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アカルイミライ |
Directed by : Kiyoshi Kurosawa
Starring : Joe Odagiri, Tadanobu Asano, Tatsuya Fuji, etc
Official Site : Japanese
Tokyo Filmexにて。2003年1月18日より全国順次ロードショー。
カンヌ映画祭で国際批評家賞を獲得した『回路』から2年、私にとっては、昨年夏ニューヨークで行われた黒沢清レトロスペクティブから1年あまり、待ちに待った黒沢監督の最新作です。
う〜〜〜ん、これまでの黒沢作品とは大分違いますね〜〜〜。その一番の違いは主演3人のキャスティングにあるのでしょうか。これまで黒沢映画と言えばこの人!とゆ〜役所浩司が、今回は全く顔を出していないのです。その代わりに入った3人は揃いも揃って黒沢組初出演。私にとってはただの連ドラアイドルでしかなかったオダギリジョーはまだしも、浅野忠信ってゆ〜のがまた全然違うし、藤竜也か〜〜〜。あ〜、小学生の時に再放送を観ていた『大追跡』のイメージがぁぁぁぁ。・・・けど、だからといってキャスティングがNGだったと言っているのではありません。3人が3人共まるで違う個性を持っていて、それはそれで良かったと思っています。ま、別にファンじゃないけど、オダギリジョーも映画初主演にしてはうまかった・・・とゆ〜か、あのシブイ映像にかなり合っていたような。これからがホント、楽しみな役者さんですね。
で、さらに違うのが、全体のストーリー&トーン。コレは、初めに製作&配給会社のプロデューサーからの企画ありきで作られた作品でして、もともと『ニンゲン合格』をモチーフにしながら、ベタベタの心理劇を撮って欲しいという要望に端を発しています。確かに、世代間のギャップ&葛藤を描いているという点では『ニンゲン合格』に似ている部分もありますが、全体のトーンとしてはまるで別作品。コレは役所浩司と藤竜也、そして西島秀俊とオダギリジョーの違いなのか、今回の作品では叫びあり&泣きのシーンありこれまでの黒沢作品とは思えぬベタなシーンが沢山出て来ます。
けど、それでも黒沢作品お得意(?)の血まみれシーンやカラっと乾いたドライなトーンもちゃぁ〜んと健在。この辺り、黒沢ファンとしてはやっぱり見逃せないですね〜。
実は私、本編を観る前に脚本の方を先に読んでしまったのですが、同じ脚本から浮かび上がってくる自分のイメージとの違いに愕然としてしまいました。何はともあれ、この作品は是非ぜひ劇場で観て下さい。話はどちらかと言うとシンプルでベタだけど、このそこはかとないザラザラ感、それでいて全体に流れる重圧感は、やはり劇場の大スクリーンでなければ味わえません。スクリーンで観てこそ、この恐るべき巨匠の本領を堪能出来るのですから。あ、そうそう、ちなみにこの作品は黒沢監督初のHD撮影。『ピンポン』や『模倣犯』と同じHD24Pで撮影されています。柴主撮影監督がこだわったと言う、“黒を本当の真っ黒に撮った”という影の深味も必見です。
最後にまた脚本の話に戻りますが、今回私的に最も感心したのは監督自身が書いた脚本のディテール。劇中に出て来るあてどない高校生達の会話が妙にリアルなんですよね〜。どんな若手の監督であれ、ここまで彼らの会話をリアルに書ける監督が果たして他に存在するでしょ〜か???それは何も、黒沢監督が現在映画美学校の講師をしていて、普段若い人達の会話をよく耳にしているから、なんていう単純なモノから来ているのではないと思うのです。
“アカルイミライ”という、これ以上ないベタなテーマをそのままタイトルに冠したこの映画。勿論、文字通りの能天気な未来を描いているのでもなければ、悲観的な皮肉として使っているわけでもない。そのどちらのベクトルにも属さない“バラバラ感”の中にしか現実は存在しないし、もはや現実の存在を捉えようとすること自体にウソがあり、“ミライ”はどこかに消えていってしまう。主人公3人のそれぞれの結末、そしてあのラストシーン。シンプルなストーリーテリング派の人には甚だ不可解でフワフワした作品と映るかもしれませんが、その底に流れるテーマを考える時、そこにはしっかりとしたある着地点が見えて来る…もしかしてもしかすると、コレは“もう一つの”恐るべき傑作なのかもしれません。
あ、そうそう。この映画の主題歌、THE BACK HORNの歌う『未来』。い〜ですよ〜。単なるタイアップソングではなく、この映画の為特別に書き下ろされた曲なのだとか。メロディは黒沢作品にまるでそぐわぬロック調(死語?)なのですが、歌詞がめっちゃい〜んですよね〜〜〜。久々に何度も聞いてしまいたくなる名曲です、私的には。
曖昧な未来、黒沢清 |
Directed by : Kenjiro Fujii
Starring : Kiyoshi Kurosawa, Joe Odagiri, Tadanobu Asano, Tatsuya Fuji, etc
Official Site : Japanese
Tokyo Filmexにて。2003年2月より全国順次レイトロードショー。
↑『アカルイミライ』のメイキングとして制作が開始されたこの作品、単なるプロモ用のTV番組やDVDなどの特典映像としては勿体無い出来なので、なんと堂々劇場公開が決まってしまいました。メイキングドキュメンタリーが一作品として世に出ることは、『地獄の黙示録』&『ハート・オブ・ダークネス』とか『菊次郎の夏』&『jam film』等、これまでにも幾つか例があるのですが、ほぼ同時期に二つの作品が同じ映画館で併映されるというのは、海外を含めてもコレが初めてのことなんじゃないでしょうか。
私の場合、『アカルイミライ』を先に観てからこちらを観ましたが、一応どちらから先に観ても大丈夫な作りになっています。けど、個人的には『アカルイミライ』を先に観ることをオススメしますね。作品に対するヘンな先入観を持たなくて済むし、実は『曖昧な未来』の方には『アカルイ』でカットされてしまった未公開シーンが幾つか挿入されているのです。だから、本編を先に観てからの方が混乱が少なくて済むかも鴨。
タイトルにも名前が入っている通り、このドキュメンタリーのメイン・フォーカスは黒沢清監督にあるのですが、『アカルイミライ』の主要スタッフ&キャストのインタビューも見物です。まず、主演オダギリジョーの“あっちこっちに跳びまくる”発言の違いが面白い。自分の役:仁村雄二について「分からない」と言ったり「本当に面白い役」と言ったり、黒沢監督については、「ミステリアスな人」と言ったり「素晴らしい人格者である」と言ったり…(^_^;)。けど、それは結局「自分から出て来るものを出そう出そうとするのではなくて、出て来たものを受け入れる方が大切なんだなってことが分かって…」という一言に昇華していくんですよね。うん、コレに気付くことが出来たって〜だけでオダジョーってゆ〜のはナカナカの役者だと思っちゃいましたよ。
で、それとは対照的に浅野忠信とゆ〜人は卓越しているのですね〜。これまで一度も彼について注目したことはなかったし、あの“独特な透明感”については、ワケ分かんないという印象しかなかったんですけど、実は世の中達観している人なのね〜と関心してしまいました。さすが、ダテに日本映画に出まくってるワケじゃないんですね(^_^;)。藤竜也氏については、これまでのクールなイメージからは全く対照的な彼の暖かい人格が、そのインタビューから滲み出ています。う〜ん、つくづく役者さんて〜のは、その役によってイメージが固定されちゃうんですね〜。
それと、今や日本を代表するトップスタイリスト・北村道子さんのパワフルさ。コレにはしびれますよ〜。必見です。ただパワフルなだけじゃなくてシャープでスマート。これまで衣装さんと言えば、ただアーティスティックな人…というイメージしか持っていませんでしたが、衣装一つでキャラクターの人格や考え方を大きく変えてしまうことが出来るんですね。深いわ〜〜〜。
この映画は、昨年『≒森山大道』という映画でロングランヒットを飛ばした藤井謙二郎監督の長編第二作目。『≒森山大道』で、巨匠と畏れられる写真界の鬼才:森山大道の意外な一面を引き出したのと同じ様に、藤井監督はこの作品でも、いまや世界の映画祭で巨匠と崇められる黒沢清監督のミステリアスなベールを、少しずつめくってゆきます。
『アカルイミライ』に限らず、黒沢監督の作品には“答えの分からない”ミステリアスで謎めいた部分が非常に多いのですが、これって別に“謎かけ”でも何でもなくて、本当に“理由がない”のですね。その辺りの“謎解き”(?)を監督が恥ずかしそうに告白してゆく場面がめちゃ面白い。確かにハリウッド映画では、シーン全てに起こること、キャラクターの仕草一つ一つ全部に“理由がなければならない”。アメリカの映画学校なんぞに行ってしまった私は、特にそういったしがらみにがんじがらめにされているのですが、黒沢監督が言う、「ディスカッションすればする程、それってウソになっていく…」って、今ではホントにそ〜だな〜と思います。例えば絵を書く時に、なぜこの部分を青で塗ったのか?そんなモンにいちいち理由を付けていたらアートなんて存在し得ない。自分はど〜してこの人を好きなのか?ってゆ〜のにいちいち理由を付けていたら、そんなのその時点でもう愛ではなくなってしまうのとおんなじコトなんですね。
…あまり書くとネタバレになってしまうので、黒沢監督の部分についてはこれくらいにしておきます。う〜ん、この映画って、言ってみれば3段階くらいのステージに分けていろんな段階で楽しむことが出来るんですよね。
第1ステージというのは、主要キャストやスタッフも含めた“映画作り”の醍醐味を知ること。監督vs.プロデューサー達の思惑のギャップや、現場の緊張感、キャストと共に構築していく架空の(けれどもどこかでそれは黒沢監督の分身である)人物達。
第2ステージは、これまでベールに包まれて来た(?)黒沢清監督作品:創造の秘密に切り込んでいくこと。この映画を観ると、ほんっと、これまでに観た黒沢監督の作品をもう一度観たくなってしまいます。
そして第3ステージというのが、“映画”というものを通した全てに通じる世界観。上にも書いた“全ての行為には‘理由がない’”ということ。これだけで、“なぜ?”のしがらみでがんじがらめに生きている私達が、どれだけ救われ得ることか。他にも“人と人は分かり合おうと思ったらダメだ。理解しようとするからいろいろと問題が起きるんだ”など。名言を数え上げたら、それこそ枚挙にいとまがありません。
最後に。この作品で2度繰り返される黒沢監督の言葉に「どう考えてもドキュメンタリーとフィクションの境目はないですね」、という言葉があります。それはこの作品を観れば十分理解して頂けると思うのですが、フィクションである『アカルイミライ』とドキュメンタリーである『曖昧な未来』。この二作品は文字通り表裏一体の存在です。これ以上ないというくらい曖昧に描かれたフィクション『アカルイミライ』と、曖昧な部分を敢えて明るみにさらけだしたドキュメンタリー『曖昧な未来』。こ〜んな不思議体験は滅多にありません。是非ぜひ同じ日に、どちらかの作品の興奮覚めあらぬうちにもう片方を堪能して頂ければなと思います。
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