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大学生の時に約2ヶ月の旅をしましたが、社会人になってから1ヶ月も旅が出来るなんてまず自分はとてもラッキーなんだと思います。そして、今回の旅でも様々な人達にどれだけ助けられたことか。まさに"旅は道連れ" これこそ旅の醍醐味であると共に、本当にラッキーな旅だったなぁと思います。同時に、人間のコミュニケーションは"言葉ではない"ということ。今回、私を助けてくれた人達の中には、英語を全く話さない(数字のワン・ツー・スリーでさえ分からない)人達が沢山いました。けれど、彼らは助けても何の得にもならない私にどれだけ優しくしてくれたことか。
シベリア鉄道で一緒だったモンゴル人のムーギー、スコットランド人のミッシェル、イギリス人のアンソニー、ドイツ人のパトリック、オーストラリア人のマーク、キエフからリヴィフの深夜特急で助けてくれたおね〜さん、リヴィフで何から何までお世話になった救世主のヨーゼフ、アウシュヴィッツで知り合ったピーター、ヴィリニィスでオマケしてくれた時計屋のおじいさん、リーガで2回も私から財布を取りそこねたスリの少女(世話にはなってないか・・・でも忘れられないなぁ)、タリンで一生懸命応対してくれた病院のおばぁちゃん、ヘルシンキの公共サウナで会った元気なおばぁちゃん達、ストックホルムで迷惑かけちゃった同室の女の子達、ドーハと広州で会ったとてもいい感じのご夫婦二組など等・・・皆さん有難う〜〜〜〜m(_)m
今回の旅のテーマは"北京から北極圏へ:ユーラシア大陸 縦&横断"でした。最寒期の2月でないとは言え、通常イルクーツクはマイナス20℃、ロヴァニエミもマイナス10℃、その他北欧の国々も軒並みマイナス5℃前後と予想していたのですが、北極圏のロヴァニエミでさえ3℃、ヘルシンキでも雪は降らず雨という信じられない暖かさでした。思ってた以上に進行している温暖化の深刻度を思い知らされた旅でもありました。
そして、帰国してみて見えてきた日本の現状。最終日の日記にも書きましたが、成田から高速を降りて最初に目に入った光景が都庁前のホームレス・ダンボール群。GNPでは計れない日本の貧しさを露呈しています。また、今回、エストニアとスウェーデンで病院に行った後、日本で病院へ行ってみて、改めて日本は"病院へ行きにくい"国だな〜と痛感しました。エストニアでは夜の9時過ぎ、スウェーデンでは日本の元日にあたるクリスマス当日(お店は全てしまり、コンビニさえ閉まってます)に病院へ行きましたが、どちらも急患扱いではなく、フツーに診察をしてくれました。ところが、日本へ帰ってみると、1月3日に保健所へ電話しても(本来なら杉並の保健所はオープンしています)、大学病院へまわされたり、他の町医者にまわされたり、こんな"タライまわし"じゃ手遅れの患者が続出してもおかしくない、という状況。保健制度同様、ヨーロッパの医療環境に比べるとそれはそれはヒドイものだと感じました。
最後に。帰って来て殆どの人達に聞かれるのでここでも"何処がよかった?"順位書いておきますね。
1位:ストックホルム(人が好き、街が好き、自然が好き、その全てが効率的な社会が好き、また行きたい!)2位:タリン(エキゾ&ハイソ。様々な歴史と地理要素が絶妙のバランスでミックス)3位:リーガ(想像を裏切られた洗練の街。ココなら数年住めそう)4位:ワルシャワ(動く街の息吹を感じます。若い人達の英語のウマさにも驚きました)5位:キエフ(予想以上の大都市ぶりにビックリ。こちらも街の変革期が持つ独特の息吹を感じました)6位:ドーハ(ドバイと似て非なる発展ぶり。路地裏の長閑さになごみました)7位:ヴュニリィス(時計屋のおじいさんの優しさ、一生忘れません!)8位:イルクーツク(寒すぎる程の気候も私には◎。街のコンパクトさも好きでした)9位:ウランバートル(今回はトランジットのみでしたが、とても深くて面白そうな街でした)10位:リヴィフ(ウクライナとポーランドと独自の文化を持った興味深い街)11位:クラコフ、12位:ヘルシンキ、13位:ハンブルグ、14位:オスロ、15位:広州、16位:北京、17位:フランクフルト、18位:香港、19位:ロヴァニエミ、20位:モスクワ **空港から出なかったウィーンと博物館を見ただけのオフェンチム(アウシュヴィッツ)は除外しました
まぁ、最下位は・・・(^_^;)キリル文字が読めるようになったら少しは変わるかな???
言うまでもなくどの街にもよい所とわるい所があり、今回は長くて2泊3日の長さだったので1週間、1ヶ月、1年と住んでみればそれぞれ印象は違うのだと思います。全ての都市、また行ってみたいですね〜〜〜。
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