*** mook's Travel Room ***
Amsterdam, Netherland 1

This is my travel diary in Basel, Switzerland and Amsterdam, Neatherland from Oct 17 to 30th, 2001.

2001年10月18日から30日までの
スイス&オランダ旅行記です。

写真は文章の内容に合った順に載せているので、後で撮影したものもあります。
よって日付の順番はめちゃくちゃですが…。

Oct 26th, 2001
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Go to the diaries from Oct 24th to 25th.
10月24〜25日、スイス・バーゼルで書いた日記はこちらから。

朝、S&Dと別れてトラムに乗って中央駅へ。駅構内のMIGROSで、おみやげ用に”Japonais”という怪しげなチョコを買い(味付けに日本風味があるわけでもなんでもない普通のチョコ)、そこから15分ほど空港バスに乗ってユーロ空港へ。実はユーロ空港は、スイス領ではなくフランス領内にある。けど、ぼおっとしていたら、いつ国境を抜けたのか全然分からなかった(^_^;)。
空港に入って目に付くのは、3種類の公衆電話。スイス硬貨、ドイツ硬貨、フランス硬貨でかけられるモノ、最近出来たらしい、どの硬貨でも使える電話もあった。空港内の放送も英語を含む3ヶ国語で、改めてバーゼルの国際性を感じた。ロビーに置いてある新聞も勿論さまざま。私はどうせ読めないので、そこに置いてある新聞の写真を片っ端から見比べてみた。それで気が付いたのだが、幾つもの新聞で使われている全く同じ写真が何枚かあった。例の南スイストンネル事故の写真とか、現在バーゼルで行われているスイス・オープンに出場しているアンドレ=アガシの写真とか。日本の場合、地方紙は別として、違う新聞で同じ写真を目にすることは殆どないから、これはちょっと珍しい。

Public Phone for multicoins
3カ国コイン対応の公衆電話
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This is the plane I took
こんなんで2カ国分飛んじゃうんですよね(^_^;)
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A meal @ the airplane
スイス風の食事が出ました
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あっという間に搭乗時間。飛行機の窓から、スゥエーデン空軍が止まっているのが見えた。何でスイスの空港になんかいたんだろう???ともあれ、バーゼルでの8日間は、思っていたよりずっと濃い内容となって面白かった。私も正直、スイスといえばハイジくらいしか思い当たらなかったし、バーゼルなんていう街の名前、それまでは聞いたこともなかった。けれど今は、この街がいかに面白い所であるか、けっこう自信を持って人に勧められる様な気がする。
第一、1〜2ヶ月なら楽勝で住めるよなぁ、特に日本人には。Sのアパートは、彼女がアメリカ人なのでどの部屋も土足だけど、スイスの一般家庭では、皆家の中で靴を履かないのだそう。美容院と自転車屋さんが多いのも日本みたいだなと思ったし…。あと、日本人とバーゼルの人が似ているなぁと思ったのは、アイコンタクトの避け方。誰かと目が合うと、取り合えずニコニコするんだけど、英語が分からないと、知らないうちにそそくさと逃げてしまったりなんかして(^_^;)。でも、ホントにまたゆっくりと訪れたい街です。今度は、年に一度のカーニバルがある3月とかの方がいいのかな?

たった1時間ちょっとの飛行なのに、機内では豪華な昼食が出た。飲み物も、赤ワインとシャンペンを両方もらってしまったりして、けっこう酔っ払い気味の私。
ちなみにこの私が乗ったCross Airは、今問題になっているスイス航空の傘下にある会社だけれど、今それこそ台所が火の車であるスイス航空とはうって変わって常に黒字を計上している優等生。便の殆どがスイスを中心にした各ヨーロッパへの定期便だからなのかな???地図で見ると、いかにスイスがヨーロッパの真中に位置しているかがよく分かる。

Central Station
東京駅のモデルとなった中央駅
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A church near the station
駅前にある教会
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Canals @ the city
アムステルダムを流れる運河
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空港からアムステルダム中央駅までは、電車で約15分。駅前にある観光案内所で、”Amsterdam Pass”(63ギルダー=約3000円)を買う。これは観光クーポンの束で、主要美術館、キャナル・クルーズのタダ券の他に、3日間公共交通機関フリーパス、その他の観光地・レストラン等のディスカウント券が付いている。4日以上アムステルダムに滞在する人には、超お勧めのパス(でも、2日滞在とかだと、全然使いきれないと思いマス)。
トラムに乗ってホテルへ。おそらくNYからアムステルダムに直接来ていたら、全く印象が違っていたんじゃないかと思う。1週間以上も整然としてこぢんまりとしたバーゼルにいたので、何だかすっごい雑然とした大都会に来てしまった様で…。マリファナの匂いが充満し、赤いネオンサインがあちこちに見られ、自転車がもの凄い早さでびゅんびゅん走っている、ここアムステルダムを一言で言えば、”エネルギッシュでワイルドな街”。人種も、バーゼルに比べるといろんな種類の人達がひしめき合っているという感じ。

ちょっと迷って、ウォータリング・サークルの近くにあるホテルへ到着。あれこれ済ませたら、もう午後5時になってしまったので、お目当ての美術館めぐりは諦めて、最終6時発のキャナル・クルーズへ直行した。オランダは、世界最大の港街ロッテルダムがあることでも有名である通り、水と人とが戦いながら共存してきた国。アムステルダムの中心街は、1〜2ブロックごとにある運河に囲まれている。運河の街と言えば、勿論ヴェネチアが有名だけど、アムステルダムの場合はヴェネツィアの様に家と運河がすき間なく接しているのではなくて、運河と家の間に道がある。その狭い道を車と人と自転車がひしめき合っているのだから、慣れるまではちょっと戸惑ってしまう感じ。
ともあれ、このキャナル・クルーズは、中央駅を出発して、通勤フェリー乗り場と警察署(パトカーもフェリーだったりする)の前を通過し、主要観光地をゆっくりと走っていく。すれ違う船の中には、けっこうそこで生活している人もたくさんいた。ちなみにこのフェリークルーズ(ホーランド・インターナショナルのもの)のガイドは、ドイツ語・フランス語・英語・そして中国語でなされていた。私の乗っていたクルーズにもたくさんの中国人が乗っていたし…。
それまでのべつまくなしに続けられていたガイドの説明が急になくなったので、どうしたのかな?と思ったら、そこはいわゆる“赤線地帯”だった。英語ガイドの説明は"This is provably the most famous part of Amsterdam... Red Light District."だけで、あとはひたすら沈黙が続いていた。看板に日本語の表示も見える。それだけ日本人のお客が多いということの証拠だろう。

Kさん達と行ったバー
(撮影は後日)
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隣りの食堂は良かった!!!
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アムスのコロッケはパンに挟んで
左は、アムス滞在中ハマったBitter Lemmon
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運河から河に抜け、再び中央駅前に付いてクルーズはおしまい。駅構内の観光案内所で”Day by Day"という英語情報誌をGETして、トラムで南に向かっていたら映画の撮影をやっている。ものめずらしくなってそこでトラムを下り、カメラトラックの前でぼぉっとしているオジサンに話かけた。そうしたら、今ちょうど屋内での撮影が終わったところで移動中だから、あと1〜2時間したらすぐそこの場所に来いという。面白そうだから、「じゃ、また後で」と言ってその場を後にした。

1〜2時間じゃすぐだから、ホテルに帰らず、インターネットでもしようとその辺をうろうろする。レンブラント広場に24時間インターネットが出来る場所があると聞いたのだが、なかなか見つからない。橋の上でふと見知らぬ人に道を訪ねると、これから日本人の友達と飲みに行くので一緒に来ないかという。彼らのすぐ後ろから来たのが、近畿日本ツーリストに勤めるKさん(ご本人の希望で、会社名は本当の名前です)。いきなり会ったばかりだというのに、飲みに行っていろいろと教えてもらった。こちらは右も左も分からない観光客なので…(^_^;)。一緒に行ったのは、日本人のKさんと、オランダ人、ウェールズ人、パキスタン系イギリス人の4人。皆混合だから、自然と会話は英語になって助かった。彼らのお勧めで飲んだビールはLucifer Beer。ダーク・ビールとも呼ばれているが、黒ビールではなくって茶色のビール。Kさんはレモン入りのホワイト・ビールを飲んでいた。
お腹がすいて来たので、バーのすぐ隣の食堂で念願のコロッケを食べる。オランダと言えばやはりコロッケ。マクドナルドにまで、コロッケ・メニューがあるくらい。その他、チーズのフライもオーダーしたが、こちらはお腹が一杯になって半分しか食べられなかった。このバーと食堂、場所はWaagと呼ばれる計量所広場の西側にある。

Salvation Army sings
@ the red light district
売春婦達と改心させようと
歌う救世軍の人々(暗すぎ…)
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A sign in Japanese
日本語の看板もある
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Dam Suqare
ダム広場
(後ろのホテルでトイレ借りました(^_^;)
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文字通りオランダ観光のプロ、Kさんがその計量所近くにある、赤線地帯を特別に案内してくれた(見知らぬ私に、タダで!)。噂に聞く”飾り窓”地帯を歩く。小さな路地には、何百という小さな部屋があって、ホントにドア一つサイズのところにおねえちゃん達が立っている。まさに人肉市場のよう。うわ〜、話には聞いていたけれど、この眼で見るとやっぱり衝撃。
ちなみに2000年10月(ちょうど1年前)より、オランダでは売春が合法化され、彼女達には組合も出来たし、老後の年金も保証されることになった。今回バーゼルに滞在していた目的が、日本の戦後1945年から売春禁止法が施行される1956年までの公文書解読だったので(この話については、書きだすとキリがないのでスキップしますが)、その興味もひときわ高まる。Kさん曰く、やはり沢山の日本人男性がアムステルダムへ来ては赤線地帯に行って帰っていくのだそうで。それだけが目的で来ている人も沢山いるんじゃないかと思う。だって確か一人200ギルダー(10000円くらい)前後だから、わざわざ飛行機代を払って来ても、数日間滞在すれば、ある意味安上がりになるし…。あ、勿論私は売春制度自体には反対の立場だけど(それは、セックスを商売にするのがいけないと言っているのではなくて、売春の裏には常にジェンダーのアンバランスや、国or地域間の格差があるから。勿論、売春をしている彼女達の殆どが東欧や中東などからの出稼ぎ労働者)、組合まで作った彼女達がこれからどうなっていくのかについては、これからも注目して行きたいと思っている。
Kさんにダム広場前にある5つ星ホテルのトイレに連れていってもらって、ロビーで暫く話をした。彼女は1年前まで6年間シカゴにいて、それからアムステルダムへ来たという。アメリカのTVの話とかになって盛り上がった。海外に住んでいる日本人女性って、やっぱり沢山いるんだなぁ。

Film crews of "Merry Xmas"1
夜モードだったので、
これ以上近付いて撮れませんでしたが
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Film crews of "Merry Xmas"2
う〜ん、もっと写真撮れば
良かったと激しく後悔
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The clock tower @ Munt square
週末には若者でごった返す
ムント広場の時計台

あっという間に2時間以上が過ぎたので、映画の撮影現場に行ってみた。なんとビックリ、カメラトラックの見張りか何かだと思っていたさっきのオジサン、実はこの映画の撮影監督であった。何だか知らないうちに私は彼の友達ということで(2時間前からの???)、撮影現場にフリーパス、監督さんにまで紹介してもらってしまった。監督の名前は、ネリ=パレンティ。もう何年もイタリアの映画を撮り続けているベテラン監督だが、殆どの作品がコメディなので、日本やアメリカで公開されることは殆どない。主演男優はクリスチァン=デシーカ。そう、あの巨匠ヴィットリオ=デシーカの息子にあたる人。30代後半か40代って感じだったけど、スーツ&コートををびしっと着こんでめちゃかっこ良かった(サインもらっておくべきだったかな?)。
この映画はイタリア=スペイン共同合作で、イギリスやアメリカからも出資されている多国籍映画。スタッフもイタリア系を中心に、いろいろな人達がいるので、基本的な会話は全て英語でなされている。撮影監督のカルロは、その中でも飛びきり英語がうまいので、ちょっとびっくりしていたら、彼はけっこうアメリカのクルーとも沢山仕事をしているのだという。

撮影中は彼も忙しそうだったので、撮影に使われたタクシーの所有者であるおにいちゃんとダベっていた。彼はアムステルダムからかなり離れた街に住んでいるといってたが、英語が本当にうまくてびっくりする。毎日現場に顔を出して撮影の様子を見て来たらしいけど、毎晩夜中過ぎまで撮影が続くかなりのハード・スケジュールだったのだそうで。
実を言うと、この映画のオリジナル・タイトルは”Christmas in New York”。タイトルの通り、映画の殆どは9月の16日からNYで撮影されるはずだった。それが今回のテロ事件により、NY撮影は全面中止、急遽脚本を書きなおして今回のアムス撮影になったとか。タイトルも”Merry Christmas”に変わっている。アメリカや日本で劇場公開される可能性は薄いと思うけど、来年の春くらいにはイタリア系のビデオ・レンタルショップで手に入るかもしれない。

カルロが、撮影が終わったら飲みに行こうと言っていたのだけれど、外の撮影でめちゃくちゃ寒いし、おまけに小雨まで降って来たので連絡先だけ渡してその場を後にした。
レンブラント広場近くにある”Easy Everything”でメールチェック&BBS書き込みをしてホテルに帰る…。

オランダ政府観光局(日本語)はこちらから。

Oct 27th, 2001
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朝食後、国立美術館へ行く。元々レンブラントが大好きな私にとって、彼の作品がこれだけ一同に観られるというのは、超〜うれしい。真っ先に、“世界三大絵画”の一つであるお目当ての『夜警』へ向かった(ちなみに20世紀中盤に行われたクリーニング作業によって、窓から昼の光が入っていることが分かり、この絵は夜の絵ではないことが分かっている)。やっぱり、この絵の前だけ特別に警備が厳しい。う〜ん、さすがに目の前で見ると超迫力。光の当たった部分と背景部分のコントラストが素晴らしい。映画のライティングに、”レンブラントライト”という照明法があるが、これは勿論、彼の特殊な光の陰影法から来ている。現実には有り得ない陰影であるだけに、それだけ映像に力強いコントラストが生まれるというワケ。この美術館には、レンブラントだけでも相当数の絵が置いてあるけれど、私が特に印象に残ったのは『Jeruiah lamenties the distruction of Julusalem』や『The Denial of Peter』などだった。

レンブラントの次にこの美術館が目玉にしているのは、何といってもフェルメールだろう。実はこの初夏、NYメトロポリタン美術館で『フェルメール展』が開かれた時に私が観た3点が、元の住みかであるこ美術館に戻ってきていたので、何だか感慨深いものがあった。有名な『The Kitchen Maid』もいいけど、特に『The Little Street』とニックネームのついた絵は私のお気に入り。やっぱり本物は何度観ても、何処で観てもいいモンだよね。Pieter ClaeseやJan Baptis Weeniaの作品の幾つかは、これまた去年、メトロポリタン美術館の静物画展でお目にかかったものだった。

美術館へ行く途中の運河
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National Museum
国立美術館
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"Nightwatch"
レンブラントの『夜警』

その他、西洋絵画に関しては殆どがオランダの画家中心。ゴッホの作品は、自画像をはじめ幾つか置いてあったがl、有名なモノは殆ど隣のゴッホ美術館に置いてある。他に印象に残った作品は、Matthijis Marisの『Painter Ludwig Casinir Sierig』くらいかな。
1階の別館はアジア美術のセクションになっているのだが、さすがオランダ。日本絵画のコーナーにはちゃぁぁんと(?)春画も展示してあった。他の美術館と同じく、根付や印篭は勿論のこと、徳川家の家紋入り小型銃が置いてあるのにはびっくりした。コレってけっこう貴重じゃないのかな???
このセクションの特別展は、日本画などの修復作業の紹介。和紙に書かれた絵をミクロの世界で少しずつ修復していく作業が、ビデオなどで詳しく紹介されていた。細野不二彦のマンガ『ギャラリー・フェイク』で、主人公の藤田が日本画などを修復するシーンを何度も観て来た私にはとても興味深い企画だった。

参加者にツアーの説明をするマイク
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所々で街の説明もしてくれます
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27台の自転車を見事にまとめ駐車
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ミュージアム・カフェで慌ててクロワッサンとコロッケを頬張って、美術館前に。ここで、『Mike's Bike Tour』という自転車ツアーに参加した。42ギルダー(約2000円)で4時間強のツアー。コレは安い。このツアーを始めたマイクと、実際にガイドをしてくれたマイクは別々のマイク。ガイドをしてくれたマイクはアメリカ人で、このツアーをもう6年もやっているという。今日はなんと26人もの人達が参加したが、彼はこの大所帯を見事にさばいていた。26人の中で、日本人は私一人、バンクーバーからのカナダ人2人、オーストラリア人2人で、後は全員アメリカ人だった(英語のツアーだから、他の言葉を喋る人がいないのは当たり前だけど)。私はアトランタから来たというクリスタとステファンの二人と仲良くなったが、カナダ人の女の子や、ミシガンから来た男の子は、私がNYから来たということを知って、テロ事件のことをいろいろ聞いてきた。特にミシガンの男の子は、私が生まれて初めて会った日本人だとか言って(いま時信じ難いけど。どんな田舎から出てきたのだ???)、さかんに私の写真を撮っていた。私も彼の写真を撮ってやればよかったと、いまさらながら後悔…(実はけっこうかわいかった)。

ツアー途中で見た跳ね橋
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一応右側は私なんですけど(^_^;)
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オランダと言えば、やっぱり風車
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赤線地帯で、マイクからセックスとドラッグについての講義を一通り聞いた後、私達自転車隊(26人の自転車隊ってけっこう大きいです)は川沿いを一路南へ。午前中は曇り空だったのに午後はいい天気になってとっても気持ち良かった。川ではカヌーの練習をしている学生の姿もあったし、乗馬をしている人もいた。自転車を20〜30分走らせて市内を出る。私たちの行き着いた先は、いまだに人の住んでいる風車小屋。お〜、やっぱりオランダと言えば風車だよね。実は風車の羽根の位置には意味がいろいろとあって、この風車は今でもそれを踏襲しているという。第二次大戦のナチ占領下、風車はレジスタンス達の連絡にも役立っていたとマイクが説明してくれた。

風車小屋からすぐ南に、観光客用のチーズ工場&木靴工場があり、そこでチーズの作り方を教えてもらったり、木靴作りを目の前で見せてもらった。特に木靴作りのおにいちゃんは、かなり多くの日本人観光客も受け入れているらしく、片言の日本語で私に話かけて来た。
ミュージアム広場を経由してライツェ広場へ。マイクから自転車へ飛びついてくる犬に注意せよ、というお達しがあった。ここアムステルダムには放し飼いの犬がとても多い。おそらく繋がれている犬より、放し飼いの方が多いんじゃないだろうか。で、揃いも揃って、彼らは人や自転車に飛びついてくるのだ。しかも吠えながら。このページで書いた様に、NYで吠える犬を見かけるのは、ごくまれなことなので、何だかびっくりしてしまう。犬の性格にもお国柄があるのかな???

チーズ製造中
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木靴製造中
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最後に皆でラリったライツェ広場
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ライツェ広場でお酒を飲みながら、マリファナ大会(?)。まずマイクが紙巻きのやり方を教えてくれる。皆で3〜4本まわして吸った。オランダでは、つい最近まで、30gまでのマリファナが合法とされていたが、オランダのEU参加によってそれが5gまで制限されている(5gだって観光客には十分の量だけど)。ともあれ、アムステルダムでは白昼、広場の真ん中で皆が堂々とドラックをやっているというワケ。実は今回、マイクが紙巻きしている所から私がマリちゃんを吸っている所までしっかり写真に撮っておさめたのだけれど、マイクからの助言により、このHPには掲載しないことにした。勿論オランダに居てドラッグをやることは、全くの合法行為であるけれど、私のHPは特に日本語なので、 どこでどう誤解されるかもしれないから…。

私ってば、タバコもろくに肺に入れて吸えないので、殆どラリることもなく無事ツアー終了(ラリって自転車事故起こしちゃう人とかいないんだろうか???)。今夜の分の支払いをまだ済ませていなかったので、ホテルに一旦戻ることにした。
実は今回、すでに4泊分の予約を入れてはいたものの、他にもっとよさそうなホテルが見つかればそっちに移ろうなんて考えていた。ところがこの時期、何だかんだで何処のホテルも一杯で、200ギルダー以下でバス付きのホテルなんて見つかりそうもなかったから、そのまま30日まで居座ることに決めた。このHotel Asteriskは、勿論豪華ホテルではないものの、交通の便はいいし、主要美術館まで歩いて行ける場所にあるので、私としてはけっこう気に入った。安く済ませようという人には共同トイレ&シャワーの部屋もある。ただし、壁が薄いので、夜中に物音で目を覚ます人にはお勧め出来ないホテルかも。

市民劇場ではフェスティバルをやっていた
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私が行ったのは、ムント広場のシネコン
こちらはライツェ広場近くのシネコン
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『夜になる前に』『息子の部屋』
『Together』をやってました
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TVを見ながらちょっと一休み。アムステルダムでは、ケーブルさえ持っていればCNNやCNBCを始め、アメリカの放送を見ることが出来るし、BBCを始め、イギリスの放送はかなり見ることが出来る。加えてオランダ語の放送でも、英語番組にオランダ語字幕という番組がもの凄く多く、これがアムステルダムに住む人達の英語のうまさを助けているのだと思う。例えば、アメリカのTV番組『フレンズ』は、スイスではドイツ語吹き替え版で放送されていたが、こちらでは字幕放送となっている。アムステルダムでは、公共交通(トラムの運転手さん)などは、歳のかなりいった人でも流暢な英語を喋るし、街を歩いていて明らかにネィティブじゃない人達が英語で会話をしているのもよく耳にする。つまり、色々な人種の人達が会話をする時、人によってはオランダ語より英語でコミュニケーションを取った方が楽な人達もいるらしい。

街に出て、ムント広場にある大きなシネコン、Pathe(ヨーロッパでは老舗の映画配給会社)へ行った。ラインアップはスイスと殆ど同じだったが、NYで見損ねた『ラッシュ・アワー2』をやっていたので、さっそく観ることにする。土曜日の夜とあって、開演20分前だというのにチケットは殆ど売り切れに近かった。このシネコンだけかもしれないけれど、座席は全席指定席。チケット売りのおばちゃんが、どの席がいいかコンピューターで見ながら説明してくれた。チケット1枚18ギルダーだから、アメリカで観るよりちょっと安いくらいかな。ポップコーンを買ったら、塩味かキャラメル味か?と聞かれた。アメリカには塩味に液状のバターをたっぷりかけてポップコーンを食べるのがおきまりだから、微妙に違っているワケね。でも、劇場の売店で大きく違うのは、ビールやバカルディなどのお酒類を堂々と売っていること。日本でもビールを売っている劇場はあるけれど、リキュールまで売ってる劇場っていうのはあまり聞いたことがない。
ヨーロッパの映画館では、イギリス、ドイツ、スイスなど殆どの映画館がそうである様に、予告編の前に企業広告が入る。で、その殆どのものが国境を超えても分かり易い様に言葉は殆どなくって、ビジュアルに訴えるものが多い。コレって、日本やアメリカの広告とは随分違う所だなぁって思う。

さてさて、本篇の『ラッシュアワー2』。中国語の台詞の所は全てオランダ語字幕になってしまってあせったけれど(『The Score』を観た時も、フランス語の台詞の所だけスイス・ドイツ語字幕になっちゃって分からなかった(^_^;)、何とか話の全容は理解出来た。観終わった後の後味がよいので(『ラッシュアワー3』に繋げている感もあるけど)、アメリカでかなりの長い間、興行成績上位の座を保っていたのも肯ける。私はパート1を観ていないので、比べることは出来ないけれど、ジャッキー=チェンのキャラクターについては随分と細かく描かれていた(おそらく、本人の希望も随分と入っているのだと思う)。ただし、その他の香港人や、『初恋のきた道』のチャン=ツィイー、『ラスト=エンペラー』のジョン=ローンが演じたキャラクターは、見事なまでに平板で、彼等よくこんな役引き受けたよなぁと思ってしまう。まぁ、コレってかなりのビッグ・バジェット映画だし、アジア系の俳優にはまだまだ選択肢の余地がないということで…(T_T)。

昨日行った、Easy Everythingが映画館のすぐ近くなので、またまたネットをやってしまった。このEasy Everythingは、実は今年タイムズスクエアにもオープンしているのだが、とにかく安い!!!オランダではl、2.5ギルダー(100円ちょっと)で、2時間近くもネットし放題なのだから。しかもパスワード制になっているので、その日全部使い切らなくとも、また今度の機会にとっておくことが出来る。また、ここは24時間オープンなので、夜中の2時を過ぎてもチャットなどで遊ぶ若者でいつまでも賑わっていた。トラムの最終便は大体午前1時頃、気が付いたらもう1時を過ぎていたので、深夜バスでホテルに帰った。残念ながら、アムステルダムの治安は悪いことで有名。私の感覚では、NYよりもスリなどの身の危険を感じることが多いので、普段全く使わないブラ・セーフ(ブラジャーの所に金庫のカギやクレジット・カード等。小さいモノを忍ばせておくもの)が大活躍している。腰巻のセーフに関しては、腰からすぅっと抜き取ってしまうプロがいるそうですのでご注意を。

Mike' Bike Tourのサイト(英語のみ)はこちらから。

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続きの日記(10月28日から)はこちら。

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