I'll introduce some films from my favorite films list
time to time.
鬼子來了 鬼が来た! |
Written and Directed by : Wen Jiang
Starring : Wen Jiang, Teruyuki Kagawa, etc
Official Site : Japanese
新宿武蔵野館にて。
う〜〜〜ん、名作ですぅぅぅ。想像していたのとは随分と違う映画でした。最初に耳にしたのは一昨年のカンヌ映画祭。なにしろ最高賞であるパルム・ドールを獲得した『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に次ぐグランプリを獲得したワケですからね〜。けど、姜文監督については、デビュー作の『In the Heart of Sun〜太陽の少年』がアメリカではリリースされることがなかった為に、あまり注目していなかったのですよ。それが昨年10月末にアムステルダムを訪れた時、この映画が11月の1日からの一般公開だった為、この映画はスゴイぞという噂をちょこっと聞いていたんですね。で、日本に帰って来たらまだ公開されてないという。コレってもしかして出来が悪いからお蔵入りなの?…と勝手にこの映画をUnderestimateしていたのでした。
そう、最初は単なる(?)第二次大戦中の中国農民vs.日本軍人を描いた骨太な白黒映画だと思っていたのですよ。だから気が重くて、むしろあまり進んで観る気はしていなかったんです。なんか“そ〜ゆ〜部分”ばかりが先に立ってしまって、映画作りとしては実は三流であったり、カンヌで賞獲っちゃうくらいだから、けっこ〜難解なワケ分かんない映画なんじゃないかな〜、なんて自分勝手に想像しておりました。いや、甘かった…。
少なくとも私の評価尺で計ったこの映画は、脚本、撮影、演出と三拍子全てが良く出来ている重厚な映画だと言わなければなりません。そしてその衝撃のラスト。近年ラストシーンがコレほど強烈に印象に残った映画は、う〜ん『ダンサー・イン・ザ・ダーク』くらいでしょうかねぇ。そう考えると2000年のカンヌって凄い年だったんだなぁ。『花様年華』も同じコンペに入ってましたモンね。
え〜、何から書いてよいのやら…。ではまず技術的な部分で撮影から。この映画を撮影したクー=チャンウェイは、チャン=イーモウの『紅いコーリャン』やチェン=カイコーの『覇王別姫』を撮影した国際映画祭グランプリの常連であり、ハリウッド映画も何本か手がけているベテラン中のベテランなのですが、モノクロ映画の撮影はこれが初めてなのだとか。けどさすが、映画が始まって3分くらい経つと、自分が白黒映画を観ていることをもう忘れてしまうのですね。それくらい陰影がリアルだったし、素晴らしい撮影だったと思います。
で、自ら主演もこなしたチアン=ウェンの監督としての力量。いや〜、どのショットも構図決まってますね〜。アレって撮影監督のお手柄でもあったのかな?実際映像の作り方は私の好みとゆ〜ワケではないのですが、やっぱウマイなと思います。中盤けっこうマンガちっくな部分がいくつかあるんですけどね。ま、そこはご愛嬌とゆ〜ことで(ちょっと贔屓目)。
それにしても、俳優としてのチアン=ウェンはめちゃスゴイ。確かに『芙蓉鎮』や『紅いコーリャン』でも強烈なインパクトを残してはいましたが、このマー=ターサンという役をここまで味わい深く演じ切れるのは、彼を置いてもう他には誰もいないでしょう。ウー長老も良かったし、チアン=ポンポーも華があって二重丸。それと知らなかったけど、澤田謙也とゆ〜マッチョな人もかなり良かった。香川照之はちょっと勢いだけでやっていた様な気も…。やっぱ『独立少年合唱団』の時の方が良かったですね。第一、まわりが皆ウマかったから…(^_^;)。
え〜、最後は脚本について。この映画には『生存』という原作があるのですが、実際に引用したのは何者かによって捕虜が麻袋に入ってやって来るという部分くらいのモノだったそうで。いや〜、ストーリーは後半に行けば行く程深いモノになって行くのでね〜。その辺はチアン=ウェンの粘りの勝利でしょう。数年の間に3人も脚本家を変えたそうですから。
この映画には、笑いもあれば、これでもかという様な皮肉がたっぷり網羅されているのですが、私にはもう、そんな些細な部分はどうだって良くなってしまいました。なぜなら、とにもかくにもこの映画のテーマがあまりにもはっきりしていたから。ソレをおそらく一言で言うと“人間の性”というコトなのでしょう。ソレは悲しくもあり、恐ろしくもあり、またある時には滑稽でもある。ソレを監督は手を変え品を変え、“これでもか、これでもか”と見せ付けてゆくワケですね。だから、一部の評に「この映画には不自然な部分や不条理な点が多すぎる」というのがありましたが、この不自然で不条理な部分こそが人間のホントの本性なのではないかと思っている私にとって、ソレらはちっともおかしいと思えなかったし、そういった部分はむしろ好きな場面ですらあったのです。
そう、この映画を“日本軍と中国農民の間にどんな歴史があったのか?”な〜んてゆ〜時代考証的な眼で観しまうと、確かにおかしい点はた〜くさんあるかもしれません(チアン監督自身は日本映画を相当観て、日本についての研究したそうですけれど。ターサンが村を降りて殺し屋を雇いに行くくだりが何気に『七人の侍』っぽいな〜と思っているのは私だけ???)。けど、この映画はそんなち〜っぽけなスケールで描かれているのではないんですね。私、この映画は、“戦争”とゆ〜モノを知る地球上全ての民族に観て欲しいと思っています。
戦争の現実がキレイゴトやカッコいい部分だけでなく、実際の前線では不条理で不可解にコトが運んで行くとゆ〜こと、私達だって頭では聞いたり読んだりして知識としては知っているのですが、ど〜もいまイチピンとこない。やはり大半の映画における戦争は、まだまだ“正義”だとか“愛”だとか“誰かを守る”だの何だのっていう次元で語られているワケじゃないですか。ソレは軍部の不正を暴いて反戦や正義を謳っている様なハリウッド映画だって、結局は同じ土俵の上で違う台詞を言っているだけに過ぎないのだし…。
この『鬼が来た!』で描かれる人々はみな滑稽だし、物語の成り行きも終わり方もまるで釈然としない。けど実はこう言った“戦争のリアルさ”とゆ〜のは、エミール=クストリッツア監督の『アンダーグラウンド』や『ノーマンズ・ランド』と言ったユーゴ・ボスニア戦争の映画において、全く同じ様に語られていたのですよね。う〜ん、アジアでソレを描くことの出来る監督が遂に現れてしまったとは…。チアン氏にはこの先、俳優として2作品が公開を控えているそうですが、私は一刻も早く、彼の監督次回作が観たいですぅぅぅぅ。
Yangguang Canlan de Rizi 陽光燦爛的日子 太陽の少年 |
Written and Directed by : Wen Jiang
Starring : Yu Xia, Jing Ning, etc
中国映画の全貌2002にて
『鬼が来た!』↑の姜文監督による、鮮烈のデビュー作。『鬼が来た!』に衝撃を受けた私は、すぐにこの作品を観たく観たくててしょうがなかったのですが、すでに観た人から「この映画は、何より映像が素晴らしく奇麗だから絶対にビデオで観ちゃダメだよ」と釘を刺されていたのです。今回、三百人劇場の中国映画特集にてさっそくの上映。わ〜、待ってて良かった!!!
まず、も〜私、とにかくこの映画の存在自体の素晴らしさに、ひたすら泣かされてしまいました。え〜、そりゃぁ勿論、この映画の映像は美しいですよ。けど、ただ映像の美しい映画なんてこの世にはゴマンと存在してるじゃないですか。私がこの映画で一番魅かれたのは、そ〜ですね〜、この映画の持つ、あるいは私個人がこの映画に感じた、その“ゆるぎない威厳”とでも言いましょうか。私ってばこれまでに2〜3本、その映画をスクリーンで観る為に映画館を一件買わなきゃ〜と思ってしまった作品があるのですが、コレは間違いなくその1本に入る作品ですね。
最近、いわゆる名作と言われる『ラスト・タンゴ・イン・パリ』や『ミツバチのささやき』をスクリーンで観ても、真っ先にその既視感が先に立ってしまってあまり感動出来ない自分を発見し、ちょっとがっかりしていたのですが、ど〜してこの作品にはめちゃめちゃ感じてしまうんでしょうね〜。自分でもすっごく不思議。
だって、この映画のストーリーとか共感出来る部分って、一言で言ってしまえば“青春の日々へのノスタルジー”。この映画みたいに不良の少年(or青年)がどこかの片田で仲間同士とつるんで、そこには女のコトとのちょっぴり甘くて切ない想いも絡んで来て…。な〜んて言ったら、ホウ=シャオシェンやエドワード=ヤンの映画には、これまでそんな作品ゴマンとあったし、最近で言えば『チング』なんかもその手の映画に入ってしまうワケですから、ちっとも新しくないんですよ。むしろありふれ過ぎているくらいだし…。
このHPでは改めて何度も何度も書きますが、映画とゆ〜のは、つくづく好みとか、観た時のコンディション&シチュエーションとかに左右されますよね。そ〜ゆ〜点を踏まえると、必要以上に(?)この『太陽の少年』をべた褒めしまってるかもしれない私ですので、いつもの通り、その点は予めご了承下さいませ。
時は文化大革命まっただ中の1970年代北京。文革の影響で空っぽになった都市部を舞台に、我がモノ顔でやりたい放題を楽しむ不良少年達がこの物語の主人公です。それまで文革時代を描いて海外に発表されて来た映画と言えば、文革は間違っていたとか、文革はツライ時代であったというモノが殆どですが、この作品はその部分をものの見事に無視しています。少年達のスポイルぶりを見ていると、ややもすればこの作品は文革に好意的なのではないか?と思われてしまうでしょう。けど、王朔という作家の『動物凶猛』を原作に選んだ姜文監督(脚本は自身で執筆)が、文革を肯定したり、ましてや無視したりする人物でないことは、中央公論からパンフに引用された彼の対談を読んでも明らかなこと。むしろ彼ほど世の中の歴史や現実を政治的に見ている人はいないんじゃないでしょうか。それは、後に続く『鬼が来た!』という作品自体にも如実に表れているのですから。
この類い稀な才能を天から与えられたとしか思えない姜文監督は、その映画的な才能に恵まれたのは勿論のこと、恐ろしくスマートでインテリな人。この彼が併せ持つ“人間の泥臭さをとことんまで描くこだわり”と、監督自身から思わず溢れ出てしまう”崇高な芸術性”。これらを一つの映画作品の中で同時に見せられてしまうというこの怖さ、分かります???
おそらく多くの人々にとって最も印象深いシーンの一つであろう、夕日に映える屋根の上のシーンは、こう言った泥臭さと崇高な芸術性、そしてどこからか滲み出る少年のゆるぎない威厳と孤独が見事にマッチした、まさに歴史に残る名シーンだと思います。コレをおうちのビデオで観たら、映画の神様のバチが当たりますぅぅぅっっっ(???)
これまた監督の非凡さを見せ付ける印象的なラストシーン(けど最後の最後のシーンではありません。プールでのシーンのことです)は、コレも『鬼が来た!』と全く同じく、主人公のPOVショット(見た目映像)で、観る側に強烈な印象を残します。
一作目と二作目でラストにほぼ全く同じ手法を使った監督には、何か特別の思い入れでもあるのでしょうか?コレは私には非常に興味のある部分でして、後の作品以降、果たしてこのやり方が姜文監督の署名ショットになってゆくのかどうか、注意深く見守って行きたいと思っています。
映画初出演にしていきなりベルリン映画祭の最優秀主演男優賞を獲得した夏雨は、もうどこから見ても姜文監督に瓜二つ!!!全く、この映画に出演する為に生まれて来たみたい…と言ったら彼に失礼かな?う〜ん、あの自然な演技は絶対監督の演出の良さにあると思う。『鬼が来た!』のインタビューでも言っていた様に、監督の演出方法は、役者達を“漬け物”の様に役に成り切らせること。コレがほ〜んっとよく滲み出ていましたね。アレはもう、演技じゃないってば〜〜〜。
ミーラン役の女の子も、ただ美人というのではなくて、一癖も二癖もありそうな所が二重丸。そう、この役って青春の理想像であると同時に、現実はもっとチンケで醜かったんじゃないか、というオチがありますからね〜(誕生パーティーのくだりも非常にユニークで印象的)。それを両方表現するのって、もの凄くトリッキーな演出だと思うし。
まぁ、舌ったらずに説明してしまうとこの映画、ホント“安っぽい”『風櫃の少年』とか『嶺街少年殺人事件』みたいに、一昔前の中国や台湾の姿をノスタルジックに見るみたいな映画と誤解されてしまうと思うのですが、私個人には全く別モノの映画に見えました。コレって先に『鬼が来た!』を観ちゃったからかなぁ。いやはや、恐ろしい才能です。人生短いんだから姜文監督、役者やってる時間をもっと次の監督作品への時間に費やして欲しい〜。とにかく次回作が待ち切れない私です〜〜〜〜〜。
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