで、“清潔で安全になったニューヨーク”が、観光客や一部のお金持ち達から良い評判を獲得したのは当然のことでしょう。また、ジュリアーニ市長は、それまでクルーの組合問題で1980年代後半には大激減していたニューヨークにおける映画撮影を、フィルム・コミッション制度をフル活用することにより、復活どころか急上昇させることに成功。1990年代中盤から後半にかけてNYを舞台にしたハリウッド映画の数が急激に増えていったのには、こうした背景もあったのです。ロマンティックなNY映画を世界中にばらまくコトによって、NYを訪れる観光客が鰻登りに増えたのは、言うまでもないことですよね。 もうお分かりの通り、ジュリアーニ元市長の政策は、裏を返せば“金持ちに優しく、それ以外の人達は無視した政策だった”ということも出来ます。まぁ、この8年間は民主党のクリントン元大統領でさえ、当初の社会保障政策や人種差別緩和政策よりも、後半になるにつれ経済成長の方にばかり目をやっていたので、コレはアメリカ全体のトレンドだったと言うコトも出来るのですけれど。
1997年二期目の市長選挙では、民主党が強力な対抗馬を出すコトが出来ず(私ですら誰だったか覚えてないくらい。結局ディケンズ前市長って出馬したんだったっけ???)、楽々圧勝したジュリアーニ氏にも2000年前半当たりからその底辺からの不満爆発と上に書いた警察による暴行・殺傷事件によって全体的な人気にもはっきりとした蔭りが。1999年から2001年にかけては、街角でジュリアーニ氏の似顔絵に鬼の角を描いた落書きを本当によく見かけたモノです。アレ、テロ事件後全部消されちゃったみたいですね(^_^;)。
アメリカにおける市長の任期は、大統領と同じく二期8年。実はテロ事件のあった9月11日は民主党の対抗馬を決める予備選の日でもありました。これは、あくまで“もし”の話なのでしかないのですが、もしテロ事件が起きていなかったら、次期NY市長選に民主党が勝利していた可能性はかなり高かったと思います。だって、前日までのジュリアーニ氏&共和党の支持率、もう落ちていくしかなかったのですから…。今回のブルームバーグ氏の当選は、テロ事件によって人々がより保守的な党に投票する結果となったのもありますが、やはり彼の背後にいたジュリアーニ効果抜きにしては語れなかったと思います。
ブルームバーグ新市長は、皆さんもご存知の通り、ブルームバーグ・グループ代表の億万長者。市庁舎改造計画やら地下鉄通勤など、いろいろとポーズを見せてはいるのですが、今週の土曜日に至るまで、就任後1ヶ月以上殉職消防士の葬儀に一度も出席しなかったということで、早くも市民の反感をかっています。 あ、気が付いたらめちゃくちゃ長々と書いてしまったので、このヘンで終わりにすることにしますね。現在は、新会社の設立と本の執筆で大忙しのジュリアーニ氏。どこの会社だったか忘れてしまったのですが、ある映画会社がすでにその映画化権を獲得したので、彼を主人公としたハリウッド映画が製作されるのも時間の問題でしょう。さてさて、ジュリアーニ役ってどの俳優サンが演じることになるのでしょうね…(^_^;)。
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New Yorkのホテル&アパート最新(?)事情 |
Aug 02, 01 え〜、この話題、もう一年近く書こう書こうと思いつつ、だいぶ事情が変わってきてしまったので、大急ぎで書いてます...(^_^;)。
まずは、手っとり早く昨年の事情からちょこっと書きませう。昨年2000年は、アメリカ全体としてもかなり好景気の年となりました。それに加えニューヨーク市は、市長がジュリアーニ市長に変わって以来、5〜6年前に比べると比べものにならないくらい安全になりまして(勿論、NY市と一口に言っても広いですから全域というわけではありませんので、特に目立った部分だけ。また、この”安全のシワヨセ”みたいなモノも現実には存在するので、単純に手放しで喜ぶわけにもいかないのですが、それは長〜〜〜くなるので、また別の機会に譲ります)、この2つの理由から、NY市内(またはその近郊)のホテル、アパート等の家賃が信じられない程高騰してしまったのです。
私は仕事柄、日本から来るクライアントのホテルを予約したりもするのですが、毎年一月になると各ホテルと年間契約みたいなものを結びます。その年間レートが、1999年と2000年では軒並み1.5倍かそれ以上も上がってしまったのですね(*_*)。これには私も面喰らってしまいました。でも、折からの好景気で、アメリカのお客さん達はそれでも支払いが出来るわけですから、ホテル側の強気なこと強気なこと!
ちなみに、NYのホテル代(他の都市もそうじゃないかと思いますが)は、季節によって値段が全然違います。
さて、今度はアパートのお話。こちらはさらに厳しいです。1997年にレント・コントロールという借り手を保護する法律(確か条例だったと思う)が50年目で期限切れを迎え、家賃の高騰にさらに拍車をかけてしまっています。つまり、むか〜〜〜しから同じアパートに住んでいる人達は、家賃が殆ど上がらなくて済む(上がっても数パーセント)のですが、リースが変わると新しく来た人に対しては、平気で何十%も家賃を値上げすることが出来るというワケ。私などは、運良くレント・コントロールのお陰で元々べらぼうに安い家賃からスタートしたし、この3年間全く家賃の値上げもなくて済んでいるのですが、これが一度出てしまったら、さ〜大変!!!
ここに、今年3月21日付けの”New York Magazine”があるのですが、この資料によると、数年前までは最も危険な地域の一つと言われていたHell's Kitchenで、1996年に$750〜だったスタジオまたは1ベッドルームが、2001年には$2000〜。皆さんにもお馴染みのHarlemで、1996年$400〜だったスタジオまたは1ベッドルームが、2001年には$900〜。どれも軒並み2倍以上の値段に跳ね上がっています(なんてったって、ハーレムは今やクリントン元大統領が事務所を構えるくらい安全になりましたしね〜)。
この余波は、もちろん川を隔てたブルックリンやクイーンズ、果ては隣の州であるニュージャージー州にも及んでおり、若者に一番人気のWilliamsburg(ブルックリン)で、1996年$700〜から2001年$1300(ここはこの先もっと上がっていくだろうと思います)、家族向けに人気のPark Slope(ブルックリン)で$900〜から$1800、日本人に人気のAstoria(クイーンズ)だと$600〜が$1500になってます(以上全て1部屋か1ベッドルームの場合の値段)。
ところがところが...バブルの膨らみもめちゃ早かったアメリカでは、今年の頭から早くもバブルが弾けだすことに...。むやみやたらに肥大したe-ビジネスが軒並み倒産に追い込まれ、大きな会社でもリストラの波が容赦なく押し寄せ、当然のことながら各仕事ごとの予算も激減。...ということで、まずはホテルの値段に早くも大きな影響が出始めています。 ま、こんな感じで、取りあえずのNY住宅事情を大雑把にお伝えしました。おそらくこうした情報って、年ごとに随分変わってしまうと思いますので、以下にNYのホテル代と家賃代をリアルタイムで見られるサイトをリンクしておきますね。
ニューヨークだけでなく、世界中の都市のホテルレートが出てきます。 このサイトから予約する人達の為の特別レートあり。
Village Voice Classifides
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世紀末ハロウィーン&サブウェイシリーズ始末記 | ||||||||||||||||
Oct 31, 00 2000年世紀もいよいよ終盤のNY、昨日・今日と2日続けてのお祭り騒ぎがありました・・・。(^_^;)
まずは、昨日のヤンキーズ優勝パレード。メッツを応援していた私としては、なかなか悲しい一日でした。(T_T) きちんとした統計を知っているわけではありませんが、ヤンキーズファンには白人が多く、メッツファンにはいわゆるマイノリティーが多いです。特にメッツファンにマイノリティーが多いのは、メッツスタジアムが、NYでもマイノリティーの多く住むクィーンズ地区にあるからなのかもしれません。現在ヤンキーズスタジアムがあるのは、いわゆる黒人地区のブロンクスなのですが、大のヤンキーズファンであるジュリアーニNY市長は、スタジアムをマンハッタン地区に移転する計画を進めています。ちなみに昔はブルックリン・ドジャースというのもあったんですけどね。皆さんご存知の通り、ドジャーズは西海岸に売りに出されてしまいました(^_^;)。 今回のヤンキーズパレードの話題の一つは、ジュリアーニ市長の「学校なんかサボっちゃえ発言」。昨日は平日の月曜日だったのですが、パレードを見る為に学校をサボった子供達は、皆口を揃えて「市長のお墨付きをもらったから」とインタビューに答えていました。(^_^;) さて、皆さんもご存知の通り今回の“ワールドシリーズ”は、44年ぶりのNYチーム対決ということで、別名“サブウェイシリーズ”、または“4−7シリーズ“と呼ばれていました。4というのは、ヤンキーズスタジアムに行く時に乗る地下鉄の番号。そしてメッツスタジアムに行くには地下鉄の7番線に乗って行きます。今回のパレードでは、本物の地下鉄4番線の車両もお目見えしていました。
今年はヤンキーズにとって、すでに連続優勝3年目。けれど今回のパレードでは地元メッツファンの恨みもあってか、数件のぼや騒ぎがありました。そのうち一件はガストラックのそばで起きたので、これがガスに引火していたら大変なことになる所でしたが、幸い大事には至らず大したケガ人も出なかったとのことです。
<<ハロウィーン・パレード2000>> ここNYでのハロウィーンは、いわゆる「ノリ派」と「冷め派」のまっ二つに分かれます。私は毎年「ノリ派」に便乗したり、「冷め派」に迎合したり・・・。去年のハロウィーンは日曜日だったこともあり、私もコスプレしました。下の写真1:、「もののけ姫」なんですけど分かります?ちょうどこの時期、「もののけ姫」が全米公開されていた時期だったので“分かる人には分かる”って感じでしたけど、分からない人には、「未開の地の人?」なんて聞かれていました。(^_^;)ちなみにこのコスチューム(単に白Tシャツに有りモノのアクセサリーを付けただけ。メイクは、映画でメイクやってる友達にやってもらいました)は、総額5ドルくらいだったかな?
今年はもちろん仕事をしていたのと、夜は別の用事があったのでウサギの耳をつけただけでごまかしていました。去年「ノリ派」だった友達も、今日はそろって締め切り間際の仕事があって、ボヤきながらも夜仕事してたし・・・。
ところで私の住んでいる場所は、いわゆるビレッジのど真中(ボロ安アパートなんですけどね ^_^;)、毎年ハロウィーンやゲイパレードの時は、本当に家に帰るのに苦労します。普段なら駅から3分の所を、めちゃめちゃ遠回りしなければならないので、今年は40分かかりました(T_T)。ま、その代わり少しだけパレードも見ましたけれど。
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