*** mook's Travel Room ***
ユーラシア縦横断日記 その2

2008年12月1日から30日までの
旅行記です。
重くてそんまそ〜んm(_)m

前の日記(北京・ウランバートル・イルクーツク・シベリア鉄道)はこちら。

Day 11: 2度目のモスクワ
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12月11日(木)

シベリアからの時差2時間が抜けずに、6時前起床。ホテルをチェックアウトして、まずはキエフスカヤへ。コインロッカーがなかったので(今の時代ありえないっ!)、重い重い荷物を持ったまま、いざクレムリン。前回クレムリンの中は観たので、一目散にレーニン廟へ。これも2回目なので、すんなり入場。出てすぐに、ふとレーニンの鼻の穴はどう処理されているのか気になって、再度入場。いくらもの好きでも、1日に2回も見る輩はあまりいないのでは…f^_^;

ホテルの中庭
ここでランニング
レーニン廟
この中にレーニンが
お馴染み、赤の広場
赤の広場前に
スケートリンク

で、前回と同じく赤の広場で写真を撮りまくって、ボリシャヤ・ニキーツカ通りを西へ。マトリョーシカ博物館とタス通信前を過ぎて、環状道路西の文化アパートへ。さらに西の坂を登るもお目当ての映画館が見つからず、がっかりしてたら、地下鉄駅のすぐそばにありました。いや〜ちょっと道を聞くのも一苦労(^。^;)

文化アパートへ戻って1階のカフェテリアでランチ。品数は豊富だし、美味しくて安くて、おまけにトイレもキレいで◎でしたん。
さて、元気が戻った所で環状線を南下し、ノイ・アルバツカヤへ。ガイドブックにはモスクワの表参道とあったけど、ネオンがケバくてなんか歌舞伎町みたい…ここにも映画館があったので写真を撮ろうかなと思いきや、すんごいセキュリティチェック。ん〜確か前に映画館で爆破事件があったからなのかな〜?

大江戸線より深い
モスクワの地下鉄
旧ソ連の色濃い
タス通信ビル
映画でも描かれた
文化アパート
モスクワ西にある
シネマテーク

アルバツカヤ駅から再び西の環状線を目指して歩きます。ここはもう、完全に観光客用のホコ天になってます。旧外務省から折り返して、ナゾのオリエンタル・レストランでシベリア餃子&ライス。Yちゃんにお土産買って、さぁ駅に戻ろうかと思ったら、最後に見つけちゃいました。由緒正しきシネマテーク。今はレイトショーしか上映していないらしく、ダライラマのドキュメンタリーをやってました。ここはセキュリティがゆるかったので、中に入って写真をパシャリ。

映画館のセキユリティゲート
日本食のメニューもありました
アルバート通り東の
シネマテーク
シネコン内の漫画カフェ
キエフまでの寝台車
で同室の二人

再びキエフ駅に戻って荷物をピックアップしたら、ナント駅の隣にまたまた映画館を発見。ちょうど時間があったので『地球が静止する日』をロシア語吹き替えでf^_^;。まぁ何とか大筋は分かりました。
…で、23時23分 キエフ行寝台特急発車です。さらばロシア〜〜〜と思いきや、同室に2人のロシア人が。旅行会社に務めるヴィクトリアと、金融関係で不況の影響をまともに受けてるアレキサンダー。2人とも英語を話すので、ほんっと救われました〜o(^-^)o夜中の2時過ぎまで、ロシアンティーとチョコで乾杯。イミグレが来るまでは、楽しい夜でした。(^。^;)因みに、ロシア人は2種類パスポートを持っているのだそうで。普通に外国へ行く時はインターナショナル・パスポート、旧ソ連諸国にはナショナル・パスポート。それがここ最近のウクライナとの関係悪化で、来年からインターナショナル・パスポートどころか、ビザが必要になるのかもしれないそうで。世界中からビザがなくなればいいのに!と、ヴィクトリアは本気で力説しておりました。

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Day 12: 世界遺産とチェルノブイリ--キエフ
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12月12日(金)

ヴィクトリアとアレキサンダーに日本茶をご馳走して(時差‐1)8時にキエフ到着。
今夜のチケットを買って(お目当ての便はすでに売り切れだったけど)荷物を預け、いざ街へGO〜
まず、地下鉄の近代性にびっくり。駅にTVモニターがあるのは、他の国でも見たけれど、車中でニュースが見られるなんてスゴい。路線がシンプルだからなのか、モスクワの地下鉄よりずっと使い易いし…それと、これもキエフだけじゃないのですが、地下鉄内だろうと、何処であろうと、皆 四六時中ケータイで話してる。

ウクライナのFF店でホットサンドイッチを買って開館時間を待ち、10時ちょっと過ぎにチェルノブイリ博物館へ。うぉ〜、なんかもうちょっと整然としたものを想像していたのですが、その夥しい死者の写真で埋め尽くされたディスプレイに衝撃。雰囲気的にはベルリンのチェックポイントチャーリーに似たものを感じました。展示最後に世界とチェルノブイリの繋がりについてのコーナーがあったのですが、そこで一番の場所を占めていたのが日本の被爆者とチェルノブイリの被爆者達との交流。チェルノブイリの人達にとって、日本がいかに大きな存在であるかを痛感。
イベントルームでは亡くなった子供達への追悼集会が開かれており、地元の人々やTV局が集まっていました。キエフの人達にとってチェルノブイリはまだまだ過去の出来事はないのですね。

ロシアでもよく見かけた
飲酒禁止のサイン
ディスプレイが印象的な
チェルノブイリ博物館
白血病で亡くなった
子供達の追悼集会
中央マーケット

地下鉄でぐっと南に下がって世界遺産のペチェールシク大修道院へ。バスに乗り換えたら最初、反対方向のバスに乗ってしまい(間違いを教えてくれたおばあちゃん有難う〜(^_^;)。。。やっと到着。をを、想像より遥かに大きい〜。聖ソフィア大聖堂をはじめ20近くの教会が集まっており、その一つ一つも散らばっているので、じっくり回れば半日以上かかる程の広さです。
有名な地下墓地はガイド付きでないと入れないというので、主要な聖堂の中を見てまわります。う〜ん、私自身、建築というモノにはまるで興味がなく、ヨーロッパを長い間回っていると、教会の外側を見ただけではうんざりするほど飽きてしまうのですが、やっぱり教会の内側ってゆ〜のはどれも個性的で飽きないですね〜。教会の外観だけならわざわざ現地まで足を運ぶ必要はないと思うけど、やっぱ教会の中に入ってその中の空気を味わう(?)には、実際現地に行くしかないのかと。

世界遺産の
ペチェルーシク大修道院
本物の車を使った
大規模な広告
旧市街の通り
オペラハウスの東側
独立広場

再びミニバスに乗って、今度は地下鉄で独立広場へ。普通のカフェに入ったらメニューに寿司のメニューが並んでいてビックリ。シェフチェンコ文学館など文化関係の施設や教会の並ぶ旧市街をぶらぶら。豪華なオペラハウスを抜け、坂を下りると噂のキエフ大学が。をを〜コレが血の色の大学かぁ〜。想像以上に目の前にするとドギツイ血の色です。何食わぬ顔でキャンパス内に潜り込み、暫くウロウロしていましたがアジア人が全くいないので相当注目されてしまいました・・・

血の色に染まった
キエフ大学
メイン通りの
巨大な映画館
映画館内の
チケット売り場
別の映画館内
『地球が静止…』上映中

その後地下鉄の駅2駅分南へ下ってUターンし、キエフ最大のシネマテークを発見。なかなかゴーカ。さすがに映画を観る時間はないので、再び中心街へ戻るも、まぁ広い広い・・・キエフがこんなに大都市とはね〜。ショッピングもかなりしがいがありますよっ。歩き疲れてウクライナ料理のチェーン店へ。バイキング形式なので、言葉が通じなくても指せばよいから助かります。お目当てのキエフカツレツとキエフ風ボルシチとキエフパンをオーダー。パンについては、NYに私のお気に入りのレストラン(というより食堂みたいな所)"kiev"のパンの美味しさには及びませんでした。う〜残念・・・

早めに駅へ戻って荷物をピックアップし、壮絶な席取り合戦の末電車待ち・・・あ〜もぉ22:30です〜〜〜。

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Day 13: 天国と地獄のリヴィフ
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12月13日(土)

この世には、どん底の時にこそ、人の優しさが身に滲みるものです。そんな優しさを実感した今日1日でした。

その例パート1: 朝、水の滴る音で目が覚めると、上のベッドから信じられないモノが…
寝起きなので、何が起きたのか呑み込めないでいると、隣のおねーさんが(ウクライナ語で)「早くこっちへいらっしゃい」と手招き。眠っていて事態を知らなかった犯人(?)のにーちゃんの親友に向かってすごい剣幕。そこからの二人は本当に優しかった。おねーさんは自分のベッドを半分あけて、寝かせてくれるし、ウェットティッシュを全部取り出して汚れた上着を拭いてくれるし… 親友のにーちゃんも、結局は自分のベッドを明け渡してくれました。で、当のにーちゃん(18〜20歳そこそこ?)はもう果てしなく正体不明だったので、怒る気にもなれず… それよりも二人の優しさが本当に嬉しかった。二人とも殆んど英語を話せないのに、人間のコミュニケーションってこうやってしっかりと通じるモノなんですね。

その例パート2: 朝8時リヴィフ到着。クラクフ行きのチケットを買おうとしたら、窓口のおばちゃんは首を振って何か言っている…???そこに奇跡の助け船。横から「英語分かる?」の声が。声をかけてくれたのは、リヴィフで英語を教えているアメリカ人のヨーゼフ。彼が通訳してくれるに、クラクフまでの電車は1日1本しかなく、それはついさっき出てしまったのだとか。途方にくれていると、なんとヨーゼフくんが国際バスターミナルまで一緒に行ってくれました。けど、片道40分往復1時間半もかかる遠いトコなんですよ!おまけに足りなかったバス代払ってくれたし…イイ奴過ぎる〜(>_<)彼に会わなかったら、こんなに遠いバスターミナルなんか絶対にたどり着けなかったと思う。絶対。で、彼のおかげで無事に深夜バスのチケットをゲット。街中でさんざんお礼言って別れて、教えてもらったユースホステルへ。ここで洗濯してシャワーを浴びてキレいさっぱり。

キエフでも行った
ウクライナ食堂
メイン通りの風景
オペラハウスを望む
リヴィフの映画館です

リヴィブの街に繰り出します。大都会のキエフとは違ってこちらは古都の趣。ロシア色も殆んどない中世ヨーロッパの街並みです。さすが街全体が世界遺産なだけあるな〜
ホステルで教えてもらった映画館を見つけ、リヴィフ大学まで南下して一旦ホステルへ。ブログをアップし、1時間夕寝してチェックアウト。今度は自力で国際バスターミナルへたどり着きます。向かいのダイナーで本日2食目のボルシチ&カツをたいらげ、22時無事に出発です〜。

話に聞いていた通り、イミグレが0時から3時半までという異常な長さ。ウクライナからポーランドへ流出する不法労働者が後を絶たないのだとか。途中でベトナム人?と聞かれた私への尋問はさらに激しく…それにしても、ウクライナ軍のおねーさんが異常なくらい流暢英語を話すので(しかも早口)、何だかそっちの方がコワかった…f^_^;

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Day 14: 非情城市 アウュビッツ(オフェンチム⇔クラコフ)
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12月14日(日)

予定より早く朝5:45クラクフ到着。駅までの道に迷って6:15の電車は逃したものの、7:05の便でオシェンチム。9時ちょっと過ぎアウシュヴィッツ到着。

アウシュヴィッツと言えば、モノクロの写真ばかり見てた私にとって、あまりによい天気の下、温かい色の煉瓦に囲まれたこの光景には違和感を感じましたが、各棟に広げられた遺品(眼鏡、髪の毛、靴、ブラシ、名前の入った鞄)を目の前にすると、ただただ言葉もないという感じでした。
コンクリの寝床から、拷問房、絞首台、銃殺の死の壁を経て焼却炉へ。思っていたよりずっと小さな部屋なので不思議に思っていましたが、後で聞いたところによると、アウシュヴィッツを建設した当初はそこまでの大量虐殺を考えておらず、第2第3のアウシュヴィッツを増やしていくなかで、虐殺もエスカレートしていったのだそうです。

…と↑の話は、帰りの電車で一緒になった新聞記者ピーターから聞きました。彼は来年1月24日掲載予定の特集記事でアウシュヴィッツのことを書くのだそうです。彼に聞くまで私は、アウシュヴィッツって、戦後ポーランド人が自分達の歴史を後世に伝える為に作ったモノだとばかり思っていたのですが、実は戦後すぐポーランドに侵入してきたロシアが自分、プロパガンダの為に作らせたモノらしいのです。だから、焼却炉の釜が新しいモノだったり、へんに窓が付けられてしまったりして、実は忠実に保存されたモノではないのだそうで。ピーターはこれから、アウシュヴィッツ最初の建設に関わった人達と、戦後の再建時に関わった人達にインタビューするのだそうです。

アウシュビッツ入口
後ろは幹部邸
死の壁付近
焼却炉
クラクフの映画館

クラクフに到着し、ランチを奢ってもらったのですが、イラク戦争開戦時カメラマン&通訳と3人で2週間もサダム一派に拉致されていた話(本にも書いたのだそうで)や、日本で特派員をしている時 大葬の礼に出席した話やら…

あっと言う間に夕方。ピーターと別れて、通称゛マンガ゛と呼ばれている日本美術センターに行こうと思っていたのですが、どうもトラムの路線が変わってしまったらしく、いつまでたっても違う所へ出てしまうので、仕方なく諦めてワルシャワ行きのICへ。同乗は、日曜の夜だと言うのにワルシャワまでの3時間弱、ずっと真剣に仕事の打ち合わせ(会議の準備?)をしていたおにーちゃん二人。途中のブレイクタイムにポーランドの歴史について少し話してくれたけど。

夜9時ワルシャワ到着。飛び込みで駅前のマリオットホテルへ。1泊ちょうど100ユーロ。ここまでの旅でホテル代は1000円以下かタダ(昨夜も深夜バス泊だったので、交通費800円だけかかって宿泊費はタダ)で過ごして来たので、半分達成記念の奮発ですo(^-^)o 駅に戻り、明日のチケットをゲットしたら ホテルでお風呂三昧〜〜〜

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Day 15: 文明開化のワルシャワ
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12月15日(月)

久しぶりにゆっくりと8時起床。せっかくなので温水プールを満喫。その後ジャグジーとミストサウナまで堪能して(あと1日あったらジムも満喫できたけど)名残惜しくチェックアウト。このロケーション、素晴らしい眺め(私の部屋は31階でワルシャワ中の景色が一望出来た)、贅沢な設備(スポーツジムだけじゃなくてスパもあるし、TVには日本語放送も)、それにこの安さ!超オススメのホテルです。

ホテルの窓から見る
ワルシャワの街
駅前のショッピングモール
今回泊まった
マリオットホテル
夜に映画を観た文化記念堂

地下鉄に乗って教えてもらったシネマテークへ。シブイです。い〜な〜こういう劇場。で、東へ歩いて旧市街。寒い中、広場の真ん中でアイスを食べてるおばちゃんにビックリ。お目当てのキュリー夫人博物館は休みでしたf^_^;

ワルシャワの
シネマテーク
通称:ふとっちょ
マルガリータ
旧市街の広場
王宮前広場

王宮広場から幾つか教会を周り、クラコフ通りを南下。ワルシャワ大学を覗いたら、教室のボードに日本語で゛オゾン層゛とか゛氷山の一角゛ とか書いてある。校舎へ入ると 期末の試験勉強真っ最中の女子大生達がいました。難しい漢字書いてるね〜(@_@)
大学前にあるポルカというカフェに入ると、さっき旧市街で会った日本人のおじさん達がいました。「旅は道連れ」とはよく言ったもので、旅先で会う人々と情報をシェアするのは楽しいもの。半月ぶりに日本語を喋りました〜o(^-^)

ワルシャワ大学正門
日本語クラスの様子
日本語を勉強する生徒達
映画館の中
今回観た映画ポスター

さて、カフェの乱立する新世界通りを南下。駅前のギャラリアで待望のアイスパフェを食べ、社会主義国時代の墓と呼ばれる文化記念堂へ。この中にある巨大な映画館で「Maka Moskwa」というポーランド映画を観ます。
1960年代後半ど現代が交錯するけっこうベタなラブストーリーなんだけど、とにかく役者がイイ〜女優はまるでオードリー・ヘプバーンの再来だし、男優もその垂れ目具合が堪らん(^。^;)かなり複雑な内容(実は政治色も強い)なので、字幕付きでもいっかい観たい〜〜〜

ホテルから荷物をピックアップして ギャラリアで夕食(スープめちゃ美味しかった!)23時 バス出発です。さらばワルシャワ〜♪

つづきの日記はこちら。

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