"A. I. - Artificial Intelligence" - ****
"Spaider's Gaze" & "Serpent's Path" 「蜘蛛の瞳」&「蛇の道」- ***1/2
「A. I.」 - **** |
Written and Directed by : Steven Spielberg
Starring : Harley Joel Osment, Jude Law, and Frances O’Connor
Official Site : Warner Bros
注:ネタバレの部分は隠してあります。既見の方のみドラッグして読んで下さい。
またしても「初恋のきた道」と同じく、アメリカで大ゴケ、日本で大ヒットの作品ということで、不安てんこ盛りのこの作品。けれど、「ムーラン・ルージュ」の様に“お金をかけた美術セット”にこだわりのある私にとって、やっぱりこの作品は“ビデオで観るべからず映画”、…ということで劇場での上映が終わってしまわないうちに何とかかんとか観に行って参りました。
結果…。最初の15分くらいを除いて、のべつまくなしにず〜っと泣いてました。うわぁぁぁぁ〜、こんな映画だったとは!不覚!!!
言うまでもなく、この映画はスタンリー=キューブリックの原案をスピルバーグ監督が映画化したもの(でも脚本のクレジットはスピルバーグ一人。クレジットの最後の最後になって、やっとFor Stanley Kubrickという文字が表れてきます)。批評家の間では、天才キューブリックと商業主義で能天気なスピルバーグがうまく融合出来るはずがないと、けちょんけちょんの評ばかり(批評家って、スピルバーグ辺りを攻撃しないと食べていけないのかな?アカデミーも、彼のことをむやみやたらに嫌っていたりしますが…。何度も書いている様に、私自身スピルバーグのファンでは決してないですし、どちらかといえば嫌いな方。けど、あそこまで派手にけなされると、それにも腹が立ってしまう天邪鬼な奴だったりして…(^_^;)。
確かにキューブリックとスピルバーグは、皆さんもご存知の通り、まるっきり作風の違う二人でして、混乱してしまう部分は随所にありました。もしキューブリックがまだ生きていたら、二人でさらに話し合って変えられた部分もあったかもしれない。けれど、原案を出来る限り変えて欲しくないキューブリックの家族との対話では、スピルバーグ氏も泣く泣く自分のやりたいことを曲げた部分が沢山あったのだと思います。私個人的に映画というものは、やはり監督のモノなのであって、原作者のモノではないと思うんですよね(そりゃ〜、私は断然キューブリックの方が好きだけど、死んでしまったものはしょ〜がないでしょ〜)。だから、この“中途半端さ”は、やはりモンダイだったと思います。
けどっ、二人の結束合意していた部分(つまりスピルバーグが自由に自分のやりたいことを出来た部分)は、やはり素晴らしかった。そのキーワードは、“ユダヤ人として生まれ育ったゆえの弱者に対する眼”、そして“母親の愛情との関係”。
ご存知の様に、キューブリックもスピルバーグも、生まれはアメリカでありながら、両親ともにユダヤ系。スピルバーグが、特に「シンドラーのリスト」を監督して以来、ホロコーストを題材にした映画の制作を(やりすぎっていうくらい)応援しているのは有名ですが、実はそのちょっと前からキューブリック監督は、「50年間の嘘」という実話に基づいた本を原作にした「Aryann Papers」という映画の企画を進めていました(実際、1994年に一部撮影も開始されていた様ですが)。これはポーランドを舞台にした、やはり母親の愛情を求めているユダヤ人少年のお話(内容的には勿論、ホロコーストが絡んで来ます)。
こんな企画を暖めていたキューブリックとスピルバーグの親交が、自然に深まっていったのは想像に難くありません(キューブリックの死後発売された「Eyes Wide Open」という本の中で、キューブリック自身がユダヤ系であることを忌み嫌い、「シンドラーズのりスト」共々スピルバーグを批判していたという記述については、後にキューブリックの家族から事実無根との声明が発表されています)。
え〜、ずっと前にどこかで読んだきりなので、もう誰が言ったのか、どんな言葉だったのかは全く思い出せないのですが、キューブリックの作品群も深読みをすると「ユダヤ人特有のトラウマ」が、たくさん含まれているのだそうで…。私はキューブリックの作品って、「アイズ・ワイド・シャウト」以外は全部アメリカに来る前に観てしまったので、あまりそういう所に気が付いたことはありませんでしたけれど。
スピルバーグが、ユダヤ人特有の“厳しいお母さん”に対するマザコンぶりを惜しげもなく見せたり語ったりしているのは今さら言うまでもないことですが、キューブリックのマザコンぶりもまたすざまじかったのだそうで(ウッディ=アレンもそうだけど、ユダヤ人って皆そうなのかな???)。これも、前述の同じ人がどこかで書いていたと思うのですが…(いいかげんな話でスミマセン(^_^;)。
以上のバックグラウンドを踏まえると、私にとってこの映画で一番印象に残ったのは、中盤辺りの“Flesh Fair”でのシーン。お役御免になったロボット達を、“お偉い”人間様達が面白半分に壊したり溶かしたりするのですが、これはもうどう見たって“弱者の見せしめ処刑”。世界中で今でも続く、数え切れない程の戦争において、どれだけこうしたシーンが繰り返されてきたことでしょうか?勿論、こんなシーンはやはり数え切れないほどの映画の中で再現されて来ました。けど、それをこんな(ダーク)フェアリー・テールの中で再現するのはあまりにも残酷過ぎる。う〜ん、私、こんなにナマナマしくて胸を引きちぎられる様な処刑シーンは、過去に全く見たことがありませんです。主人公のデビッドを仲介にして、自分の心が子供に引き戻されているからなのでしょうか?本当に恐ろしくてトラウマティックなシーンでした。はっきり言って「シンドラーのリスト」の100倍くらい、集団虐殺の恐ろしさを提示してるんじゃないかな?ここは勿論、キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」色も相まって、スピルバーグとキューブリック二人が見事にタッグを組んだ、恐ろしくも素晴らしいシーンだったと思います(セット自体はちゃち〜なと思いましたけど)。ネタバレ→デビッドとジョーの二人が、あっけなく脱出してしまう所は「何なんだ〜?」という感じで、コレにもまたがっかりされせられてしまいましたが…。
そして、“母親の愛情への渇望”も前述した通り。ただ、この部分に関しては、多くの批評家も指摘している通り、逆にデビッドを“一方向に進むだけの単純なロボット”にしてしまっています。私にとって印象深かったのは、むしろ“母親のとまどい”の方かな?ロボットでしかないデビッドに対し、最初はとまどい、だんだんと心を開いていくものの、ネタバレ→マーティンの思いがけぬ生還によって、最後は彼を暗い森に捨ててしまう母親。コレってなんだか、すごくリアル。デビッドを犬かなんかのペットに置き換えたら、やっぱりこういうことって今の世の中でも現実に、そして日常的に起こっていることですもんね。ネタバレ→悪気はないのに子供を傷つけてしまって、捨てられたり殺されちゃったりする犬なんて山程いるでしょう???でも、私には特に、最初の母親のデビッドに対するとまどいはすっごくリアルだった。あ〜いうのって、ダンナ様の方には分からないんですよね。自分の子供であったってなくたって、やっぱり自分のお腹からは生まれてきていないんだもん(^_^;)。
だから、この話は単純に「ロボット世代への警笛」なんて単純なモノじゃない。ここでもまたスピルバーグは、現実に今起きていることをトラウマティックな形で見せています。話が飛びますが、スピルバーグの映画って子供向けに作られているみたいな作品でも、本当に怖いな〜と思っちゃうんですよね。「E.T.」でさえ、初めて観た時私すっごく怖かった。だって、“子供だけに見えている闇”みたいのが、そこにはあるから。彼って、おそらく少年時代のトラウマをめちゃめちゃ抱え込んで生きている人なんでしょうね。それは、ハリウッドの巨大予算で作られる派手派手しいセットを操る現在とは裏腹に、怖がりだった、そしていじめられて淋しがり屋だった少年時代、厳しくてすがることさえ出来なかった母親への渇望というか何と言うか…。そういった部分がこの映画の中でも随所に表れています。この映画って確かPG13だけど、もし私が12歳くらいの時にこの映画を観てしまったら、下手すると一生この映画のトラウマみたいなモノを引きずってしまうかもしれない。だから私的にこの作品は、高校生以上の観る映画にすべきだな〜と思うのですが(^_^;)。
この映画が思春期の高校生向けにいいな、と思う点はやはりそのテーマ。もうそこまで言わなくていいよ〜、というくらいデビッドは「僕はユニークな存在でありたい」みたいなことを何度も口にします。ここで言うユニークとは、“面白い”という意味ではなくて、自分という存在は、他に二人といないユニーク(個性的というか)な存在であるということ。忍び寄る(?)クローン時代、そしてロボット再生時代を前に、自分がこの世にたった一人の人間として生まれてくること…、そんな現在では当たり前のことが、どんなに尊いことなのか。デビッドが苦労に苦労を重ね“当たり前の人間になろう”とする姿を見せ付けられれば見せ付けられる程、私達はかくも当たり前に人間というモノに生まれてきた自分に感謝せざるを得なくなってしまうワケですね(人間というモノが至上の生き物であるかどうか、という議論は一先ず置いておいて)。
そしてネタバレ→デビッドが、商品用に梱包された何体もの自分の姿に絶望して自殺しようとまでしてしまう所は、おそらく“クローン時代”をも意識しているのでしょうが、私はまた、そのシーンを日本人が観たらまた違った解釈が出来るんじゃないかな、とも思いました。ネタバレ→つまり、自分みたいなロボットは、他に何体も何体も存在していて、自分なんか一人いなくなったって全然どうってことない…みたいな。この部分、日本の人で議論している人がいたら是非教えて下さい。これも一つ、この映画がアメリカより日本で受けている理由なんじゃないかな、と深読みしてしまう私なのですが…(^_^;)。
ただし、ネタバレ→自分が自分である為の存在理由を“母親の愛情を得る”ところだけに逃げている部分は、私自身あんまり頂けませんでした。私にとって、ラストが“しゃっきり”しなかったのは、そのせいもあるんじゃないかな。
絶賛されている主演のハリー=ジョエル=オズモンド君の演技については、かわいいし、同情ソソリ捲くりなんだけど、私にはけっこうワンパターンの演技に見えてしまいました。でもまぁ、ラストでちょっと大人っぽく見えているのは、演出の妙なのか、それとも彼自身が本当に成長してしまっているのかどうか…(^_^;)。
ジゴロのジョーことジュード=ロウについて(笑)。私は彼を“ロウ様”と呼ぶ程のファンでは決してありませんが、あれじゃ鉄腕アトムだよ〜〜〜ん(T_T)。彼こそスピルバーグの映画ではなく、キューブリックの映画に出演して欲しかったなぁ…。それにしてもスピルバーグって、どうしてセックスネタになるとあんなにヒドくなってしまうんでしょうか?やっぱり永遠に少年のままってこと???ジョーのキャラとしての存在意義もまったくのゼロ。別に少ない出番でもいいから、もうちょっと何とかして欲しかった。私は「ガタカ」以来のファンで、後は「ワイルド」と「真夜中のサバナ」「リプリー」くらいしか観てないけれど、イギリス無名時代からのファンはめちゃくちゃ激怒しているらしいですね。「リプリー」の彼も相当ひどかったと思いますけれど…(^_^;)
先日公開された「About Adam」で、突然アメリカ映画界に急浮上して来た母親役のフランシス・オコナーは、本当はすっごく若いのに(撮影中は28歳かそれ以下だったと思う)なんだか30代後半くらい見えてましたね。というのも、私にはどうしても「存在の耐えられない軽さ」のレナ=オリンに見えてしまって、最初姉妹かと思ってしまったくらい。いかにもスピルバーグの使いそうな演技派の女優さんなんで、これまでのパターンからいうと彼女もあまりパッとしない女優さんになってしまうのかな?そう考えると、スピルバーグの作品というのは、つくづく女優サンに関しては“スターの生まれない映画”ばっかりなんですよね。
さて、一番期待していた“アート・ディレクション”に関しては、ただただひたすらがっかり。「もしかして手抜きしてる?」っていうくらい、まるっきりオリジナリティーなし。売春窟やルージュ・シティが「ブレード・ランナー」のマネごとでしかないのは勿論のこと、温暖化の影響(?)で、水の底に沈んだニューヨークが「ディープ・インパクト」と何処が違うの?っていうのにも腹が立ってしまった(確かにこの数年間で、私達は「インディペンデンス・ディ」や「GODZZILA」「MIB」等、破壊されるNYの姿をイヤという程見せ付けられてきましたもんね(^_^;)。
近未来の姿のアイデアって、もう底をつきちゃったの??そんなハズはないでしょう?少なくとも、今年NYで大流行している建築展ブームでも参考にすれば、少しは未来デザインの展望も見えたというもの。これはやっぱり手抜き以外の何モノでもないはずだ〜〜〜〜。未来モノはおハコだったはずのスピルバーグの作品だけに、この散々な姿にはちょっと閉口してしまいました。
ただし、デビッドの“我が家”が、もともと存在する住宅を利用したのか、それとも全てセットとして作ったのか(おそらく後者だと思いますが)、今どきの住居とたいして変わらないんだけど、実はけっこう考えて作られているというのには、それなりに好感が持てていたんですけれど…。特に始まって30分くらいは雨のシーンがやたらと多く、全体のシーンも“霧の中”って感じですごく良かった。それが後半になってくると、同じ家なんだけど、スピルバーグの東洋趣味があまりにも全面に出てしまって興醒め。だから前半が割と好きだっただけに、後半部分の失望はなかなか大きかったです。
デザインと言えば、“宇宙人のデザイン”ひどかったですね〜(^_^;)。アレって多分何度も書き直させてあんな姿になっちゃったんでしょうけれど、アレじゃ〜80年代前半じゃないですか〜。今って21世紀じゃなかったでしたっけ???う〜ん、アレだけは何とかして欲しかった…。
うう〜、またしても長くなってしまいました。ま、とにかくこの映画が日本で受けてアメリカで受けない大きな理由の一つは、「センチメンタル」をポジティブと取るかネガティウと取るかにもよるでしょうね。日本って「おしん」じゃないけど、お涙ちょうだい人情モノ大好きですからですね〜(格言う私も、泣きを入れられてしまった一人(^_^;)。それに比べて、アメリカで「センチメンタル」は、どちらかと言えばネガティブな言葉。ネタバレ→結局はどこからともなく突然現れた宇宙人によって、彼の願いが“中途半端に”叶えられるというのも、受動的な主人公が大嫌いなアメリカの観客には受けにくかったのでしょう。
ともあれ、ラストに関しては私何が一番の問題だったかって、すでに上でも書きましたが、やっぱりキューブリックが亡くなってしまってからスピルバーグがこの作品を作ったことが、かなり大きかったのだと思います。二人はもっと、この作品についてとことん話し合うべきだった。確かに水と火ほどに全く違った二人とは言え、“互いの共通点”を見出せるところで、二人のコラボレーションは確かに機能していた。このラストに対する“しゃっきりしいない部分”というのは、そのままスピルバーグがキューブリックの考え方に対して“しゃっきりし切れていなかった”モノの現れなんじゃないかと思います。私的には実に惜しいな〜という気がしてしまうのですが…。
ここ最近、天才・巨匠と呼ばれる人達の意思を継ぐという形で、彼らの原案を元にした映画が次々と作られていますが(手塚治虫の原案を元にした「メトロポリス」、黒沢脚本の「雨上がる」の他、ハリウッドは「羅生門」などのリメイク・プロジェクトを次々と進めています)、原作本を映画化するのと同じ様に、その原作者がすでにこの世の人でない場合、これほど監督・製作者達にとってツライ“原作者との戦い”はありません。それは、死人に勝てるかどうかという次元の話ではなく、“現実世界でケンカが出来ない”ということのツラさなんですよね。作品は、AさんからBさんの手に渡った時点で、紛れもなくもうBさんのモノであるはずなのに、Bさんはその作品を“自分のモノ”にする為の戦い(著作権などのことを言っているのではありません。クリエィティブ的な部分に関してです)を、Aさんとすることが、もう不可能なのですがら…。
この映画の底辺に流れる、「人間はmortal(死にゆく者)であるからこそ、人間である」というもう一つのテーマが、そういった意味で何だかとっても皮肉に聞こえてしまって、ツラツラと色々考えさせられてしまう、と〜っても久々に観たハリウッド映画でした…(^_^;)。
後日談: Aug 06, 01 その後、「あのエンディングはスピルバーグによるでっち上げなんじゃないか?」という説が急浮上(?)してしまったので、続きをネタバレの部屋に書いています。
「蜘蛛の瞳」&「蛇の道」 - ***1/2 |
8月3日からの「CURE」公開を前に、NYダウンタウンにある「The Screening Room」に設けられた黒沢清監督レトロスペクティブの一部としての2日間限定上映。 正直言ってこの2作、各国際映画祭でコンペに入賞した「CURE」、「ニンゲン合格」、「カリスマ」、「大いなる幻影」、「回路」等と比べると、けっこう影の薄い作品だったので、今回の上映を観に行くまでタイトルも聞いたことがありませんでした。でも、どうやらビデオが出ていない様なので(少なくともNYのビデオ屋さんには置いてありませんでした)、まぁこれを機会にと足を運んでしまったというわけですね。
Directed by : Kiyoshi Kurosawa, Written by : Yoichi Nishiyama
Starring : Sho Aikawa, Dankan, and Susumu Terajima
ダブル・フィーチャー(日本語で何だっけ???)だったので、1本分の料金で両方共観ることが出来たのですが、1日目は都合がつかず結局最初の日は「蜘蛛の瞳」だけを観ました。2本あるうち何故こちらの方を選んだかというと、「空の穴」を観て以来かなり大ファンになってしまった寺島進サンが出演していたという、それだけの理由なんですよね(^_^;)。え〜、寺島さんの役、もの凄く重要な役なんですけれど、出番ちょっとしかありませんでした...。
黒沢清監督の作品だけでなく、最近のヤクザ映画ではすっかりお馴染みの哀川翔氏。8年以上のブランクがある私は、殆ど初めて彼をスクリーンで観ました(実際彼は、「ニンゲン合格」にもちょい役で出演しているので、まるっきり初めてというわけではないのですが)。う〜ん、慣れてくるといい味出してるなぁと思えてくるのですが、最初どうしても”生島ヒロシ”に見えてしまって...(だって、あの黒ブチ眼鏡が〜〜〜^_^;)。
ダンカン、大杉蓮、そして寺島進というキャストゆえに、どうもこの映画が”北野武映画”にだぶって見えてしまうのは仕方のないこと。でも、”映画の作り方”として、殺人のシーンに”飛ばし=スキップ”を入れてくる所も、かなり北野武に通じるモノがあるんじゃないかと今回気が付きました。例えば、誰かが殺される時、じわじわ〜〜〜っと殺されるのではなくて、何か気が付いてたら死んでたり、驚く様に見せたりするんですよね。そういう所...。
逆に亡霊が出てきたり、死体がヘンに血みどろになってしまう所とかは、完全にK黒沢流。ラストの終わり方も、いかにもって感じでしたけれど...。そういえば昨日、黒沢監督のインタビューを読んでいたら、この作品の一つ前である「CURE」以前、黒沢監督は殆ど淡々とした夫婦のシーンを出さなかった様ですね。けど、この映画の凄くいい所って、ストーリー的には何の意味もないこれら夫婦の何気ないシーンだったりなんかして。北野監督の「HANA-BI」に出てくる夫婦関係と比べると、ここには北野監督と黒沢監督の違いがはっきりと表れている様な気がします。
キャスト的には、お馴染みの洞口依子サンが出演していなくって寂しかったですけどね〜。化石採集が趣味の黒幕って、アレ誰でしたっけ?見たことあるんですけど、名前忘れちゃった...。キャラクターはどれも深まれば面白くなるのに、皆中途な終わり方をしていたので、ちょっと残念でした〜。
Directed by : Kiyoshi Kurosawa, Written by : Hiroshi Takahashi
Starring : Sho Aikawa, Teruyuki Kagawa, and Naomi Niijima
「蜘蛛の瞳」の公開が4月、そしてこの「蛇の道」公開が同年2月だったことから、こちらの方が前編っぽく思われますが、話の流れ的にはこちらを後に観て良かったな、と思います。理由の一つは、こちらの作品の方がよく出来ていたから。ストーリー的にはこちらの方が、ちゃんとしたオチがあるし、まとまっていると思う。さすが、過去に何十本も書いてきている高橋洋氏の脚本だけはあります。撮影は、「蜘蛛の瞳」と同じく田村正毅 氏。彼は青山真治監督の「EUREKA」や「Helpless」の撮影もやっていて、何となく”こういう映画”に呼ばれる人なんぁな〜と思います(よく分かんないですね(^_^;)。
キャスト的に一番目立っていたのは、香川照之氏。私としては、「独立少年合唱団」がまだ記憶に新しい俳優さんですが、この作品以前は、橋田寿賀子ドラマの常連サンだったのだそうですね。う〜ん、凄いイメチェン(^_^;)。最後の方になると、私的にはオーバー・アクティングに見えてしまったのですが、前半けっこう良かったです。
そして、”コメットさん”こと、ナゾの女ヤクザ。足が不自由なのに、めちゃ強いというのがイイ。名前が翁華栄 ってことは、中国の女優サン?もしかするとそれで台詞少なかったのかな???そして、ナゾの天才少女:新島直己って、実は両作品に共通する哀川サンの役名だったりするんですよね。やっぱりまず、最初にこの娘ありき、の企画だったんではないかと...。ネタバレ→彼女がお尋ねモノのビラを観てしまった...というオチが後のシーンに生きてこなかったのは、かなり残念だったけど...もしかして、編集でカットした???
それにしてもK黒沢監督の作品における、女性の...ネタバレ→殺され方って、なんか他の人達がされるのと、ちょっと違うんですよね。コレって、ポルノ監督時代の名残りなのかな???
それと今回、凄く効果的だと思ったのは「くり返し」という手法(同じ台詞、同じ出来事のくり返し...)。コレは、アメリカ人観客にもとても受けていました。ま、こちらの作品も、日本映画にそんなに詳しくない人が観たら「北野武映画とどこが違うの?」と思われてしまうかもしれません。何か日本映画って、こんなのばっかりなの?...みたいな(^_^;)。先月は、三池崇史監督の「Dead or Alive 2」なんかも公開されているから、こういう系の好きなアメリカ人にはとっつき易いのかもしれませんけれど...。
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