*** mook's Favorite Films 2- mookのお気に入り映画 2***

お気に入り映画のリストから、ランダムにピックアップして紹介していきます。
I'll introduce some films from my favorite films list time to time.

"Dancer in the Dark"
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」

The English version will come very SOON!!!
11/27/00

監督・脚本:ラース=フォン=トリアー / 出演:ビヨーク、カトリーヌ=ドヌーヴ他
制作:デンマーク・ドイツ・オランダ・アメリカ・イギリス・フランス・スゥエーデン・フィンランド・アイスランド・ノルウェイ共同制作。2時間20分。
公式サイト:アメリカ公式サイトイギリス公式サイト日本公式サイト
2000年12月23日より、日本全国ロードショー。

この映画は、一切のストーリー的予備知識なしに観ることを
強くお薦めします

ネタバレ部分については、このページも読んでみて下さい。

また今回は、日本語の読者層と英語の読者層(私の友人の映画オタクども)には、この映画に関する予備知識にかなりの開きがあると思うので、日英は別々のページに分けて書くことにしました。(英語バージョンについてはネタバレが中心になるので、近日アップということになります)

まず最初に、この映画はモロ「好き嫌いの分かれる映画」とお断りしておかなければなりません。
ご存じの通り、この映画は今年のカンヌ映画祭で堂々のパルム・ドール(最高賞)受賞。NY映画祭でもオープニング上映として一番人気の地位を獲得しましたが、それは「映画オタク」の間だけでのこと。実際、アメリカでの興行成績はお世辞にも良いとは言えないです。普段アート系の映画が好きなアメリカ人の友達ですら、上映の途中で出てきてしまったくらいですから(^_^;)。

さて、この映画が「A Disturbing Film」と呼ばれる由縁はいくつかあります。

1) 画面が揺れまくるので、観ていて気分が悪くなる

同じくラス=フォン=トリアー監督の作品「奇蹟の海」をご覧になった方はお分かりの通り、この映画ではカメラの手持ち撮影が多用されています。これは、 「ドグマ95」(カメラは手持ち、人口照明や音声は不可等の10か条を守る映画制作集団)を結成した彼独自のスタイルとも言えるべきもので、慣れない人にはツライです。マジで二日酔いになる人も出ますから。私も「奇蹟の海」を観た時は席が一番前だったので、けっこう吐きそうになりました(^_^;)。
このスタイル、何も考えないで見ると「タダの下手な撮影」に見えてしまうのですが(手持ちでも、「シンドラーのリスト」の様にきれいに撮っているモノもあります)、それはいわゆる”ピカソの絵”のようなモノで、彼の作品にはキチンとした安定した映像を撮っているモノもちゃんと存在します(つまり「出来ない」のではなくて「意図的にやっている」のです)。

「ドグマ95」の基本理念は”技術に頼らない映画の純化”ですが、実際この作品は「ドグマ95」の作品ではありません。映画のところどころに挿入されているミュージカル・シークエンスは、むしろ「ドグマ95」の映画制作とは対照的な部分。”100カメラクルー”と呼ばれる特別隊が結成されたくらい、この部分では質と量で最高の絵をつくり出そうとしています。
ですから、このミュージカル・シークエンスと対照的な現実のシーンは、出来る限りの現実味を持って(ドキュメンタリータッチにも近い様な)形で語られなければならないというわけ。
ま、でも気持ち悪いモノは気持ち悪いです。この映画を観る時「なるべく前の方の席では観ない」「食後すぐには観ない」、の二つは守った方が懸命だと思います。ベストなコンディションで観ませうね。

2)内容が暗い

これって、わざわざ映画館まで足を運んで高いお金を払って気分をよくする為に映画を観る、と思う人にはめちゃめちゃマイナスですよね。詳しい内容は「ネタバレページ」に書きますが、とにかく暗いです。デート映画には絶対ペケ。まぁ、こういった暗い映画で人生を語り、愛を確かめ合いたいというカップルならば話は別ですが(^_^;)。観終わった後に、ず〜んときちゃうから会話も途切れがちになるし…。あの「終わり方」については、やはりけっこう賛否両論があると思います。詳しくは、「ネタバレページ」で。

3) ビヨークの好き嫌いでも好みが分かれる

彼女がこの役で主演女優賞を総ナメしたように、彼女の役セルマのキャラクターはとにかく強烈(監督とも一悶着あったらしいのですが)。
私はもともとビヨークのファンではないので、この映画を観ながら彼女のキャラクターに慣れるまでには随分時間が必要でした。また逆に、もともとビヨークのファンの人達にとっても、このセルマ役は受け入れ難い部分が多いらしく、これまたかなり賛否両論の分かれるところだと思います。でも、良かれ悪かれ彼女以外のセルマはもう考えられないですね。ミュージカル・シークエンスの作曲は全てビヨークらしいですが、もしこれを違うアーティストの作った違うミュージックでやっていたら…。ま、でもお話の骨格自体は非常にしっかりしているので、何十年か後に全く同じ話を全く違う曲を使って撮る人がいたら(そんな心臓に毛の生えた人物が果たして現われるかは疑問)、是非見てみたいです。

では、私はこの映画のどこが好きなのか…?

1)「映画制作」の常識を軽々と破って、映画作りの可能性を見せてくれる。

アメリカくんだりで下手に映画制作の学校なんかに行ってしまうと(いかにコロンビア大学がアンチ・ハリウッドであるとはいえ)、映画作りのフォーミュラみたいなモノが頭に叩き込まれてしまうのです。「出だしでキャラクターを見せろ」とか、うんぬんかんぬんetc...それがこの映画、しょっぱなっからやってくれます。最初のシーン、2回以上見るととても意味のあるシーンだということが分かるのですが、初めてみると「何なんだ???」というモノが延々3分以上続きます。
また、いわゆる撮影の基本と言われるイマジナリー・ライン(カメラの向きに関係するルールです)も、バシバシ超えちゃうし。フィクション撮りやドキュメンタリー・タッチのラインなんていとも簡単に軽々と飛び超えてしまっています。
これ、先にも書きましたが、絵描きとしてのピカソみたいなモンで、まっとうな(?)絵を撮れる人がやるのと、わけもわからず闇雲にやっている人がやるのでは、雲泥の差が出てしまうというわけです。

2)ハリウッド(ミュージカル)映画に対する”愛憎”の両面を見せてくれる。

この映画を見れば明らかな様に、ラース=フォン=トリアー監督はハリウッド映画、特にミュージカル映画をおそらく幼い頃からとても愛していたのだと思います。”
100カメラクルー”と呼ばれた撮影隊を使ったミュージカル・シークエンスはとにかく圧巻。ここではこれでもかという程の最新技術・金銭・人材、そしてその才能の全てを使いまくって撮影しています。私がこの映画を出来るだけ劇場で何度も見たいと思っているのは、これらのシーンをビデオで見る気が全くしないから。これも人によって好みは分かれると思いますが、私は最初のミュージカル・シークエンスである工場でのシーンと、貨物列車でのシーンが好きでした。

一方でこの映画の凄いところは、こういったミュージカル映画に対する辛辣なまでの皮肉や批判が込められているところ。先に書いたように、監督が「ドグマ95」のルールを現実のシーンで守っているのは、このミュージカル・シークエンスに対するOpposeの部分なのです。これら正反対の部分が同じ映画の中でせめぎ合っているからこそ、互いの部分が引き立ちあっているわけで、こんなことを一つの映画の中で平気でやってのけてしまうこの監督を、天才と言わずして何と表現すれば良いのでしょうか?

3)それぞれのキャラクターが素晴しい。

セルマ役のビヨークは言うに及ばず、ビル役=David Morseとジェフ役=Peter Stormare の素晴しさ。カトリーヌ=ド=ヌーヴに関しては、取り立てて素晴しいとは思わなかった私ですが(何でも本当は、この役には無名の黒人女優さんが当てられるはずだったらしいですが、ドヌーヴ本人たっての頼みでこの役に無理矢理入れてもらったそうです)。最後の方で登場するブレンダ役のSiobhan Fallonは、いつも目立たない脇役ですが(「フォレスト・ガンプ」のラストシーンでバスの運転手やってた、あのおばちゃんです。実は一緒に仕事をしたことある女優さんだったりして。)、この映画では最高でしたね。登場する時の数分は何とも思わないんだけれども、話が終わりに近づくにつれてキャラクターが立ってくるという、役者冥利としては最高のパターンをこの映画では見ることが出来ます。

後半になるにつれ映画館中にすすり泣きの声が響き始めるのですが、これは単にストーリーに関する部分だけではありません。観ている側が、もうキャラクターと一体になり始めてしまう(この部分に関してはセルマは除く…かな?)、、、う〜ん、ネタバレなしでこの部分を書くのは難しいですね。映画を観て泣くパターンっていろいろあると思うのですが、この映画は間違いなく「ほら〜、感動しろっしろっ!」というあのパターンとは違います。この先については、「ネタバレページ」でもっと書きますね。

4)ストーリーにまで隙のない作り

とにかくそのラストには賛否両論あると思いますが、私に言わせてみれば、テーマ、シーン運びからそのメロドラマティックな部分に至るまで、この映画はほとんど全て私のFavorに近かった様な気がします。(やっぱり100%とは言えないまでも)
一度目に観た時はストーリーがどこへ転ぶのかまるで分からなかったので、無駄なシーンも多いように感じられましたが、2回目に観てみると、実は無駄なシーンが一つもないというのがよく分かります。一つ一つのシーンが、エンディング・クレジットの流れる時のテーマ曲「New World」へ続いていくオーケストラの楽器の様に、段々と重なりあってゆくのです。いや〜、いろんな意味で震えました。あのエンディング…。

最後に…。

テーマが何であれ(書きたいけど書けないっ!)、この映画の中心はやっぱり何と言っても「映画と音楽」でしょう。ミュージカル・シークエンスでのはちきれんばかりの音楽も、それ以外でのシーンで“全く流れない”音楽も、「映画に音楽があること」と「映画に音楽がないこと」をこれでもか、といわんばかりの両極端な形で見せてくれます。

大げさだけど、「こんな映画がこの世に誕生した同じ時代に生きていて、本当に良かった…。」なんて、何だかそこまで思わされてしまう、私にとってはいろいろな意味で大きな存在の一本でした。

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