*** mook's Favorite Films 6***
mookのお気に入り映画 6

お気に入り映画のリストから、ランダムにピックアップして紹介していきます。

I'll introduce some films from my favorite films list
time to time.

"Vive L'Amour"
Aiqing wansui
「愛情萬歳」

07/08/01 (See the English version Here)

Written and Directed by : Tsai Ming-Liang
Starring : Kuei-Mei Yang, Kang-sheng Lee, Chao-jung Chen
Seen at : The Cinema of Tsai Ming-Liang

人にはそれぞれ、“好きな映画”についての定義があると思います。私にとってその基準とは、“いかに映像で語っているか”ということ。こういった書き方をすると、私がいかにも“ビジュアル系”(死語?)の監督達(最近で言えば、「ロスト・ソウルズ」のジャヌス=カミンスキー監督や「マルコビッチの穴」のスパイク=ジョーンズ監督の様に、元々撮影監督やCF・ミュージックビデオのキャリアからスタートした人達。確か「パール・ハーバー」の、マイケル=ベイもそうだった様な…)を支持しているみたいに思われてしまうかもしれません。
確かに制作現場では美術部に関わってきた私としては、「ムーラン・ルージュ」の様に、内容がスカスカでもその絵を観ているだけで酔ってしまう様な映画も大好きです。でも、私の言う“映像で語る”というのは、“(興味深い)映像を見せる”という意味ではないのです。やはりそこには、“語る”ものが存在していなければ。では、“語る=メッセージ”かというと、それもまた違う。言葉にならない想いを映像で語ること、これこそが“映画の言語”というものではないでしょうか?言葉になるなら、本を書けばいいのですからね。

例えば私の好きな映画ベスト3。「独裁者」で、チャップリン扮するヒンケル(コレがもろヒトラー!)が繰り広げる、数々のパントマイム。彼が地球儀に見立てたバルーンを玩ぶシーン、悦に入りながらピアノを弾くシーン、ムッソリーニに見立てたナパローニと、床屋で椅子の高さを競争するシーン…。どれもただただ映像だけで、独裁者達の狂気を見事に表現しています(しかも笑い飛ばせる所がスゴイ)。
「存在の耐えられない軽さ」にも、好きなシーンはかなり沢山あるのですが(冒頭でトマッシュが脳の手術をしながら鼻歌を歌ってしまう。これだけで、彼のキャラクターを見事に表現しています)、何といってもテレーザとサビーナがお互いにヌードを撮り合うシーンはスゴイ。これだけで、この二人の複雑怪奇で微妙な関係が全て表現されています。
「ファンタジア」については…説明する必要ないですね。映画の可能性をこれだけ極めた映画が、今からナント60年も前に作られていたとは信じられません。昨年公開された「ファンタジア2000」なんか、オリジナルの足元にも及んでいなかった。(偶然ですが、「独裁者」と「ファンタジア」は共に1940年に制作されています。そ、あの太平洋戦争勃発直前ですね。第二次大戦はすでに始まっていたというのに、アメリカって〜国は…(^_^;)

というわけで、いつもにも増した激長の前置きなのですが、こんな私にとって、今回、台湾第2のニューウエーブを代表する蔡明亮(ツァイ=ミンリャン)の映画を立て続けに劇場で観られたというチャンスは、まさに天が与えてくれたとまで言わなければならない様な衝撃的な幸運(大げさ?)でした。う〜〜〜ん、私にとって彼は、近年まれに見る“映像で語れる”監督なのですよ、コレが。
まず彼の映画にはセリフが極端に少ないです。特にこの「愛情萬歳」では、約2時間のうち、主人公3人が喋ってるシーン全部合わせても、20分あるかないかなのではないでしょうか。音楽も全くナシ。それに加えて、台湾映画お得意の長回しシーンが延々と続くのです。こんなことを書くと、いかにも眠くなってしまいそうな映画を想像されるかもしれません。私も正直、その手のタイプの映画では、寝てしまうことがままあります。でも、コレがぜんっぜん眠くならないんですよね。しかも全然飽きないっ!!!(勿論、コレには個人差がいろいろあると思いますが)少なくとも私には、2時間があっという間に感じられました。

蔡明亮監督は、現在43歳。マレーシアで華僑として生まれ育ち、10代の終わり(20歳の時という説もあり)に台湾へやって来た後、お芝居やTVドラマの演出家を経て、映画長編第1作目「青春神話〜Revel of the Neon God」を監督します。この作品でいきなり国際的な評価を得た彼が、長編2作目として監督したのが、この「愛情萬歳〜Vive I’Amour」。ナント長編2作目にして、ベネチア国際映画祭のグランプリを獲得しています。
次に制作されたのが、初期三部作の最後と言われる「河」。この作品では、ベルリン映画祭の銀獅子賞を獲得しました。続く「Hole」で、カンヌ映画祭批評家賞受賞。今年のカンヌでは、「What Time is It There?」が正式コンペに入賞し、今月末初めて「河」が全米公開されるに当たり、リンカーン・センターにて、彼のレトロスペクティブが催されたというわけです。レトロスペクティブでは、一般公開されていない彼のTVドラマ演出家時代の作品「All the Corner of the World」や、最新作である“アバンギャルド・ドキュメンタリー(?)”「Conversation with God」までが上映されるという、非常に興味深いものでした。

え〜、彼の映画には、いくつかの“キーワード”があり、どの映画にも必ずといっていい程、以下の殆どの要素が含まれています。これは悪く言えば「マンネリ」、良く言えば「作家性が強い」ということになるのですが、映画といえば、大抵監督の作家性で選ぶ私としては、これ程作家性の強い監督については、本を一冊書きたくなってしまう程の魅力を感じてしまいます。
ではここで、簡単に?“蔡明亮映画のキーワード”を、書き連ねてみることに致しましょう。

1)「都会の孤独」・「男と女の孤独」・「家族の孤独」
↑に関して、「匿名性」(彼の殆どのキャラクターには名前がない)・「すれ違い」など。

2)「奇病」(“ゴキブリ病”や“首曲がり病”など)と「狂気」

3)「寓話的メタファー」「現実」と「非現実」の交錯
彼の映画で起きる、あらゆる非現実が決して不自然に見えない所が、彼の演出力の巧さを証明していると思います。

4)「宗教」「台湾の伝統文化」(これをかなり笑い飛ばしている)。

5)「水」・「湿気」・「大雨」・「床上浸水」、そして「廃墟」と「世紀末」
これだけ「水」を使い捲くる監督サンも珍しいでしょう。とにかく1本見ればわかります。

6)「プラトニック」と、「愛のないセックス」。そして「エロティック」な示唆の数々

7)「愛すべきユーモアの数々」と、「絶妙のタイミング」
細かく説明すると、ネタバレになるので飛ばします。

8)「殆ど全編セリフなし」。そして“台湾映画お得意”の「超長回し」
でも決して飽きさせない所が尋常ではないです。

9)「独特な天才的構図」「独特なライティングによる、暗い映像」
…映画オタクの間で「蔡明亮の映画をビデオで観るな」という、暗黙の鉄則(?)が作られた所以です。

10)「全くの音楽なし」、または「キンキンの派手なミュージカル・シーン」
このギャップが凄過ぎる。

11)「ゲイ」と、「キャンプ(独特のゲイ文化のこと)」
これは、観る人が観れば分かります。説明がややこしいので飛ばしますが…。

12)「たばこ」と、「ジェームス=ディーン」。そしてバイク
どの作品でも、キャラクター達がのべつまくなしに煙草を吸っています。ジェームス=ディーンについての指摘は、一緒に観た友達から言われて気が付きました。確かに思い当たる部分が沢山あります(彼のポスターもあちこちに貼ってあったりする)。
バイクに関しては、バイクというものが中国や日本にとっての自転車の役割を果たしているみたいなので、彼の作品の特徴というより、台湾の日常風景なのだと思いますが。

13)「同じ俳優サン達の使い廻し」
5作品連続で主演を務める李康生(しかも役名は全てシャオカン)を初め、
この作品にも主要キャラクターとして出てくる、楊貴媚や陳昭榮
父親役の苗天、母親役の陸筱琳も、いろいろな形でほぼ全部の作品に現れてくるのです。

14)「特にストーリーはなく」、「ストーリーの結末」というのもない。
ラストでは「絶望」と「希望」が交錯する
これは、上映会に来ていた蔡監督自身が何度も繰り返し使っていた言葉。
映画が終わっても、キャラクター達の人生は続いていく…。だから、映画にもクライマックスというのはないのです。

15)最後に。これは、彼の映画に限らず、台湾・中国系の映画にはどれも言えることですが、 ホント「食べるシーンが多い」です(^_^;)。
彼の映画を観る前は、必ずお腹を一杯にしてから見ることにしませうね。

こうして見てみると、蔡明亮の映画というのは、ある意味、飽きる人はすぐに飽きると思うし、嵌る人にとっては果てしなくアディクティブ、というのが特徴であると言うことが出来るでしょう。
本当は、彼の映画を、彼の好きなフランソワ=トリフォー監督の映画から読み解くという裏技(?)もあるのですが(
「海賊版」の監督、小林正広監督と一緒ですね)、それをやっていると、いつまで経っても終わらないので、またの機会に譲ります。

さてさて、やっと本題(^_^;)。この映画「愛情萬歳」の話に移りましょう。
上のキーワードから、この映画に当てはまるのは1)、4)、5)、6)、7)、8)、9)、10)、11)、12)、13)、14)、そして15)。(つまり2)と3)を除いた全部ですね ^_^;)。
これは不動産エージェントである一人の女性と、彼女の持つ物件の一つで“すれ違い”または僅かながらに“触れ合って”いく二人の男性の、クレバーでセンシティブなアーバン・ストーリー。

まず、この映画には、とても有名なラストシーンがあります。このシーンの評価については、まっ二つに分かれるところがあって、「衝撃的だった」という人と、「なんだかな〜」という両極端の評価
実際、私はこれまでに観た蔡明亮映画の中でこの作品をフェイバリットに挙げておきながら、ラストシーンについては「なんだかな〜」派でした。まぁ、これはいずれまた“ネタバレの部屋”にでも書くことに致しませう。

私がこの映画を好きだった最大の理由は、この映画の持つ数々のユーモア・センス。例えば、この映画を観る前によく見ていた宣伝用の写真(左)。「Vive I’Amour=ビバ・ラヴ」というタイトルとこの写真を観て、どんなにエロチックな映画なのかと想像していた私にとって、この写真のシーンのすぐ後に続くシーンは最高。まずタイミングが最高でした。会場中がもう爆笑の渦と化してしまいましたよ。
細かいギャグシーンについては、内容を書くとネタバレになってしまうので、「すいかで…のシーン」「…で洗濯のシーン」「腕立て臥せのシーン」「目覚まし時計のシーン」「救急車(?)のサイレンに合わせて…のシーン」などのキーワードを書き記しておきますね。

この映画で大きくクローズアップされているのは、1)の「都会の孤独」・「男と女の孤独」。ここには「家族の孤独」が出てこない代わりに(勿論、家族との繋がりが全く出てこないという意味において、ある意味「家族の孤独」を十分表しているということもできるのですが)、二つの鍵と一つの「住み家」を媒体にした、「男と男の孤独」を描いてもいるのです。
この二人の複雑でヘンテコな関係がまたイイ。一人の異性を間に挟み、全く正反対の二人(一人は奥手、一人は寝捲くり野郎?)が、ある種の友情≒愛情を育んでいく過程は、それこそ「存在の耐えられない軽さ」の、テレーザとサビーナの様な関係であるのです。いや〜、これは掘り出しモノだ!!!

そしてまた「存在の耐えられない軽さ」にこじつけて言えば、この映画のエロさ&セックスシーンのリアルさ(数的にはずっとずっと少ないですが)は、やっぱりメンションせずにはいられないですね。「河」の感想にも書いたのですが、いわゆる“映画的なセックス”じゃないんですよ。キレイでもなく汚くもない。ただありのまんまのセックス。特に最初のセックスシーンで、陳昭榮の胸に鳥肌が立ってみえたのは、「おひょ〜(どんな奇声だ?)」でしたね(^_^;)。
楊貴媚と陳昭榮が、最初にカフェで出会い、お互いがお互いを段々と意識していくというシーンは、全くのセリフなし。やたら延々と続くシーンなのですが、私なんぞはドキドキすらしてしまって、まるっきり長く感じなかったです。彼ら二人の「器用なフリする不器用さ」が、もうタマラナイのですね〜。

3人の主要キャラクターの中で、一番細やかに描かれているのが楊貴媚の役。「都会のOLの孤独」と、さっさと片付けてしまうなかれ。彼女がうまくいかないながらも仕事を頑張って毎日やっていること、たまに行きずりの男と寝てしまうことはあっても、(それ故に?)現実には、いつも覚めた目で世の中を見ていること…これは、まぁ確かにどこかで聞いたことのある様な話です。
それでも彼女のキャラクターが、観る人達の心を惹き付けて離さないのは、これでもか、というくらいに描かれる、何気ない「夜のお手入れルーティーン」(これって、ストーリー上では、真っ先にカットされそうな部分なのに、妙に強い印象が残る)や、「横断禁止道路を彼女が何度も平気で横断してしまうシーン」。こうしたディテールの積み重ねと、楊貴媚の細かい演技が、彼女のキャラクターを二次元から三次元へと昇華させているのです。

そして、いつもながらにスローテンポのシャオカンですが、のっけからコンビニの防犯ミラーのシーンで、そのキャラクターを物語ってくれます(勿論セリフなし)。今回は、ちょっぴり彼の体育会系な部分や、それに相反する部分(?)も出てきて、シャオカン・ファンにとってもたまらない作品であることしょう。
髪も伸びて、「青春神話」とは随分印象の違う陳昭榮は、キャラクター的には一番浅く描かれているものの、ルックス的にはかなり魅力爆発だったので、個人的には許してしまう…(^_^;)。

ユーモアしかり、エロチズムしかり、テーマしかり、キャラクターしかり。そして何と言っても、特筆すべきは、その天才的な構図に支えられたパーフェクトな長回し映像
ご存知の様に、長回しカットというのは、そのカットの最初から終わりまでの間、カメラが全く動かない時と、役者さんの動きに合わせてカメラが微妙に動く時があります。ちゃんと数えたわけではありませんが、蔡明亮監督の作品の場合、カメラが動かないカットの方が多い様な気がします。それに、カメラが動いていても。あまりにものめり込んで見ているので、カメラの動きにあまり気が付かないんですよね。コレってある意味スゴイな〜と思う。
長回しの映像というのは、ただでさえ飽き易く、カメラが動かなかったりなんかしたら、短気の私はもうモゾモゾし出してしまうのですよね(候孝賢の「憂鬱な楽園」や「フラワーズ・オブ・シャンハイ」は、観ているのが苦痛でさえあった私)。同じく台湾の監督で、国際映画祭でその名を馳せる楊徳昌(エドワード・ヤン)の「ヤンヤン・夏の思い出」を観た時、彼のフレームの選び方にはかなり感心してしまいましたが、私には蔡明亮の撮る絵の構図、それ以上にずっ〜とずっと魅力的です(繰り返しますが、これはあくまで私の趣味なのですけれど)。
奥行きのある絵もあれば、ヘンに斜め上から撮っているモノ、中途半端な引きで撮っているモノもあるし、その辺の素人サンが撮ったら目も当てられない様な絵になりそうなモノを、それこそ天才的な構図で見事に処理しています。何気なく観ていただけでは、気が付かない様なところが一番のポイント。でも、フッと気が付くと「おお〜っ、この構図スゴイ!!!」って感じなのです。(いくらなんでも、コレはちょっと誉めすぎですかね(^_^;)。

…とまぁ、ラストシーンに関しては「なんだかな〜」派の私でしたし、4日後に観た「Hole」で、またまた度肝を抜かれてしまった今、この作品を初めて観た1週間前からは随分と印象も薄くなって来てしまったのですが、やはり最初に観た時の衝撃はけっこう大きかったです。
インターネットでいろいろな感想文を探してみると、日本ではやっぱり「Hole」を観た人達の感想が一番沢山出てきますが、蔡明亮に嵌った人達の間では、意外と「愛情萬歳」の評価が高い様ですね(蔡映画の特徴とも言える“水の狂気”が弱い分、この映画だけは番外だという見方もありますが、それもまた事実)。
逆に英語の感想文を探してみると、ベネチアでグランプリを取ったという理由からか、欧米諸国では、「Hole」よりも「愛情萬歳」の知名度の方が俄然高くなっています。英語の方は、読んでいない批評もまだまだ沢山あるので、チャンスが出来たら「欧米人の観た“愛情萬歳”」についても、また書いてみたいな〜と思います(でも、永遠にチャンスない様な気もする…(^_^;)。

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