*** mook's Favorite Films 12 ***
mookのお気に入り映画 12

お気に入り映画のリストから、ランダムにピックアップして紹介していきます。

I'll introduce some films from my favorite films list
time to time.

Promises
プロミス
Aug 12, 02

Directed by : B.Z. Goldberg, Carlos Bolado
Official Site : Japanese
Box東中野にて。

この映画に、ある程度の興味は持っていました。けどそれはこの映画がイスラエル・パレスチナ問題に関わるドキュメンタリーであるという理由では全くなくて、単に二人いる監督の一人がNY大学の出身であり、この映画が昨年のアカデミー賞ノミネートを初め、各国の国際映画祭で話題になっていたからという理由以上の何物でもなかったのです。

最初から正直に書きましょう。ここ最近の数ヶ月だけでも、次から次へと公開される中東を舞台にした映画の多さに、実際私はちょっと(というか、かなり)引き気味でした。そりゃ〜のべつまくなしに怒涛の様に流れ込んで来るアメリカ映画の数に比べれば、それらの数なんて雀の涙ほどにもなりません。第一、イランもアフガニスタンも、イスラエル・パレスチナも一緒くたにして“中東映画”と見てしまう私自体、日本映画も韓国映画も香港映画も台湾映画も中国映画もみ〜んな一緒とか言ってる欧米の人達とまるで変わらないワケなんですよね。それくらい私は中東についてまるっきり関心がないし、むしろここ半年ほどのテロ&爆撃続きにはもううんざりしていた程なのです。
かなり話がそれますが、私のパソコンはホームサイトをCNNにしていまして、ネットを立ち上げる時、その5割から8割くらいまでのトップニュースが自爆テロかもしくはイスラエル軍による爆撃についての速報なんですよ。人間こうも毎日・毎日同じ様なニュースを続けて聞かされると本当に“麻痺”していってしまうんですね。見出しだけをざっと見て内容記事を読まなくなってしまったのは、もういつの頃からなのか忘れてしまったくらいです。

だから最初にこの映画の予告編を観た時、“また中東モノ〜〜〜?”とはっきり言って思ったし、このHPをマメに読んでくれている方はお分かりの通り、最近の私というのは“アンチ子供ネタ映画”バリバリの奴なんですよ。だから、冒頭に書いた様な純粋なる映画オタク的興味以外、私には何の興味もありませんでした。それがまぁ、たまたま友達に付き合って観ちゃったのが運のつきだったのですね〜〜〜〜。

この映画のHPで『A2』の森達也監督は、「人は他人の不幸に関しては徹底して不感症だ」とコメントしています。この『プロミス』という映画の謳い文句は、文字通りの“約束”であったり、“未来”であったり、そして“希望”であったりする様ですが、私はむしろ、この映画は「人の人に対する無知・無関心」というモノを“大前提”にして観なければ何も始まらないのではないかと思います。
だから、「この映画を観て、一人でも多くの人達がイスラエル・パレスチナ問題に関心を持ちましょう」とか、「毎日・毎日、死と隣合わせの子供達がいることを、何不自由ない日本でのうのうと暮らしている私達は肝に銘じなければならない」なんて言うのは、むしろこの映画の言わんとしていることから、どんどんと遠ざかってしまう様な気さえしてくるくらい。
人は一人一人溶けたり混ざり合うことはないし、ぴったりと二人三脚で生きていくことも出来ない。人は一人一人まるっきり別モノだし、その溝や境界線は一生付いてまわって行く。この映画に登場する民族も階層も宗教も育った環境もまるで違う7人の子供達一人一人が、その事実をはっきりと痛々しいまでに見せ付けてくれています。
予告編その他をご覧になった方々はお分かりの様に、映画の終わり近くには、イスラエル側の子供達2人とパレスチナ側の子供達2人が実際に会って交流する“感動的な一日”という場面があります。けど、作り手側の言いたいのは「ただ会って交流すれば世界は平和になって行く」なんていう安易なお説教では済まされないんですよね。

イスラエル側の4人。ホロコーストを生き抜いた祖父を持ち、西エルサレムに住む双子の兄弟ヤルコとダニエル。ユダヤ教超正統派のエリート神学校に通うシュロモ。将来はイスラエル軍の最高司令官になって、アラブ人を一人残らずエルサレムから追い出したいと思っているモイセ。彼は友人をパレスチナ側に殺されています。
パレスチナ側の3人。友人をイスラエル兵に殺され、祖母の家も爆撃によって跡形もなく破壊されたファラジ。ジャーナリストであるサナベルの父親は、刑務所に2年も抑留されたまま、いつ出所出来るのかも分からない。東エルサレムに住むマハムードは、バリバリのハマス(イスラム抵抗運動)の支持者。そのくったくのないベイビーフェイスと言動の過激さがどうにも不釣合いで、見ていてホント、複雑な気持ちになって来てしまいます。

まず、“検問所”を挟んでたった10分しか離れていないこの子供達の生活が、いかに両極端なモノであるかに驚かされますね。イスラエル側の4人の生活はかなりの高レベル。4人共相当数の本に囲まれて暮らしているし、モイセはしょっちゅうパソコンで遊んでいる様な感じ。一方、ファラジとサナベルは同じ難民キャンプに住むバラック生活。イスラエル軍の“検問所”を通り抜けて、行きたい場所へ自由に行き来することは決して許されていないのです。
そして、おそらく10歳になるかならないかの彼等の口からいとも自然に発せられる政治的、宗教的発言。それは勿論、彼らだけが抜きん出て政治・宗教の話題に詳しいのではなく、もう彼らの日常そのものがそういった話題の中に埋もれているからなんですよね。まぁ当然、知識としては知っているのですが、歴史的に差し迫った領土問題も持たず(島国なんだから当たり前なんですけど)、屈辱的に土地を奪われた経験もなく、神なんて仏陀もキリストも皆同じなんて思っている日本人の私から見ると、小学生が神の名の下に命をかけてでも自分達の土地を守らなければならないなんて力説している姿を見せられてしまうと、ただただ面食らってしまうしかないワケです。加えて両者共肉親や友人など、何かしら繋がりのある人達を相手に殺されているわけですから、“壁の向こう側”に対する子供達の敵対意識が日に日に膨らんでいくのは想像に難くありません。

この映画が他のドキュメンタリーと違うという一番のウリは、言うまでもなく“子供達に焦点を当てている”という点でしょう。私がこの映画を観て一番強く印象に残ったのは、路上でインタビューをされるシュロモの横で近所に住むアラブ人の子供がそばに寄って来てゲップをし始めるシーン。ユダヤ人のシュロモとアラブ人の男の子の間に、お互い通じ合う共通の言葉はありません。インタビューの質問に対して、シュロモは「アラブ人の子供と友達になる気はないよ」なんてすました顔で言っているのですが、アラブ人の男の子は彼の隣でひたすらゲップをし続けるんです。何のくったくもなく。そして…気が付いたらいつしかシュロモもゲップの真似ごとをし始めているんですよ、彼の隣で。そのお茶目な笑顔を見て私は「子供ってホント、言葉なんかなくったってコミュニケーション取れちゃうんだよなぁ」というコトを、改めて思い出していました。そう、ゲップでいいんですよ、ゲップで〜〜〜。子供にはそれで十分なコミニュケーションの手段足り得ているんだなぁ。それが大人になっていくにつれ、人間は言葉とか社会とか、そんなモノがどんどん見えない手かせ・足かせになって行ってしまうんですよね。

一方、ヤルコとダニエルを自分達の難民キャンプに迎えるかどうかで話合う、ファラジ&サナベルと仲間達。「アラブ人が殺し合うのはイスラエル人のせいだ。お前はそんな奴らと友達になりたいのか?」「でもそれは子供のせい?」「子供は必ず大人になる」…。う〜ん、この言葉は効いたなぁ。大人たちがかつて自分達が子供であったことを忘れているのとは反対に、子供達は自分達がいつか大人になることを知っている。まだ10歳になるかならないかなのに、ユダヤ人とアラブ人の子供(つまり自分達)が何事もなかった様にただ無邪気に遊んでいただけでは、何の解決にもならない…。彼等はすでにそのことをよ〜く知っているのです。
それから、ユダヤ人には会いたくないとダダを捏ねるマハムードが、この映画の監督であり彼等との粘り強いインタビューを繰り返してきたB.Z.がイスラエル(ユダヤ)人のハーフであることを知って動揺するシーン。「監督は半分アメリカ人だからいいんだよ」と言って取り繕う彼の姿に、“国家とそこに住む人々”とをついついごっちゃにしてしまう自分自身の姿を見た気がします。「アメリカという国は嫌いだけど、○○のことは好きだよ」とかね。そう言えば映画『月はどっちに出ている』にも、「チョーセン人は嫌いだけど、忠さんは好きだ」なんてゆ〜有名な台詞がありましたね〜。いまさら言うまでもなく、一人一人の人間レベルでは憎み合う理由なんて何もないのです。それが家族−社会−国家−そして歴史という枠組みの中で、見えない何かに縛られていってしまう。コレはもしかすると、縛られなくてもいい足かせなのかもしれないのに…。

そして、イスラエル側とパレスチナ側の子供達が初めて一同に会する日(パレスチナ側の子供達は、イスラエル軍の作った“検問所”を通過することが出来ないので、結局イスラエル側の2人がパレスチナ難民キャンプを訪れるという形になった)。もちろん、映画製作上の演出もあったでしょう(パレスチナ側の子供達がキャンプ近くの壁を案内した場面はちょっとやらせっぽかったし)。けど、そんな次元を超えた所で、子供達っていうのはすんなり打ち解けてしまうもんなんですね〜。さっきのゲップ合戦じゃないけど、ゲームとかサッカーとか、身体を使った交流というのはやっぱり言葉を越えた何か強いモノがあるみたいです。
段々と別れが近づくにつれ、感極まって泣き出してしまうファラジ。前半のインタビューで、あんなにも強烈にイスラエル側への憎悪を剥き出しにしていたファラジだからこそ、彼の涙にはもらい泣きせずにはいられませんでした。いろいろな想いが一瞬にして錯綜してしまったのでしょう。大人ぶってはいても、全てを受け止めるにはまだまだ若過ぎるよな〜〜〜(>_<)。

同時多発テロ事件の起きた2001年9月11日から半年間、アメリカはイスラム社会に対する憎悪と怒りに包まれていました。そのリソースが“無知や無関心”から来ている以外の何ものでもないというのを、現地において肌で感じ取って来た私にとって、この映画は一層身につまされるものでもありました。だって、イスラム社会に住む人達全員=テロリストだなんて言うあまりにも短絡的な考え、殺気立った彼らアメリカ人には、もう何も見えなくなってしまっているのですから。
反対に、では何故あのテロ事件でワールド・トレード・センターが狙われたんだろうという疑問に対して思い浮かぶ答えと言えば、それはWTCが“アメリカ資本主義の象徴”であったからなんです。つまり、テロリスト達も、結局はアメリカを象徴=記号でしか見ていなかった。こうして互いが互いを国家・主義・宗教などの“記号”でしか見ず、それが人一人一人の集合体であることを忘れている限り、いつまで経っても両者に接点は生まれません。この映画は、こうした二つのグループによるぶつかり合いが、“互いを知るという行為の欠如”から生まれた以外の何物でもなかったことを、改めて思い出させてくれました。

とはいえ、“互いを知り始める”と同時に、お互いが実は平等でないことを知ってしまうのもまた事実。イスラエルとパレスチナの両者に明らかなる貧富の差、そして足を踏んだ者と踏まれた者の違いが存在するのは紛れもない事実です。この現実と向き合ってさらにそれを乗り越えて行くのに、気の遠くなる様な年月を要するのは、残念ながら避けることは出来ません。先日、アパート探しをする在日コリアンの友人に付き合ったのですが、戦後60年近くも経った今でも、差別が一掃されたとはまだまだ言い難い状況であるのを知って、ちょっとショックを受けました。「日韓ワールドカップ共催なんて言っても、何の解決にもなってないよ」という彼の言葉がひどく重くって…。
映画の最後では、あの“感動の一日”から2年後の7人の姿が映し出されます。当たり前だけど、たった一日で全てを変えることは出来ないんですよね。あのインタビューは、一層バラバラに違う道を歩み始めて行く7人を登場させることによって、そうした現実をまざまざと浮き彫りにしていていくのです。

話が前後しますが、この映画の冒頭には、“このドキュメンタリーは、イスラエル・パレスチナ関係が蜜月のまっただ中にあった1997〜2000年に撮影されたものである”という注意書きが出て来ます。ご存知の通り、昨年2001年から現在の2002年夏に至るまで、イスラエル・パレスチナ関係は悪化の一途を辿るばかり。そう、悲しいことに、あの一日は決して“奇跡の一日”ではなかったのです。
けど、“あの一日”はまぎれもなく存在した。一瞬にして世界を変える様な魔法の日ではなかったけれど、誰もが考えなかった様なことだって不可能なことは何もない…ってコトを少なくとも映画を観た私達に教えてくれた。それだけで十分じゃないですか。

最後に。一ドキュメンタリー映画のクオリティという観点から言うと、この映画はあまりにも荒削りで、御世辞にもよく出来ているとは言い難い作品です。けど、私はこの映画が好きでした。それは、私の好みの次元になってしまうのですが、この映画の監督の一人であるB.Z.=ゴールドバーグ氏が(生まれはボストンなのでアメリカ国籍なのですが)、自分が幼い頃生まれ育ったエルサレムで、どうしていつまでも殺し合いや憎しみ合いが耐えないのか、という問いを執拗な程までに持ち続け、その答えをまさに未来の鏡である子供達に見出そうとした、その熱意とこだわりがこの映画の中によく見えるからなんですね。監督自身がアメリカ国籍を持つ(しかもプレスパス所持である)為、7人の子供達の住む地域を自由に行き来出来たこと、そしてヘブライ語・アラビア語・英語の3ヶ国語に長けているという奇跡的なまでの利点を生かして7人の子供達を追い続けた…この映画はその汗と足跡にもみくちゃにまみれているのです。彼ら7人の子供達が、この先10年、20年、30年、一体どんな道を歩んで行くのか…、これはもう、イスラエル・パレスチナ全体の未来と同じくらいに、気になって仕方のない私は、是非ともゴールドバーグ監督が、この映画の続編を製作してくれることを願ってやみません。また、順番が違ってる様に聞こえるかもしれませんが、“この映画の続編を観たい”→“続編が撮影出来なくなってしまう様な戦時体制にはなって欲しくない”→“イスラエル・パレスチナ情勢が良い方向に向かって欲しい”と思わず願ってしまう観客の数は、自分を含め決して少なくはないだろうと確信している私です。

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