日系(アジア系)アメリカ人関係
以下のサマリーは、このページにリンクした日米記事からのモノです。
(冒頭の番号は、リンクページの記事に付けた番号と対応します。)
注:記事の選択はあくまで“私の主観”で選び、ピックアップしている部分も、“私の主観”で抜き出しています。
ぶっちゃけた話、“ネガティブ”な部分ばかり集めていますので、その辺は予めご了承下さい。
文章は全て意訳&サマリーですので、原文に忠実に訳してはありません。
(#)の数字は、パラグラフの番号。
また、私はプロの翻訳家ではないので、訳の間違いも沢山あると思います。
お気付きの誤訳がありましたら、遠慮なくゲストブックの方でご指摘下さい。
JACLの反アジア人感情を懸念する恐れが高まる」 Pacific Citizen, June 1st, 2001より |
by mook: この記事は、JACL(Japanese American Citizen’s League)の隔週会報誌である「パシフィック・シチズン」2001年6月上旬号、第一面に掲載されたものです。
ヘンリー・スズキ(67)は真珠湾が攻撃された時、ハワイのエワに住んでいた。彼は当時まだ7歳であった。その直後、彼の従兄弟はFBIに連行され、西海岸のキャンプへ送られた。
彼は、それから44年後の12月7日の朝、カリフォルニアの自宅にトイレット・ペーパー、コンドーム、泥などが投げつけられ、近所の子供達から「ジャップは帰れ」と罵声を浴びせられた時のショックを、今でも覚えている。
「パール・ハーバー」の全米公開に合わせ、スズキ氏は、今になってもまだ日本人と日系アメリカ人の区別の付かない人々が、反アジア人感情を爆撃には何の責任もない日系アメリカ人へ向けてくるのではないかと懸念している。
スズキ氏は言う。「これからこの映画を観に行く子供達が、近所に住む日系人家庭に対して、私が経験した様なことをしないとも限らない。」(#1〜6)
5月21日、ロサンゼルス市リトル・トーキョーにおいて、JACLとMANAA(Media Action Network for Asian Americans)が記者会見を行った。また、5月24日、サンフランシスコ市ジャパン・タウンにおいてJACL、 Asian American Bar Association (アジア系アメリカ人弁護士協会)、Chinese for Affirmative Action (人種擁護政策における中国人の会)も、メディアに対し会見を開いている。
JACL全米エグゼクティブ・ディレクターであるジョン=タテイシ氏は、会見の中で「 我々がどんなに成功を収め、(距離的にも時間的にも)どんなに長い道のりを歩み、どれだけアメリカという国に受け入れられ様とも、この様な映画が公開されるだけで、我々はいとも簡単に、半世紀以上も前の事件へと引き戻されてしまう。」と言い、JACL全米協会長のフロイド・モリ氏も、「この映画によって、アジア系アメリカ人に対するネガティブな印象が高まり、人種差別意識やヘイト・クライムが台頭してしまうことを恐れています。」と発言している。(#7〜9)
このタイミングはまた、ハワイ沖のえひめ丸事件や中国スパイ機事件、ウォンホー=リー・スパイ事件、そして民主党の賄賂スキャンダルの時期と重なって、反アジア人感情をより逆立てている。
ラジオや地方紙では反アジア人感情の発言が激増。チャイニーズ・レストランに対するボイコットが起きたり、トークショーのホストが、中国人を「チャイナマン」と呼んだり、かつての日系人キャンプの様に、中国人をキャンプへ送るべきだという発言さえ飛び出す始末。
MANNAのガイ=アオキ氏は言う。「遠いアジアで何かが起こる度、とばっちりを受けるのはいつも我々アジア系アメリカ人なのだ。」(#10〜12)
JACLや他のアジア系団体には、「パール・ハーバー」の公開前からすでに数件のいやがらせ電話やいやがらせメールが届いている。JACL全米総支部には「You are the evil NAZIS of the east! NUKE THE JAPS AGAIN FOR GOOD MEASURE(お前らは、東のナチスだ!仕返しに、もう一度原爆を落としてやる!)や、「Sneaky, cold people living in denial. Maybe Japan would like a group like yours, you know the way there! (卑怯で冷たく、過去を否定して生きる連中。日本というのは、お前らの団体の様なんだろう。お前らは、あちらのやり方を知っているからな!)」というメールが届いた。
タケイシ氏は、セキュリティーの強化と今後もこうしたいやがらせの電話やメールに注意を払う様、呼びかけている。(#13〜15)
アジア系アメリカ人団体は、「パール・ハーバー」について語るなと言っているのではなく、日系アメリカ人のことについても同時に語られるべきであると強調する。
真珠湾攻撃によって12万人の日系人がキャンプへ送られたこと、家族が金網の中へ閉じ込められているにも関わらず、若い日系アメリカ人の多くが442部隊(Regimental Combat)、100大隊(Battalion)、MIS(Military Intelligent Service)へ志願したこと、
そして、あまり知られていないことだが、真珠湾攻撃で死傷した実に44%が実は日系人だったのである。
モリ氏は言う。「日系人がアメリカに忠実で愛国的であるということを分かってもらうのは、今でもとても難しいことだ。」(#16〜20)
この映画の制作過程で、タテイシ氏はプロデューサーやディズニーのエグゼクティブと何度か会った。脚本を読んだタテイシ氏は、殊にスパイの役割を果たす日系アメリカ人の歯医者について彼らに言及した。実際、日系人の歯医者がスパイ容疑で逮捕される事実はあったが、その後FBIの捜査によって彼は無実であったことが判明されているのである。
しかし、直された脚本にはそのシーンが入っていなかったにもかかわらず、結局そのシーンは撮影され、最終編集でもカットされることはなかった。JACLは、この件に対し抗議の手紙を送っている。
アオキ氏はまた、この映画の中に殆ど全くアジア人が登場していないことも指摘する。ハワイというのは、勿論アメリカの中でも最大のアジア系人口を抱えている州である。(#21〜24)
「パール・ハーバー」はまた、日本では“ラブ・ストーリー”という全く違う形でマーケティングされている。爆撃のはなばなしいアメリカ版の予告編に比べ、日本版ではラブ・シーンが中心となっている。ディズニーは、ジャパン・マネーのことしか頭にないのである。(#25〜26)
スズキ氏と同じく、14歳の時ハワイで真珠湾攻撃を目撃したトメイ氏は言う。「私は、若い世代のことを心配しています。貴方がアジア人の顔を持っているだけで、貴方はジャップと言われてしまうのですから。」
真珠湾攻撃50周年には、アジア系アメリカ人に対するヘイト・クライムが急増したという記録がある。
アオキ氏は語る。「60年も経ったというのに、私達はいまだに、(真珠湾攻撃に関して)何の関係もないのだという記者会見を開かなければならないなんて…」。
e-News Hawaii, May 26, 2001より |
by mook: 筆者のデニス=タジリは日系人の寄稿ライター。この記事は、エディトリアル・オピニオンの欄に掲載されています。
スーパーマーケットの列で待っている間に読むタブロイド誌や、フリーペーパーの様に、花火を見ることに金は一切かからない。だから人々は、花火大会が好きだ。先週の月曜日、「パール・ハーバー」のプレミアでは、パーティや試写と共に花火も打ち上げられたが、歴史劇と唄われたその映画の殆どが爆発の連続だけであった。(#1〜2)
私の教授が言うように、戦争とは経済制裁から法的措置まで、全てのものを含むはずだが、この映画は我々に「戦争」=「戦闘」だと思わせてしまうところがある。それにしても、制作費の1億3700万ドルは何処にかけられているのだろう?(#3)
近所に住む真珠湾攻撃の体験者は、「コレはただの映画だよ」という。では、本当のところは一体どんな感じだったのか?当時の爆撃地によくダイエットペプシを買いに行く自分には、実感というものがまるで沸いてこない。
彼女は1941年当時、9歳の少女であった。彼女は毎週日曜日の朝、バス停でメイドをしている姉の帰りを待っていたが、その日姉はいつまでたってもバスから降りてこなかった。彼女が家に帰ると、空襲警報が鳴り、爆撃が始まり、人々が逃げ惑った。彼女は、友達の母親が死ぬのを目撃した。校舎が爆撃されたので、彼女は日本語学校の校舎へ通うことになった。
その後は、9歳の少女でさえ、終戦になるまで毎日ガスマスクを持ち歩かなければならなかった。夜は明かりを付けることが禁止され、電話も緊急の時以外は使ってはならないことになった。(#4〜6)
この話で、私は自分の祖母のことを思い出す。母の生まれたのは夜だったので、祖母は暗がりの中、警察に先導されて病院へ行った。当時は夜の8時に外出することも禁止されていたという。完全に戒厳令下であったのだ。
祖母は真珠湾攻撃の後、移民した時に持ってきた天皇夫妻の写真を、人目に付かない場所へ隠した。それからというもの、日本市民である学校の校長、教師達、公的機関で働く人々や、コミュニティのリーダー達は、本国の収容所へ送られていった。祖父は収容所へ連行されることはなかったが、ビジネスを諦めることを余儀なくされた。
実際、ハワイの日系人の殆どが収容所へ送られることはなかった。多くの人々が他のアメリカ人と同じ様に、アメリカ軍に従軍していたからだ。父方の祖父も、修理工としてパール・ハーバーで働いていた。
彼は言う。「飛行機はやけに低空を飛んでいた。パイロットの顔が見えたくらいだ。日章旗が見えたので、それが日本軍であることは分かったが、まさか住民を攻撃してくるとは思っていなかった。爆撃が始まり、ラジオが『外に出るな!撃たれる!』と言っているのを聞いた。その時は、戦争というものが何なのか、見当もつかなかった。」(#7〜9)
祖父母達が言う様に、彼らの世代はわけも分からぬままに世界戦争の責任を背負わされた。もし同じことが我々の世代に起こったら、どうなるだろうか?銅像の英雄、アンディ=ルーニーの碑に刻まれている様に「我々の世代(40年代)が、他の世代よりも偉大であるというのは幻想だ」ということになるのだろうか?
「偉大なる世代」の著者トム=ブローコウでさえ、ベン=アフレックに向かって「もしこの国が攻撃されたら、君達の世代も、当時と同じ様なリアクションに出るだろう」と言っている。(#10〜13)
歴史の本によれば、真珠湾攻撃は“奇襲”であり、これによってアメリカは第二次大戦に“巻き込まれた”。攻撃が起こる前には、誰もが戦争なんか出来れば避けたかったし、アメリカン・ドリームだけで十分だったのだ。
グローバル時代の今、私達はバングラディシュ製の服を着てポケモンで遊ぶ。TVでは搾取されて働く労働者が映し出され、アフガンの女性差別に対する戦いのメールが回覧されてくる。
だが、多くの人々がそんなことにはお構いなしだ。自分は搾取される様な工場で働かなくたっていいのだし、そのお陰でKマートではTシャツが3ドルで買える。文句はない。それによって映画で見る様に、奇襲で何千人の人が死ぬこともない。
今の時代、私達にとって脅威とはパール・ハーバーではないかもしれないが、人は、自分の身の周りが脅かされない限り、どんなトラブルが先にあるのか気が付かないものだ。以下は、最近の我々の身の回りの変化である。(#14〜17)
・ ビジネスウィーク誌によれば、1980年には42倍だったブルーカラーに対するCEOクラスの収入が、90年には84倍になり、2000年には531倍となった。
・ ライフタイム誌によれば、50年代には20人に一人だった乳癌の確立が、90年代には8人に一人となり、98年だけで乳癌死亡者の数は、ベトナム戦争の全戦死者に匹敵する。また、多くの科学者は、乳癌にかかるかどうかは、遺伝ではなく環境で決まるという結果に同意している。
・ 最高裁は、政治家達がキャンペーンの為に湯水の様に金を使っている間、投票をきちんとカウント出来る機械を買うことも出来ず、多数票を獲得した候補者(ゴアのこと)を退けて、大統領を選んだ。(#18〜20)
以上、これらに関することを考慮すると、---もしこのままで何も問題がないのであれば---私達の殆どが孤立主義を望んでいるといえる。
我々は、過去を英雄視することに長けている。私は真珠湾攻撃について、体験者のストーリーを読んだが、それはまるでダビデ王の逸話を聞いている様だ。
我々は、過去の出来事を磨き上げ、栄光視し、くり返し語り継ぐ。 我々を楽しませ、エキサイトさせ、フラッシュで驚かせる、それはストーリー・テラーやフィルムメーカーの仕事である。
私は、歴史に気を向けさせる為、私達の世界(殊に私の故郷)に沢山のフラッシュ(=爆発)や驚きが必要であることに不満である。確かにそれは人間の本性かもしれない。アメリカが心地よい孤立主義から出て、戦争に引きずりこまれるのに、奇襲の様なモノはやはり必要であったのであろうか???
私が何を考えているかって?それは、もし私達の世代が、映画的カタストロフィーを満足させる為、まず手始めに私達の目の前でハワイ人2400人を見殺しにすることなく、「グローバリゼーション」の危機を警告することが可能になれば…ということである。(#21〜25)
----------------------
Back to Japan & US Index