ポジティヴ評
以下のサマリーは、このページにリンクした日米記事からのモノです。
(冒頭の番号は、リンクページの記事に付けた番号と対応します。)
注:”このページに限り”、「パール・ハーバー」に好意的な記事を集めています。
ただし、私はこの映画に関しては、”アンチ”の立場を取っていますので、悪しからず。
全部訳すのもバカバカしいので、ぶっとびサマリーになっていますが(^_^;)。
原文とは、かなりニュアンスが変わっている部分も沢山あると思いますので
その辺は、予めご了承下さい。
また、私はプロの翻訳家ではないので、訳の間違いも沢山あると思います。
お気付きの誤訳がありましたら、遠慮なくゲストブックの方でご指摘下さい。
(#)の数字は、パラグラフの番号です。
(ディズニーの新しい戦争エピックは、何十年に1本の作品である) Wall Street Journal, May 30th, 2001より |
by mook: 筆者のセス=リプスキーは、ウォール=ストリート=ジャーナル寄稿編集者の一人。この記事は、水曜日に掲載されている彼のコラム欄にOpinionとして掲載されています。
“パール・ハーバー”は、「デイリー・ニュース」「NYポスト」「NYタイムス」「ウォール・ストリート・ジャーナル(ここでは、この記事のことを言っているんだと思います。)、その他の新聞評で、口を揃えて批判されているし、「ヒューストン・クロニクル」紙の若きハリソン紙は、この映画をナチのプロパガンダに利用されたレニ=リーフェンシュタールの映画の様だと言い、(中略)この映画が、ノーマン=ロックウェル、ロマンス小説、愛国的な昔の映画、そしてMTVに代表されるアメリカのヴィジョンを強調しているに過ぎないと言っている。しかし、批評家達のレビューと、この混雑した観客達のコントラストはどうだろう?(#1〜5)
私は7歳から10歳までの3人の少年を含む、6人でこの映画を観に行ったが、冒頭で2人の少年がアクシデント的に飛んでしまうシーン、レイフとエヴェリンの出会いの場面は面白かった。その他、子供達に幾度か説明をしなければならない場面はあったが、批評家達から総スカンをくらっていた三角関係の部分に文句を言う者はなかった。私は、なぜ批評家達があんなにこの三角関係について動揺していたのか、皆目見当がつかない。子供達は身を乗り出してスクリーンにかじりついていた。私にはこの映画が、これまで見たことがない程、戦争が私達にとって大きなものであるかを教えてくれる、三角関係を見せている様に見えた。(#6〜8)
戦闘シーンには、目を見張るものがあった。子供達がナーバスになって来たので、私は「コックに注目していなさい」となだめた。キューバ=グッデンJr.演じる実在のコック・ドリー=ミラーに関しては、この映画をポリティカリー=コレクトにする為のシニカルな手だてだと言う者もいるが、この「パール・ハーバー」を語るには、ヒーローが必要なのだ。
批評家達はまた、東京逆襲に当たり、ルーズベルトがこの世に不可能なことはないということを証明する為に、(立てない身体で)立ち上がったことに対して、不満をもらしているが、私はこのシーンの為に、この映画をもう一度観に行ってもいいくらいだ。また、ジェームス=ドリトルのキャラクターは、私にとって最も深い感銘を与えてくれた。
帰りのアイスクリーム・パーラーで、子供達は第二次大戦の質問を始め、それは週末中続いた。彼等の母親達は、関連の本を買ってやるようである。車の中で、兄(弟?)が私に、“To Hell and Back ”という映画を観に行った時のことを覚えているかと聞いた。実際、私はこの映画について、細かい部分まで鮮明に覚えている。もし「パール・ハーバー」が、この少年達にとって、私にとっての“To Hellノ”になるのなら、映画の入場料などには替え難い、価値のあるものとなるだろう。(#9〜11)
(「パール・ハーバー」は、40年代の戦争映画を蘇らせ、全てを変えた朝を呼び起こす) Washington Post, May 25th, 2001より |
by mook: 筆者は、ワシントン・ポストのスタッフ・ライター。この記事は、映画評の欄に掲載されています。
「パール・ハーバー」は、1941年12月7日についての映画だが、1941年12月7日の映画ではなく、現代のそれでもない。評価の高い「Btaan」や「Air Force」と言った典型的な戦争映画の様に、”monkey-race”の日本人が容赦なく皆殺しになることもない。
激烈でもなく人種差別的でもなく、愛と義務の葛藤を情熱的にエモーショナルに描いている映画として最も素晴らしい作品に、「カサブランカ」があるが、「パール・ハーバー」は、この流れを受け継いでいる。近年の人気娯楽大作ではまれにみる秀作として、「タイタニック」よりも心に響き、スリルを与え、そして私の涙を搾り出した。
プロの批評家は、この作品をおセンチで先が見え見えだという。だか、そこがこの映画の良いところではないのだろうか。この映画こそ、40年代の映画の再現ではないか。愛と義務の為に戦うのではなく、愛と義務の狭間で戦う。勿論、これがボガードとバーグマンによるものであれば、なおさらいいが…。なにしろこの二人は無敵なのだから。(#1〜4)
40年代の映画の様に、コミカルにそしてマジカルに始まるヒーローとヒロインの恋。(ここから先は、ストーリーについての説明/#5〜8)
一方この映画は、歴史的プロットに話を広げる。日本の尊敬すべきハーバード卒の天才、山本五十六(偉大なる台湾俳優MAKO- - -by mook:勿論彼は日系俳優です。筆者が単に間違えているのか、”Formosan”という台湾人の昔の呼び方を使っているので、ジョークなのかは不明- - -が海軍魔人ヨーダに変身している)が、真珠湾攻撃の策を練るのだ。
(以下、ストーリーについての説明/#9〜12)
戦闘シーンが、本物でないのは明らかだが、そのコンピュータライズされた映像は本物でないことが信じがたいくらいだ。日本の戦闘機は虫の様にブンブンと低空飛行をし、ちゃちな小さいプロペラは、まるで子供のオモチャの様に、目標へと近付いて行く。戦艦は死にゆく恐竜の様に海に横たわり、何百の水平が沸騰した水面へ転げ落ちていく。全く仰天モノだ。(#13)
そしてこの映画は、たとえ日本市場を考慮してとは言え、敵である日本との葛藤を随分と礼儀正しく描いている。ここで描かれている日本人は、古いスタイルの様に金の亡者であったり、出っ歯の東洋鬼であったり、クワックワッと合唱する猛禽類の様でもない。また、アメリカ側が、復讐心に燃えて仕返しをする様な感じもないのだ。当時実際に使われていた言葉として、「Jap」というあまり好ましくない言葉が使われてはいるが、これは2001年の礼儀正しさと、1941年の史実のバランスを取ったものである。(#14)
ストーリーの内容と、プロデューサー・ジェリー=ブラッケイマーの賞賛(#15〜20)
東京襲撃は、行き詰まった米国に素晴らしい精神向上をもたらした。実際「東京上空30秒」(1944年)の方は、ずっとフェアーなモノを見せていたのだが。大袈裟にスタイル化された2001年バージョンでは、爆弾が東京上空を雨の様に降り工場を次々と破壊していく。襲撃の後中国大陸に不時着した彼らは、日本軍と銃撃戦になり、ここで映画は突然「ワイルド・バンチ」に早代わり。ここで主演二人の関係は、ボギーが得ることのなかった結末に終わる。
過去に止まる限り「パール・ハーバー」は、パーフェクトであった。それが結末に向かってギアを変えた時、この映画は前にもあった古臭い話になってしまうのである。(#21〜23)
by mook: ネタバレになるので訳しませんでしたが、筆者はこの映画の結末にひどくがっかりしている様です(^_^;)。
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